東京大学 こころの多様性と適応の統合的研究機構 キックオフシンポジウム


東京大学には,学部,研究科,研究所,全学センターなどの組織とは別に「総長室総括委員会」を設置する「機構等」という組織が20近くある.(例えば地球観測データ統融合連携研究機構,大学発教育支援コンソーシアム推進機構などの名前が並んでいる)
今般この機構等の1つとして「こころの多様性と適応の統合的研究機構」が新たに発足する.これは総合文化研究科、医学系研究科、人文社会系研究科、教育学研究科、法学政治学研究科の緊密な連携により,思春期,青年期に焦点をある程度当てて,系統発生,進化適応,社会党の相互作用などのいろいろな面からこころの発達を調べていこうという学際的な取り組みを行うもののようだ.英名は「UTokyo Institute for Diversity & Adaptation of Human Mind」略して「UTIDAHM」(ユーティダムと読むようだ)
そして6月13日にそのキックオフシンポジウムが開催されたので参加してきた.当日は結構暑い日だったが,会場ほぼ満員の盛況だった.

開会挨拶と機構の説明 機構長 長谷川寿一


こころの問題に起因する社会的コストは極めて大きい.1つの試算では認知症の(対策費,生産性減少等を含む)社会的コストは14.5兆円,鬱,統合失調症,不安症などの社会的コストは11兆円ともされている.これらの問題に対処していくには基礎の解明が重要であり,統合的な研究は喫緊の課題である.そういう問題意識で本機構は発足する.
そしてこころの問題はこれまで縦割りで対処されていた.具体的には医学精神科(この中でも小児と大人で別れる),心理学(さらに社会心理学教育心理学などに別れる),脳科学神経科学,政治学などで別々に考察されていた.
これらを学際的に統合的に研究することについては早くから問題意識を持っていたが,ようやく機が熟してきて機構の発足が可能になった.また理論と現場の間も橋を架けていきたい.


挨拶では触れられていなかったが,「ヒトの行動や心理に関する研究が縦割りになっているのはおかしい」というのは古くはEOウィルソンの社会生物学(さらに古くさかのぼれるかもしれないが)からの問題意識でよく指摘されているところだが,それに対応した機構が発足するというのは確かに画期的なことかもしれない.
挨拶の後,理事副学長,医学系研究科長,総合文化研究科長,人文社会系研究科長から祝辞がある.司会の加藤淳子と能智正博は法学政治学研究科と教育学研究科に所属であり,確かに学際的だ.



これは伊藤国際学術研究センターのところにできた出入り口.本郷三丁目から行くときに赤門より手前からキャンパスに入れるようになった.


その後シンポジウムの発表に

言葉の発生の3要因 岡ノ谷一夫


言語進化といわずに「言葉の発生」という言い方で発表スタート.これまでこのテーマでいろいろやってきたが,千葉大の文学部では「文系なのに何やってんだ」といわれ,理化学研究所では「なんで理研でこんなことやってんだ」といわれ続けてコウモリ状態だったがようやく東大の総合文化研究科で落ち着いたと前振りして場を暖める.

ここから実質的な中身に.

まず言葉(言語)の定義.犬の鳴き声は確かにいろいろな情報を伝えてくれるが,これは言語ではないとする.

  • 連続的な信号に連続的な意味を持たせていてカテゴリカルになっていない
  • 鳴き声の組み合わせで新しい意味を作れない
  • 新たな鳴き方を学ぶことをしない.

そして言葉の定義としては以下を用いる.

  • 少数の要素(音素)を組み合わせて,多数の基本シンボル(単語)を作る
  • それぞれの単語に意味が対応する
  • 組み合わせにより無限の表現が可能になる


では言葉はどのように現れてきたのか.これまでは大きく括って3つの仮説があった.

  1. 断続説:あるときに一気に現れる
  2. 漸進説:少しずつ形作られてきた
  3. 準備説:いくつかの認知機構が前適応としてあり,それが組み合わさって言語となった

断続説は進化を考えるとあり得ない.ピンカーやブルームは漸進説で説明しようとした.しかし私はそれには無理があると考え準備説を主張し,それの検証に取り組んでいる.手法としてはシミュレーション的な構成論,前適応を見極めるための動物研究,ヒトに対しての非侵襲的な直接観察などを組み合わせている.

前適応としては以下の3つを考える

  1. 発声柔軟性→学習
  2. 音列分節化→文法
  3. 状況分節化→意味

全体の仮説としては歌から言葉へという「相互分節化仮説」:(例)狩りの状況下では狩りの歌を歌い,食事の状況では食事の歌を歌うとする.そして状況の意味としての重なりには「皆でする行動」があり,2つの歌の共有要素がその意味を持つ.


検証
<発声柔軟性→発声学習>
発声学習できる動物群が存在する.知られているのはクジラ類のほとんど,鳥類の半分程度(スズメ目*1,ハチドリ目,オウム目など)そして霊長類の中でヒト1種.
これをニューロイメージで研究していくと,情動発声に際しては延髄→中脳→辺縁系という信号伝達が生じる.そして発声学習する際には前頭前野の運動野から延髄への直接連絡路が開かれる.この運動野は自発的制御に絡んでいる.つまり本来自動運転の情動発声に自発的制御を行うことが発声学習には必要だと言うことがわかる.
呼吸を自動にせずに随意運動にするためのメカニズムが前適応として生じたと考えると,潜水するクジラ類,飛翔する鳥類にその回路が適応として生じたと考えられる.そしてここからは仮説だが,ヒトについては,「捕食圧が下がったときに,乳児が親を操作するために鳴き声を随意的にした方が有利になりこの回路形成が生じた」と現在考えている.

<音列の分節化→文応>
ジュウシマツの歌の文法を紹介.
これは要素がいくつかつながったものを切り分けて(別のオスから)別々に獲得している.ここで前頭前野を損傷すると歌の分岐ができず同じ要素の繰り返しになって止まらなくなる.
ヒトの場合も,要素のつながりを固定化してその分岐があるパターンの音列を聞かせると,その分岐の際に注意が高まり拍子を感じることができるようになる.この能力は新生児にもある.

<状況の分節化→意味>
今自分が何をしているのかを考えるときには海馬と扁桃が活性化する.デグーに海馬損傷実験を行うと毛繕いに対する社会的行動や空間知覚に異常が生じる.

<まとめ>
テナガザルの歌を紹介.この音素のつながりの使い方には状況と相関がある.
全部まとめると,歌があり,そこに3つの前適応が重なると言葉が始まると考えている.



岡ノ谷の様々な研究の断片はいろいろと読んだり聞いたりしてきたが,全部をつながったストーリーで聴けたのは今回が初めてで,なかなか面白かった.ただ最初の漸進説と準備説について互いに排他的な仮説のように紹介していたが,両者は排他的ではないのではないだろうか.ピンカーやブルームは認知モジュールに前適応的な要素あることについて問題なく認める様な気がする.


岡ノ谷の本

さえずり言語起源論――新版 小鳥の歌からヒトの言葉へ (岩波科学ライブラリー)

さえずり言語起源論――新版 小鳥の歌からヒトの言葉へ (岩波科学ライブラリー)

「つながり」の進化生物学

「つながり」の進化生物学

進化言語学の構築ー新しい人間科学を目指して

進化言語学の構築ー新しい人間科学を目指して


これは会場になった医学部教育研究棟


総合人間科学としての思春期学 笠井清登


自己紹介:元々精神科の診療医.進化の視点や人文学の知見は治療の観点からも有効と考えている.


まず思春期の定義から.二次性徴が現れ始めてから成人になるまでの期間を指し,ここでは10歳〜20歳ぐらいとする.ランセット誌では10歳〜24歳とするとするものもある.(この場合の24歳というのはMRIなどの知見から脳の回路形成が完成する時期ということらしい)
この時期の経験はいろいろな影響を与え,例えば40歳の成人鬱でも,思春期時代までさかのぼって治療に取り入れることが必要な場合がある.


思春期とは何か?未成熟な大人か?あるいは心身共に健康な時期か?

  • シェイクスピアは「10歳〜23歳までの期間など無きゃいいのに.娘をはらませ,取り乱し・・・」と書いている.
  • 片方で高校野球に見られる明るい青春のイメージがあり,片方で精神疾患の発生頻度が高い時期でもある.
  • 日本で生涯に一回以上精神疾患を抱えて診療を受ける人は4人に1人とされている.(アメリカではさらに高い)さらに慢性化しやすいので,社会的コストも高い.15歳〜24歳は自殺率も高い.日本では不慮の事故を抑えて死因トップになっている.

思春期発達と自我の形成

  • 個体発達の最終段階:前頭前野の完成,情動制御,対人関係における社会性,自己についてのメタ認知(自己像),言語におけるその表現などが関連する

ヒトはどうやって生きているのか

  • 自己認識,自己制御による意思決定だけで決まるのか.意識的な意思決定だけではないように感じられる
  • 自分の身体と自己認識から,それが仲間や社会と関わるようになって主体的価値(主体的な価値意識で無意識のものも含む)を生み,それが長期的行動につながるのではないか

このような主体的価値がどのように形成されるのかを調べていきたいとして東京ティーンコホートプログラムを紹介.具体的には援助危急と相関するいくつかの傾向のリサーチを紹介.

また統合失調症の時間的な経過(15歳から25歳で発症する割合が多いが,その後は様々なパターンがある)についても,MRIなどの知見と組み合わせると,今後タイムリーな介入で回復を目指せる可能性があると考えている.最後に本の紹介.

思春期学

思春期学


これから思春期を様々な角度からリサーチしていくにあたっての現在の問題意識のまとめというような話だった.東京ティーンコホート(東京ティーンコホートについてはhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20130614参照)については今後もいろいろと面白い知見をもたらしてくれることが期待できそうだ.


実験社会科学と人文の知のつながりを考える 亀田達也


冒頭に,今大変な苦境に立たされている人文学に携わる者として「戦う人文学」としての話をしたいと意気込みを語る.うーむなかなか大変そうだ.


題にある「実験社会科学」とは何か
実は心理学においては古くは19世紀から実験が行われて来た.長らく実験を行う唯一の社会科学だったと言ってもいい.しかし20世紀末頃から他の社会人文分野でも実験が導入されるようになった.(実験経済学,行動経済学,実験哲学など)
これらの分野の共通の関心は,協力,信頼,共感,正義などの人間社会を作る基礎ブロックの理解であり,それの解明をすべく実験を導入し始めたのだ.本日はその中で例としてロールズの正義論を取り上げる


ここで近年話題のサンデルの白熱教室がちょっと前振り的に紹介される.

これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学

これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学


正義とは何かという規範的な議論があるが,2000年以降これについて実験的に基盤を与えようという動きがある.セイラーとサンスティーンによる行動経済学的な議論や,トロッコ問題をめぐる議論と普遍的道徳文法の主張などが有名だ.


この中でも「分配の正義」(distributive justice: 富あるいは権利をどう人々に配分すべきか)をめぐる議論は現代正義論の中核とも言える.そしてこれをめぐる実験は最後通牒ゲームをめぐって行われている.しかし人文学者から見ると「実験と規範的正義にどんな関係があるのか」が問題になるように思われる.

正義論

正義論


ここでジョン・ロールズの正義論が問題になる.ロールズは「正義論」(1971)において功利主義に替わる規範的な倫理論を展開した.ロールズは議論を「どのような社会を設計するのが望ましいか」というフレームで捉えた.

  • それまでの功利主義は価値の基礎を「幸福(あるいは効用)の総和」においた.この立場によると所得の総和が増えるなら,格差が拡大し,最貧者がより貧しくなってもよいということになる.
  • ロールズは,中立の立場からの視点をとるために「無知のヴェール」という仮定を用いた.つまり「誰の元にどんな人間として生まれ落ちるかわからないとして,生まれ落ちる前に,どのような社会を選ぶかを考察する」というものだ.
  • その上で,ロールズは「人は悪い可能性に目を向けるだろう」と論じた.つまり最も貧しい人として生まれ落ちるとして,最もましな社会を選ぶだろうということだ.これはマキシミニ戦略ということになる.

この議論には当初からいろいろな批判があった.私(亀田)が最初に読んだときの感想は「マジか?」というものだったし,井上達夫は「恣意的なレトリック」だと切り捨てた.
しかし昨今この「無知のヴェール」を実験的に創り出そうという試みがなされるようになってきた.「人々が本当にロールズの言うようにマキシミニ戦略をとるのかを実験で確かめよう」ということだ.実験結果はマキシミニ戦略を支持しない.被験者の一部はリスクをとるのだ.ではロールズの議論は現実から遊離したものだと結論づけていいのだろうか.
しかしその前にもう少しよく考えてみよう.ロールズの議論は「社会的な分配を不確実性の元での意思決定としてフレームさせる」ための議論だった.(採る戦略の前に)この考えるフレームが一致する可能性はないのだろうか.


ここで実験社会科学の出番になる.


<実験1 行動実験>
「第3者として他者の分配を意思決定する場合と,自分がギャンブルする場合の意思決定(リスク下の意思決定)に連動はあるか.」

  • 戦略として「分配総額を重視する」と「結果の期待値を重視するか」は功利主義的,「最小の分配者への配分を重視する」と「負けたときのリターンを最大化する」はロールズ的と評価できる.
  • 学生にリアルマネーを使って実験するとこの両者の判断には安定した順位相関が認められる.
  • この判断が連動することは自明ではないので,「人々は分配問題をリスクの問題として処理しているらしい」と考えることができる.


<実験2 認知実験>
「他者への分配の意思決定,あるいはリスク下の意思決定をしているときにはどのような認知プロセスを採っているのか」

  • 分配やギャンブルのペイオフマトリクスについて,最初は高中低のみを示しているが,クリックすると数値を見ることができるようにしてどこから見るかを調べる,またマトリクスのどこに視線が行くかを追跡する観察を行う.
  • その結果,どちらの意思決定を行っているかにかかわらず,また採用戦略がどのようなものかにもかかわらず,最初に最貧者のペイオフを見るし,決定の前の最後にも見る傾向があることがわかった.
  • これは「どのようなイデオロギーを持っていても,最貧者の分配を気にしている」ことが示されていると解釈できる.その意味ではロールズの考えと整合的な結果だと評価できる.


fMRIによる観察>
「上記のような意思決定を行っているときに脳のどこを使っているのか」

  • fMRIによる観察では,特に最貧者への分配を見るときにrTPJが活性化している.この部位は他者の心を推測したり,現在でない過去や将来の自分の心を思い出したり予測したりするときに活性化される部位であり,共感,道徳,利他行動と関連しているとされている..
  • このことは人々は分配を考えるときに最貧者の分配を見て,「もしこれが自分なら」と考えていることを示唆しており,やはりロールズの考えと整合的だと評価できる.


以上の実験から暫定的には以下のように言えるだろう.

  • 社会的分配の意思決定はリスク下の意思決定と関連している.これは3つの実験すべてが支持している.そしてそれはロールズの考えと整合的だ.ロールズの議論は単なるレトリックではなく実験的な基礎を持つのだ.
  • そしてこれは倫理的な問題について,規範論と実験がつながりうることを示している.


最後にこれは「戦う人文学」であり,心のなかのロールズなのだとして発表を締めくくった.


なかなか見事で印象的なプレゼンだった.確かにヒトは分配を行うときには最貧者のことを気にするのだろう.だからフレームとしてのロールズの議論は説得的だ.しかし気にしつつも最終的な結論は「最貧者にとってそれほどむごいことになるのでなければ,全体のパイが大きい方がよいこともある」とする人も一定割合でいるわけで,何が正しい分配かについてロールズの結論は無条件に受け入れられないのではないだろうか.そのあたりについてもコメントして欲しかったところだ.


亀田の本.「『社会の決まり』はどのように決まるか」についての私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20150226

複雑さに挑む社会心理学 改訂版--適応エージェントとしての人間 (有斐閣アルマ)

複雑さに挑む社会心理学 改訂版--適応エージェントとしての人間 (有斐閣アルマ)

進化ゲームとその展開 (認知科学の探究)

進化ゲームとその展開 (認知科学の探究)


これは会場となったセミナー室のある13階からの眺め.


その後人材育成についてのいくつかの説明があり,このシンポジウムはお開きとなった.キックオフにしてはなかなか面白い話が聞けたように思う.今後の活動が楽しみだ.



 

*1:スズメ自体は普通鳴き真似をしないが,飼われていたスズメが流暢な日本語を学習した例があるそうだ