第8回日本人間行動進化学会参加日誌 大会初日 その2 


午後1は今大会の目玉Hanna Kokkoのキーノート,ガンと生活史戦略を中心としたスピーチだ.

基調講演 Towards cancer-aware life history theory Hanna Kokko


冒頭のスライドは農耕以前の狩猟採集時代の人類が大型動物を仕留めている狩猟の想像図.そして当時のよくある死因は何かとキャプションが振られている.

  • 当時は様々な死因が現在よりはるかに重要だった.ではガンはどういう位置づけだったのだろうか.
  • これまでガンについては(1)何かがまずいことになっている (2)歳を取ってからなるもので,生物学の対象ではなく医学の対象と捉えられてきた.しかしそうれだけだろうか.
  • 紀元前3000年ぐらいから既にガンの記述はある.エジプトのパピルスには8例のガンとおぼしき病気の記述があり「直す方法なし」とされている.要するに古くからガンはある.また近時条虫にもガンができることが明らかになった.つまり何でもガンになりうるのだ.
  • イヌのガンのなかには伝染性のガン(これはウィルスが伝染してガンを誘発するのではなく,ガン細胞自体が別の生物個体に入り込みそこで増殖するもの)があり,これがタスマニアデビルに広まって現在絶滅の危機に瀕している.デビルは互いに噛み合うので非常に感染率が高い.データから見ると,とにかく現在の北西部に残っている未感染野生個体をどこかに隔離して,野生個体がガンで絶滅してしまった後に野性に返すしか方法がないようにも思われるほどだ.
  • また二枚貝にも伝染性のガンが見つかっている.感染個体の出水管から粒子状の細胞が放出されて別の個体の入水管から入り込み,貝から貝への感染が生じる.そしてこの細胞のDNAをよく調べるとホストの貝とはマッチせずにガン同士でマッチするのだ.
  • 通常のガンには伝染性はない.これは1910年代になされた(おぞましき)人体実験でも明らかになっている.別個人のガンを被験者に移植しても免疫がはたらいで消滅してしまうのだ.
  • ではこのようなガンはウィルスとは何が違うのだろうか.(2015年のデイヴィッド・ヘイグの総説を紹介)
  • 多細胞生物では,その組織は生殖細胞系列と体細胞系列に別れる.そして体細胞系列で何らかの変異が生じ,それが個体内1世代内での淘汰(イントラ淘汰)を受けて増殖する場合にこれをガンと呼ぶのだ.これに対して生殖細胞系列では世代を繰り返す中で個体間の淘汰(インター淘汰)がかかるということになる.
  • またすべてのガンがホスト個体に有害であるわけではない.植物の場合細胞壁があるのでガン細胞が体内を動き回って新たな場所に転移して広がることが困難だ.だから発生したガンがその場所で増大することになる,そして場合によっては個体にとっても有利になりうる(サボテンのそのようなケースのスライドが紹介される)
  • ガン自体多様だ.ヒトのガンでも最初に発生する器官により発生確率が様々だ.また動物間での違いも興味深い.仮に一細胞あたりでガンの発生確率が同じであれば大型動物は非常に不利になるはずだ.ゾウはネズミの20万倍も細胞を持つのだから.これはピートのパラドックス(Peto's Paradox)と呼ばれる.ピートは「クジラが存在しうるというのは驚くべきことだ」とコメントしている.クジラはネズミの1千万倍の細胞を持ち,寿命も30倍ある.要するに動物が大きくなるためにはガンの抑制が非常に重要になる.ゾウにガン抑制遺伝子のコピーが多いことも知られている.
  • これは生活史戦略上も興味深い.まず細胞数を増やさずに大きくなるのは難しい.そしてホスト側からの防衛上は正常細胞とチート細胞(ガン)の区別が重要になる.またガン細胞側の淘汰は増殖率に直接効くのに対して,防衛側の(個体間淘汰側の)メリットは少し遅れて現れる.そして結局個体はガン以外で死ぬことがある(その場合のガン防衛のコストは無駄になる).だから基本的に防衛側は不利なのだ.しかしうまい防衛が進化することもできる.小腸内の組織は構造的なイノベーションを起こして,ガン細胞をどんどん切り捨てられるようになっている.

ここからガンの数理モデルの解説.時間tにおいてガンになる確率は以下で示される

ただし生物個体の体細胞数をN,1細胞でガンになるための突然変異ステップ数をn,ある細胞で時間tにおいてある突然変異が生じている確率を(1-exp(-(1-d)kt)とおいている.

これは以下のようなグラフになる.(適当に描線しています)

ここから突然変異の発生確率,生存率,それぞれ生物の大きさや寿命が変わった場合にc(t)などがどうなるのかがそれぞれについてのグラフとともに説明される.これは大変数理生物学の楽しいところだ.

  • そして生物は様々なトレードオフの上にある.ここで有性生殖を行う生物は,オスメス間でトレードオフが異なっていることが指摘される.有名なものは性淘汰形質だ.ガンの防衛も当然オスメス間でトレードオフが異なっているだろう.性淘汰が激しい生物ではオスの方が防衛が下がることが予想される.
  • ガンは多細胞生物の細胞間の協力とコンフリクトの視点からも考察することができる.

ここからは社会性のハチをモデルに協力とコンフリクトの面白いシミュレーションが紹介された.当然ながら様々な条件によって複雑な挙動を示す.これも興味深かった.


御著書


というところで基調講演は終了.大変チャーミングな講演で楽しかった.Kokkoさんは来日に際してもう1つオスの必要性についての講演「Males exist. Does it matter?」を用意していて,葉山と京都で講演されたようだ.私は時間がとれずに,聞き漏らしてしまった.まことに心残りである.


大会特別セッション 動物とヒトの共生


ヒトについて動物との関わりの中から見てみれば面白いだろうということで2人を招待して講演してもらうという企画.東アフリカのウシやヤギと,イヌがそれぞれのテーマ.普段あまり聞けない話で面白かった.

東アフリカ牧畜民と家畜の響存 波佐間逸博

ウガンダので現地民族の暮らしを文化人類学的にリサーチしている研究者のお話.
ウガンダの北東部の乾燥地帯にはドドスとカリモジョンという2つの民族が暮らしている.彼等は半定住でウシやヤギを飼って暮らしている.ウシやヤギは夜間は囲いの中にいるが,昼間は放牧し,朝夕に搾乳している.この牛乳は彼等の主要な食物の1つで,不足気味の季節には採血して血も飲む.

本日のテーマは家畜とヒトはどのように生きているか.

  • これまで西洋視点でのとらえ方では家畜について人間社会の経済原理から扱われることが多く,いかに増殖させるかが重要で,繁殖を統制しようとしてきた.しかしアフリカでは動物の能動性がかなり広く保たれている.ほとんど共生といっていいほどだ.そうするとヒトと家畜との間のコミュニケーションが重要になる.様々な行動が家畜にゆだねられる形で牧畜が営まれている.西洋では家畜に対してヒトが超越しているが,アフリカではより対等なのだ.西洋の見方は文化特異的なイデオロギーといっていい.
  • では家畜の能動性はどう保たれているだろうか.
  • ヤギは日帰り放牧する.放牧されたヤギは自律的に組織化され,一日中自由に移動して食事をする.そして放牧中の群れと囲いの群れはスケールが異なるが,彼等はそれぞれ自分がどの群れに属しているかを認知して自律的にそれぞれの群れに加わる.行動は社会的文脈に応じて使い分けられる.そしてヒトに対してはヴァルターのいう「擬獣化」を起こし,ヒトについて自分と同種と認知しているようだ.これにより牧童の目指す方向に共同注意が生じ,牧童がどの個体に対してコミュニケーションをとろうとしているかも理解している(実験すると自分に向けられたシグナルかどうかを80%以上の確率で識別できる).ウシはさらに牧童を個体識別し,仲間の牛も個体識別している.仲のよいウシかどうかは臭いでわかるらしい.(仲のよい牛が別の集落に売られて,その後殺されたときに,それについては何も知らないはずなのに,その牛は殺害場所でうめくような声を出して鳴いたというエピソードが語られた)
  • そして私は「響存」という概念を提示したい.ヒトは家畜をそれぞれ個性を持つ1個体として認知し,家畜側もヒトに対して擬獣化してコミュニケーションが成立し,響き合うのだ.
  • また彼等の中では家畜の強奪事件はあるが,それはあくまで個人間として処理され,グループ間や民族間の全面対立にはならない.それは様々な個人間ネットワークがあっていろいろな相互作用があるから全面的対決にならないのだろう.


参考書籍として紹介された本


最後の部分の解釈はややナイーブな感じもあったが,ヒトと家畜のコミュニケーションのところは様々な家畜の鳴き真似が混ざって大変面白いものだった.



ヒトとイヌとの絆形成におけるイヌの視線利用について 永澤美保

続いてイヌの研究者が登場.この分野では日本の第一人者の菊水さんの弟子に当たる.ローレンツの「人イヌにあう」のエピソードからつかみが始まる.

  • ローレンツの本には様々な個性を持つイヌたちが登場する.ローレンツは3タイプに分けている.「人間なら誰でも大好きイヌ」「誰に対しても忠誠を与えない孤高のイヌ」「主人にのみひたすら尽くすイヌ」ローレンツが最も愛したイヌは最後のタイプだったようだ.
  • ではヒトとイヌの絆というのはどう形成されるのだろうか.そもそも絆とは何か.私がこれを考えるようになったのは,アニマルセラピーを研究していたことがきっかけだった.当時のアニマルセラピーの理論は西洋からのものであくまで人間視点であってイヌ視点ではなかった.しかし私はイヌについて知りたかったのだ.
  • 絆(bonding)は通常このように定義される.「最も根源的な社会的関係であって,親和的関係とは区別され,特定個体間で生じ,分離・再会時に特異的な反応が見られる」

ここでの論点は3つ
(1)ヒトとイヌの間に絆は生じるか

  • マウスの母子で剥奪実験をしたものがある.それによると通常21日乳離れに対して14日で引き離すとコルチゾールレベルの上昇が見られ,大きなストレスがかかっているとがわかる.
  • ヒトとイヌで同じことを実験的に行うのは倫理的に問題があると考えられるが,イヌの保護施設で,福島で震災以降突然飼い主から引き離されたイヌと神奈川で保護されたイヌ(おそらくきちんとした主人を持たずに捨てられていたイヌ)の比較観察,その他の比較データをとることができた.それによると福島の震災イヌは明らかに大きなストレスを受けていることがわかる.だからヒトとイヌの間にも絆はあるのだと示せたといっていいだろう.

(2)オキシトシンの役割は何か

  • オキシトシンと絆についてもいろいろと調べられている.これは母子間で母のオキシトシン上昇→養育行動→子のオキシトシン上昇→絆を示す行動→母のオキシトシン上昇というポジティブなフィードバック構造になっていると思われる.

(3)ヒトとイヌの絆形成に役立つコミュニケーションはどうして可能なのか,どのように進化したのか

  • これはトマセロの仮説がある.それによるとヒトとイヌはチンパンジーやオオカミと異なったコミュニケーション能力があり,それは収斂ではないかというものだ


ここからそれについて調べてみた結果の報告

  • まず飼い主をよく見るイヌとあまり見ないイヌに分け,それぞれの飼い主と30分の交流をおこなってもらい比較実験を行う.すると飼い主側のコミュニケーションについての自己評価,飼い主,イヌのオキシトシンレベルすべてよく見るイヌの方が高かった.このことからオキシトシンループが働いている可能性が示唆される.
  • 次にイヌにオキシトシンを与えて,飼い主を注視するようになるかを調べた.その結果メスイヌにのみ効果が認められた.そしてメスイヌに見つめられた飼い主のみオキシトシンが上昇した.
  • 最後にオオカミとの比較.オオカミはそもそも飼い主をあまり見ないので単純な比較実験は難しい.ただふれあいはある.しかしふれあいによってオオカミにも,その飼い主にも,オキシトシンのレベル上昇は生じなかった.オオカミにはこのオキシトシンループは存在しないようだ.
  • というわけでなお課題は残っているが,ヒトとイヌの間にオキシトシンループを介した絆形成はあるといっていい.動物の絆形成はふれあいが基本だが,ヒトはそれを視線でも埋めようとする.さらに成長すると表象的なものでも生じる.そしてヒトとイヌの場合にはそれだけでなくいろいろな動きがある.将来的にはこの動きの効果も調べたいと思っていて,広いグラウンドで飼い主とイヌに自由に触れあってもらってそれを観察データ化するということを始めている.


いろいろな動画付きで大変楽しい発表だった.イヌの視線による絆形成がオオカミとの分岐以降だというのは,飼われるという新しい環境に適応してそういう素速い進化が生じたということなのだろう.



これは富士のクローズアップ,三浦半島から見ると左側に宝永火口が見える.