書評 「21世紀に読む『種の起原』」

21世紀に読む「種の起原」

21世紀に読む「種の起原」


これはグッピー自然淘汰実験で有名な進化生物学者デイヴィッド・レズニックによるダーウィンの「種の起源*1のガイド本.2009年のダーウィン生誕200周年,「種の起源」出版150周年のダーウィンイヤーに向けて書かれたものだ.*2

ダーウィンの「種の起源」は大変有名な本だが,多くの人が読破するのを挫折することでも知られる.一つには冒頭の議論が「家畜と栽培植物の変異」から始まっていて,そこではまだ遺伝の仕組みがわかっていなかった時代の推測と誤りも混ぜ込んだ記述が延々と続き,自然淘汰と進化のことを読もうと思っていた読者を大いにまごつかせることになるからだ.そしてもう一つには,現代の読者にはダーウィンの記述の特に論争がらみの背景がよくわからないということもあるだろう.
そしていくつか読書ガイドのような書物も出されている.今回のダーウィンイヤーに向けて書かれた初心者用のガイドとしては北村雄一の「ダーウィンの『種の起源』を読む」があったが,本書は本職の生物学者による重厚な,かつわかりやすいガイドになっている.

レズニックは「種の起源」について,以下のような構成になっていると整理し,その上で本書の著述方針を明らかにしている.

  • まず進化のドライビングフォースとしての自然淘汰とその結果生じる種分化について混在しながら解説している.そして理論の難点とそれへの反論,さらに理論がもたらす将来展望が描かれている.
  • 本書の構成はダーウィンの順序に必ずしも従わずにテーマごとに進め,所々に現在の理解を解説する.

この「種の起源」のテーマが自然淘汰と種分化だというのはレズニックの読み方ということになるだろう.ソーバーは生物の共通起源性がテーマで自然淘汰はその説明の一つだと読んでいたし,私の読んだ感想はあくまでこれは自然淘汰により進化が生じたことを主張している本で,系統樹も種分化*3自然淘汰により進化が生じたと考えて初めて理解できる観察されるパターンだと説明しているというものだ.ともあれここではレズニックに従って読んでいこう.

第1部「自然淘汰

というわけで最初は「自然淘汰」だ.先ほど書いたようにダーウィンの議論は「変異」(第1章が「飼育栽培下における変異」,第2章が「自然条件下の変異」)から始まっているが,それではわかりにくいということでレズニックはまずグラント夫妻のガラパゴスフィンチのリサーチも引きながら自然淘汰を概説している.
そこからダーウィンの議論に戻る.そして「種の起源」の第1章にある家畜と栽培植物のややこしい話を大幅に省略してその中心的な話題であるハトに絞ってダーウィンの議論を解説する.さらにここではダーウィンの後の著書「家畜と栽培植物の変異」に掲載されてる図などを補填してわかりやすくなるようにつとめている.
ダーウィンはまず個体変異があることを示し,さらに様々な品種のハトが単一起源であることを示し,ハトの各品種は起源種から分岐しつつ少しずつ変異して現在のような状況を形成したのだと議論する.レズニックはハトになじみのない読者のためにダックスフントが20世紀初頭から現在までにいかに変化しているかを示す写真を載せている*4
そしてダーウィンは連続的な変異の上に人為的な選抜がかかると,一定方向に変化が進み,原種から離れた別の品種になるのだと議論する.レズニックは遺伝と自然淘汰を巡る学説史をここで俯瞰して見せてくれる.ここはなかなか学説史として面白い.ダーウィンが跳躍的に見える変異より(おそらく量的遺伝形質である)連続的な変異を重視し,それはウェルドンとピアソンの(遺伝の粒子的性質を否定する)生物測定学派につながる.その後跳躍的な進化学説がメンデルの法則の再発見とともに隆盛になり,生物測定学派は消滅し,自然淘汰とメンデル法則の融合は量的遺伝を粒子的に説明する集団遺伝学者と総合説の登場まで待たなければならなくなるのだ.


変異と人為淘汰を解説した後「種の起源」第3章,第4章でようやくダーウィン自然淘汰の議論に進む.(「種の起源」を読むにはここまでの辛抱が肝心だ)
レズニックはダーウィンが淘汰圧として自然環境よりも生物間の相互作用を重視していることを指摘してから有名な自然淘汰の議論を丁寧に解説する.マルサス人口論からの生存競争の厳しさの指摘,その内容としてダーウィンが挙げるリソース競合,捕食,そしてさらに精妙な生物間相互作用の例,そしてその副産物として絶滅が生じることを説いている.
ダーウィンはこの自然淘汰がすでに説明した人為淘汰の延長として理解できることを強調する.このためにダーウィンは「種の起源」を家畜の話から始めているのだ.レズニックはここでダーウィンが人為淘汰とのアナロジーの限界にも気を配っていることを指摘している.

続いてダーウィンは性淘汰を提唱する.ダーウィンは性淘汰は自然淘汰より弱いだろうとコメントしている.レズニックはこれは「種の起源」の主要なテーマであり,かつ現代の理解とはずれている(ダーウィンの適応度の最終的な定義は「寿命の延長」だとしている)と書いている.しかしここは違和感がある.自然淘汰は個体が幼少の時の生死に大きく関わり(死ぬと子の数はゼロになる),性淘汰は子の数の大小に関わるだけのことが多いので,前者の方が(一般的に)強力だろうと言っているだけのように思えるところだ*5
レズニックはダーウィンの思考の背景を解説している.ダーウィンフジツボ類を長年にわたり研究し,そこに配偶システムの多様性をみた.そして有性生殖について深く考えることになる.また膨大な観察から異系交配の重要性を確信し,性淘汰についての理解を深める.ここではダーウィンが自らのイトコ婚に悩んだことにもふれている.なおこの部分の有性生殖にかかるダーウィンの考察はまことに深く,読んでいて感動的だ.レズニックは有性生殖の進化と維持自体が後に一つの独立した学問分科となったとしているが,詳細にはふれていない.このあたりは少し物足りない部分だ.

ダーウィンは続いて自然淘汰がよく働く要因として個体群の大きさを挙げる.なおレズニックは後のダーウィンの「家畜と栽培植物の変異」における進化速度の議論をここで紹介している.そこでは進化速度に効く要因として,集団の大きさ(これは変異がそれだけ交配集団に数多く供給されるだろうという推測による),物理的な隔離,種の移動性,繁殖様式(これは広域で頻繁に交配が生じると局所的な地域適応が進まないという考察による)が挙げられている.いずれも慧眼だろう.さらにダーウィン自然淘汰産物の特徴の一つとして,その場限りの修繕と再利用を挙げている.これは特殊創造論との対比において重要であるのだ.


さてレズニックは「種の起源」第5章の変異の法則に進む.ここも現代の読者には難解な章だ.
レズニックはまず当時の議論の背景を解説する.当時の英国学界の大立者リチャード・オーウェンは比較解剖学の権威であり,「原型」の概念と多くの補助法則を提唱した.ダーウィンの議論はこれらを自然淘汰から簡単に説明できるとするもので,オーウェンとしては容認できないものということになる.
またここでいかに多くの観察を重ねても,観察だけからメンデルの法則を推測するのは実は困難であることも強調されている.(ポリジーンによる量的遺伝形質が多いこと,メンデルのような結果を得るには,観察対象を純系でかつ連鎖のない単純なメンデル遺伝形質を持つものに限定する必要があり,それがその結果の一般性を疑わせていたことなどの要因がある)
ダーウィンは変異が外的条件により大きく影響を受けると考えていた.そしてレズニックは「ダーウィンが混合遺伝の誤りに陥っていた」と指摘し,これらを関連させて説明している.レズニックの理解では,ダーウィンは「混合遺伝により変異は平均化されて消えてしまうが,環境などの攪乱作用により常に新しい変異が供給される」と考えていたということになる.
ここもやや違和感のあるところだ.ダーウィンの遺伝の理解の最大の誤りは,(いくつかの観察結果から)獲得形質が遺伝しうると考えていたこと,そして変異の出現パターンが環境に依存していると考えていたことで,遺伝が粒子的であることは(様々な観察からも支持されるし,自然淘汰にとっても重要であるとして)認識していたというのが私の「家畜と栽培植物の変異」を読んだ感想だ.(だからダーウィンのパンゲネシス説は獲得形質をも引き継げる粒子的な遺伝要素を仮定している)

続いて遺伝と変異が絡む(そして遺伝が理解できていないために難解な)いくつかのダーウィンの議論を扱う.

  • 用不用:これはラマルク説の中心であるので獲得形質の遺伝とごちゃ混ぜになりがちだが,概念としては異なる.「種の起源」では「用」の方はほとんど登場しないが,「不用」はいくつか登場している.レズニックはダーウィンが不用と言うときには「使われない器官でなんらかのコストがあるものは自然淘汰により小さくなる」ことを主張していると整理して,それが現代で実証されていることを強調している.確かにダーウィンはそういう議論もしているが,やや曖昧な言い方に止まっている部分もある.多元的に理解していたのではないかというのが私の感想だ.
  • 変異性の高い部分:ダーウィンは,強い淘汰が働いていないもの,あるいは淘汰が短期間しか働いていないもの,性淘汰形質には高い変異があると書いている.ダーウィンはこれを分岐的な種形成パターンから説明できると議論しているが,難解だ.レズニックはその部分を引用しながら,ダーウィンの文章がすべて明晰ではなく晦渋的であるものもあることを示すのは「種の起源」が抱えていた困難を示すのにいいだろうとコメントしている.
  • 先祖返り:ダーウィンは祖先的な何らかの形質が受け継がれていることを示唆している.そしてこれも特殊創造論が認められない論拠となる.レズニックはここではダーウィンは融合遺伝以外の要素を考慮していると認め,今日ではこれは異なる遺伝子間の相互作用で(エピスタシス)で説明できると丁寧に解説している.


自然淘汰の部分の最後にレズニックは今日的な自然淘汰の解説をおいている.ここではレズニック自身のトリニダードでのグッピーのリサーチ(特に自然環境下での実験),生活史理論が楽しそうに解説されている.今日では進化が時にダーウィンが想定したより遙かに急速に進むことがわかっていることが強調されている.秀逸なインターミッションだ.

第2部 「種分化」

レズニックはまず前置きの章をおいている.「種の起源」を読めばわかるが,ダーウィンは「種」の定義をしようとしていない.結局ダーウィンは,種と変種は連続的であって,原種の一部が少しずつ変わっていって(転成),新しい種になるのだと議論している.レズニックはダーウィンの議論の論点は種分化にもあるのだと主張する.そしてそう見えないのは,ダーウィンは特殊創造論者を仮想論敵においているので種の転成を納得させることに集中しており,種の定義に関心がなかったからだとしている.
そしてその後の学説史を概観する.集団遺伝学ではその問題は解決できずに,ドブジャンスキーとマイアが種の定義(生物学的種概念)を確立した.さらにコインとオールにより生殖隔離の重要性をキーとして種分化が総説される.そしてこれらの業績はダーウィンの議論の延長線上になされたもので,ダーウィンが連続線上に種という固まりがあることを強調しなかったからといってその議論が「種の起源」,そして種分化を扱っていないとすることはできないとレズニック流の解釈の立場を明らかにしている.


ではダーウィンの議論をみていこう,レズニックは「種の起源」の第2章の後半に戻る.ここでダーウィンは個体変異と種のあいだの連続性を強調し,「種」が不明確であり分類学者間で意見が一致しないことを挙げている.そしてそこには拘泥せずに自然淘汰によって種が連続的に変化しつつ分岐していくことを説明しようとする.
ダーウィンは優占しているグループがもっとも多様(種数が多い)であること,そして多様なグループは変異が多いというパターンは,自然淘汰において種分化が生じると考えると説明できると議論している.レズニックはこのパターンについてアメリサンショウウオの魅力的なリサーチを紹介している.


次は「種の起源」第4章の後半だ.
第4章のこの部分までにダーウィン自然淘汰がどういうときによく働くかを議論していて,個体数が大きいことを挙げていた.ここではそれに続いて隔離が生じて小集団になった場合も自然淘汰が働きやすいと述べている.そしてこの両要因の相互作用について丁寧にいろいろな例を挙げて説明している.最終的にダーウィンは淘汰の主要な部分が生物間相互作用であることを強調して(隔離の代表としての)島におけるよりも(個体が多いことの代表である)大陸の上で進化がより進むと推測している.
レズニックはダーウィンがここで種分化のモデルを提示していると読む.ダーウィンは「大きな個体群が何らかの理由で隔離されてそこで自然淘汰を受け,後に隔離が解かれたときに原種と競合することによって(互いに離れる方向に)淘汰が強くかかり,ついに別種として分岐する」というモデルを提示し,その背景にはライエルの議論のアナロジーがあるのだとする.確かにここでダーウィンはこのような種分化についての考え方の基礎を提示している.ただダーウィンの書き方は曖昧な部分もあり,さらに後の分岐の原理の扱い方も含めて同所的な種分化をむしろ念頭に置いている風でもある.レズニックの解釈はかなり引きつけた読み方という気もしないでもないところだ.
絶滅を自然淘汰の副産物として説明した後,ダーウィンは「分岐の原理」に進む.これは生物相互間を主要因とする自然淘汰の性質から生まれる原則で,近縁な生物個体群は群間でリソース競合を起こし,逆方向に性質を分岐させていくというものだ.ダーウィンはこの分岐の原理を非常に重要なものとして扱っているが今日それはほとんど取り上げられない.
レズニックはその背景を解説する.ダーウィンは種と変種を連続的にみているために,同所的な種分化と,別種になった後の分断淘汰を区別していない.そしてマイアは繁殖隔離のないところでの同所的種分化は生じ得ないとしてダーウィンを批判したのだ.
そしてダーウィンはこの分岐の原理が働いた場合に生物がどのように分岐していくかを有名な「種の起源」に掲載された唯一の図を用いて説明している.この図では優占生物グループがより分岐を繰り返して広い生態ニッチを占める大グループを形成する一方で生きた化石を示すようなグループや絶滅も描かれている.
レズニックは丁寧にダーウィンの意図を解説する.そしてその後の適応と放散の生態学の進展も解説してくれている*6


レズニックはここから「種の起源」第11章「雑種形成」に飛ぶ.通常の読み方では,ここでダーウィンは「種間雑種の不稔性にはありとあらゆる連続性があって,それは種が特別の単位として創造されているものではない」ことを示していると主張し,不稔性自体は副産物であると議論していると読むところだ.(淘汰単位を巡る論点においてダーウィンが個体淘汰的だったことをよく示している部分だと思う)
レズニックは,雑種の問題を種の現代的定義の不可分な部分だとして種分化の議論として扱っている.ダーウィンはケールロイターやゲルトナーの報告を引用しつつ最後に否定しているが,このあたりのレズニックの解説は当時の特殊創造論の主張の背景をよくわかるように解説していて面白い.
そして最後にレズニックによる「現代的な理解の元で種分化についてダーウィンをどう読むべきか」という解説がある.現代的な理解では自然淘汰が種分化に果たす役割は繁殖隔離にかかる状況に依存する.一部の状況はダーウィンの想定通りだし,一部の状況では繁殖隔離自体を自然淘汰が引き起こすことがあり得るのだ.レズニックは異所的種分化(さらに地域隔離の間に繁殖隔離が成立する場合としなかった場合)そして同所的種分化に分けて,種分化の現代的理解を簡単に解説している.


ここで二つ目のインターミッションとして「今日の進化論」がおかれている.非常に素早い種分化が実際に生じた実例としてロンドンの地下鉄の構内に生息するチカイエカを取り上げている.題材としても面白いし,ダーウィンの考えが実際に(ダーウィンの時代以降に)生じていることも示していて面白い.このほか有名なトゲウオの湖型の防御トゲがなくなる進化,リンゴミバエの同所的種分化の実例も解説されている.レズニックの迅速な進化,そして種分化にかかる意気込みがよくわかる.

第3部 「理論」

第3部は自然淘汰による様々な現象の説明が広がっていくことを扱う.私の読み方では種分化や系統樹もここに含まれるわけだが,レズニックは種分化以外をここでまとめているということになる.
レズニックはまず英語のTheoryには単なる憶測という意味もあって特殊創造論者がそれを利用した議論をしているのを批判し,進化が確固とした事実に基づいていることを説明する.その上で「種の起源」の後半部分が自然淘汰の説明力の及ぶ射程を提示していると指摘している.それは行動,相同性,化石解釈,生物地理,発生などの各分野に及ぶ.そしてレズニックはこのダーウィンの態度はヒューエルの言う最良の科学の条件を満たすそうとするものであり,実証的な証拠と一般的理論の論理的整合性を求めている,つまり「機能の統合」として,ある一般理論が多くの観察事実を説明できることを積み重ねているものだとコメントしている.


最初は「種の起源」第6章の「理論の難点」だ.ここはダーウィン創造論者から浴びせかけられるであろう批判を前もって予想してそれについて反論をしている部分として有名だ.
ダーウィンは様々な論点について議論しているが,基本的には連続している進化を経た自然界にギャップがみられるのはなぜかということが問題にされている.それは移行種が連続的に分布していないというギャップだったり,独特の習性や構造を持つ生物種がいて祖先種との中間型が見あたらないことだったり,完成度の高い複雑な器官だったりする.それらをダーウィン自然淘汰から説明できると議論している.レズニックはダーウィンの説明に沿って時に補足しながら説明している.なおここで,なぞめいたミツバチのオスの生産,返しのついた針の起源についてのダーウィンの面白い考察があるが,これについてレズニックは省略している.なかなか理論的に面白いところだけにちょっと残念なところだ.


ダーウィンは次に「種の起源」第7章で本能を議論する.これも学説の難点の一つとして扱われている.これは現代的に言うと行動の進化でまさに行動生態学の前身と言うべきところだ.まず他種のためにある行動が進化することはないという現代的論点を扱っている.これは当時の創造論との議論で重要なところなのだろう.続いてダーウィンは行動に変異があり,遺伝することを示し,自然淘汰で特定の行動パターンが進化することができることを丁寧に議論している.ダーウィンは様々な例を挙げているが,レズニックはその中で奴隷アリを取り上げて詳しく解説している.ダーウィンはハチの六角形の巣房についても非常に詳しく議論しているので,この解説も省略せずにやってほしかったところだ.続いて社会性昆虫のワーカーの問題が取り上げられている.レズニックはワーカーの問題を「ワーカーの不妊性」「同じ両親から異なる形態の個体が発達すること」に分けている.前者は利他性の進化に絡んでダーウィンが包括適応度の考え方にいかに近づいていたかとしてよく引き合いにされるところだ.実際に読むとダーウィンの問題意識は利他性のところよりも不妊のワーカーからいかに遺伝的形質が受け継がれるのかということだったことがわかる.そしてそこでダーウィンは家系を通じて伝わるというアイデアを持っていたのだ.レズニックは包括適応度とダーウィンの理解については特に解説していない.ここも少し物足りないところだ.逆に条件依存の複数の発達パスを持つ遺伝的性質の進化についてはダーウィンの議論と今日的理解を詳しく解説してくれている.


種の起源」第9章と第10章はやはり学説の難点の一つとして化石記録の不完全性が扱われている.
レズニックはここで時代背景として当時の学説史を解説している.地球の歴史が聖書の示す数千年より遙かに古いと理解され始めた頃からの地質学史は読んでいて面白い.まず化石生物と現生生物の違いが問題になる.そして絶滅を巡って転成説と分岐説が争う.そしてダーウィンは後者に大きな理論的支柱を与えたのだ.片方で激変説と斉一説も争われる.ダーウィンは徹底的に斉一説の立場に立って「種の起源」を執筆している.
そしてダーウィンは化石記録に連続性がないことについてそれが不完全であるからだと主張し,様々な論点から議論している.そこでは生物が化石になること自体がまれであること,自然淘汰の働き方から考えると中間種は分布域も数も少ないことが想定されること,化石になる地層の形成が連続的ではないことなどを主張している.
レズニックはダーウィンの議論を要約した後,これにはその後の化石記録の発見についての予想が含まれていると指摘している.まず発掘が進み中間型が見つかるだろうというもの.これは実現している.そしてシルル紀以前(今で言う前カンブリア紀)からも連続的な化石系列が得られるだろうというもの.これも実現されたが予想外のひねりがあったとレズニックはコメントしている.
またダーウィン自然淘汰でうまく説明できる(そして創造論からは難しい)化石記録パターンも挙げている.いったん絶滅した種は二度と現れないこと,世界中でほぼ同時に生物相が変わること,絶滅種と現生種に近縁性がみられることなどだ.

レズニックはこの化石記録の説明の最後に今日的な理解を解説してくれている.地球の正確な年代推定,前カンブリア紀の生物の進化,大量絶滅だ.レズニックは明言していないが,ダーウィンの理解は特に斉一説にこだわった部分で間違っているようだ.ダーウィンほどの人でも尊敬するライエルの考えをイデオロギー的に扱ってしまったということだろうか.巨大隕石が降ってきたことが事実であることをダーウィンが知れば何と言っただろうか.


ここからは「種の起源」でダーウィンが自らの学説の延長上に何があり得るかを示した部分だ.レズニックの解説もほぼダーウィンの記述に沿ってなされている.

まず生物地理学.ダーウィンは「種の起源」第11章,第12章で様々な生物の地理的分布について(創造論では説明できず)自然淘汰でこそ説明できると主張している.そして大陸の動物相と沿岸の島の動物相の関係,離れた地域への分散(この背景には陸橋説との論争がある),氷河期による生物分布の変動,淡水生物の移動,大洋島の生物相などを扱っている.ここでダーウィンは種が分岐すること,地理的障壁,分散で地理的分布が説明できると主張している.そしてレズニックはプレートテクトニクス大陸移動による分布パターンというダーウィンが予想できなかった後の理解の進展を解説している.

次に「種の起源」第13章で分類学,発生学への延長が扱われている.レズニックは創造論による神のプラン,そしてリンネの分類について簡単に解説してからダーウィンの議論を扱う.ダーウィンは自然な分類は共通祖先性,つまり系統樹を反映したものになると主張する.そして相同性は共通祖先性から説明できるとする.これは当時の大立者オーウェンを激怒させるに十分だった.発生についても自然淘汰を考えれば固定的絶対的な規則はなく,一般的な傾向のみ見つかるはずだと議論した.このあたりのレズニックの解説は背景の論争を解説しながらのもので大変わかりやすい.またレズニックは1990年代に分子系統分析からの驚くべき結論からアフリカ獣上目が新設された経緯を付け加えている.

そして「種の起源」最終第14章は「要約と結論」だ.レズニックはダーウィンの記述は「開口の辞」「検察側陳述」「弁護側陳述」「最終弁論」の構造になっているとしてそれぞれ丁寧に説明している.
ここでレズニックはダーウィンの予想「分類学者はある生物が種かどうかを巡って悩まなくなる」だけは当たらなかったとして,それはより洗練された種の定義がなされたこと(マイアの生物学的種概念を指している),そしてやはり(ダーウィンの指摘通り)グレーゾーンが残っているからだとしている.このあたりはレズニックの立ち位置からの解説ということだろう.
そして「種の起源」の有名な最後の段落を引用し,ダーウィンの時代の学者たちの「種の起源」への反応を解説している.


こうして「種の起源」を解説し終えてからレズニックは最終章をおいている.その後ダーウィン学説は1930年代の現代的総合を迎えるまでしばらく眠り続けるような時期を迎える.
レズニックはそれはダーウィンが望んだ証拠が得られなかったことが要因の一つであるとし,自然淘汰自体の実証,種分化の目撃,地球の古さの確定,実証化石が挙げられている.これらはその後次々に得られている.そしてもう一つ,遺伝のメカニズムが不明であったことがあるとする.レズニックは遺伝の正しいメカニズムは(メンデルの法則の再発見時には逆に解釈されたが)むしろダーウィン説を補強するものだったとコメントしている.
そしてレズニックは最後にダーウィンが「種の起源」でいずれ光が当てられることになろうとだけ書いた人類進化についての現在の理解をまとめて本書を終えている.


というわけで,本書は「種分化」「種形成」そして「自然淘汰」自体を研究する第一人者による非常に深い「種の起源」ガイド本だ.記述をテーマごとに整理するなどの工夫が凝らされており,時代背景,当時の論争状況が解説されていることとあわせて「種の起源」に初めて挑戦する読者の理解を大きく助けるだろう.またレズニックは種分化にかなりこだわった読み方をしているが,これも「種の起源」を何度も読み込むような私のような読者にとって様々な見方がわかる部分で面白い.私がダーウィンを読むとどうしても行動生態的な部分に目がいってしまうが,ダーウィンは実に広く深く議論していて一つの視点だけからは気づかないことも多いのだ*7.私は今回本書とともに渡辺新訳の「種の起源」をあわせて読み込んだが,こんな記述があったのかと改めて気づかされることもやはり多くて大変楽しめた.極上のガイドとしてすべてのダーウィンファンに推薦できる.


なお参考ながら私がダーウィンイヤーに読み返したときの「種の起源」ノートはhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20090326以降に掲載している.



関連書籍


原書

The Origin Then and Now: An Interpretive Guide to the Origin of Species

The Origin Then and Now: An Interpretive Guide to the Origin of Species


北村雄一によるガイド本.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20090324

ダーウィン『種の起源』を読む

ダーウィン『種の起源』を読む


光文社古典新訳文庫の渡辺による「種の起源」新訳.現在半額セール中

種の起源(下) (光文社古典新訳文庫)

種の起源(下) (光文社古典新訳文庫)


コインとオールによる種分化の総説.レズニックによるとこの分野の基本書ということだ.

Speciation

Speciation




 

*1:訳者垂水は(渡辺の新訳が採用した)「種の起源」でもかまわないのだがと言いながら,ここでは「起原」の字を当て,本書の歴史的な意義にかんがみ他書と区別するためと説明している.本書評では私の好みに従って「起源」という字を当てることとする.

*2:実際の出版は翌年の2010年になったようだ

*3:ダーウィンは確かに「分岐の原理」を重要なものと扱っている.私の読み方ではそれは永年ダーウィンを悩ませた「なぜありとあらゆる中間的な生物が連続して分布していないのか」という難問を解決してくれるものとして(自然淘汰学説を確固とするために)重要だったと考えていたということになる.

*4:ダーウィンはスパニッシュポインターで似たような議論をしている

*5:繁殖に失敗すると子が残せなくなるような場合には性淘汰圧も非常に強くなることについて(ダーウィンの理論に沿って考えて)ダーウィンに異論があるとは思えない

*6:ここではアメリサンショウウオの分子系統樹を提示して,まさにダーウィンが示したような系統樹になっていることを示している.なおアダプティブダイナミクスのような理論的な部分はふれられていない.そこはちょっと残念だ.

*7:私的には「分岐の原理」と同所的種分化と分断淘汰の整理が面白かった