Enlightenment Now その15

第7章 食糧 その2


ここまでピンカーはここ数十年の世界的な食糧事情の好転をデータとともに示してきた.ここでピンカーは問いかける.ではそれはどう考えられるべきなのか.

  • これらのすべてのことは予想されていなかった.1798年にトーマス・マルサスは飢饉の頻発は不可避であり,状況は悪くなり続けるだろうと主張した.人口は幾何級数的に増加し,食糧は算術級数的にしか増加しないからだというのがその説明だ.このマルサス的思考がすさまじい勢いで復活したのは割と最近のことだ.
  • 1967年にパドックは「飢饉1975!」を執筆した.1968年に生物学者ポール・エールリッヒは「人口爆弾」という本で「人類すべてに食糧を供給しようという戦闘は終わった」と書き,「1980年代には65百万人のアメリカ人が餓死し,世界全体では40億人が餓死するだろう」と予想した.・・・・
  • エールリッヒたちは食糧援助をやめるべきだと議論した.ロバート・マクナマラは1968年から1981年まで世界銀行の総裁であったが,「それが厳しい人口抑制政策とセットになっていない限り」食糧援助のファイナンスに反対した.
  • 一体マルサスは何を間違っていたのだろうか.
  • まず,人口は永久に幾何級数的に増加するわけではないということだ.なぜなら人々がリッチになると赤ん坊は生き延びやすくなり,より少ない数の子供を持つようになるからだ.そして逆に飢饉が人口を長期間抑制することもない.飢饉は子供と老人を殺し,一旦食糧事情が好転すると生存者は素速くたくさん子供を作ろうとするからだ.かつてハンス・ロスリングが言ったように「貧しい子供を殺しても人口成長を止めることはできない」のだ.
  • 食糧増産についてもマルサスは見落としていた.土地をうまく扱う新しい知識によって(ある程度まで)食糧を幾何級数的に増産することができる.
  • 農業開始以来人々は人為淘汰によって植物や動物を遺伝的に改変してきた.そしてその増産カーブを上向かせる方法が発見されたのはまさに啓蒙運動と産業革命の時代だった.18世紀に英国でムギの穂を増やす育種がなされた.輪作,鋤や種まき機の改良.機械化,化石燃料の利用が続いた.さらに鉄道などの運輸手段,倉庫や冷蔵庫などの保管手段の発達により収穫された食糧を効率的に利用できるようになった.
  • しかし真のブーストは化学によるものだった.20世紀の始めに化学的に合成した窒素肥料を利用できるようになったのだ.1ヘクタールあたりの穀物収穫量はうなぎ登りに上昇し,価格は下がった.この効果は眩暈がするほどのものだ.
  • 1950年代60年代にはもう1つの巨大な進歩があった.「緑の革命」だ.ノーマン・ボーローグは進化を出し抜き,途上国に革命をもたらした.植物は互いに光を巡って競争するために茎の高さに投資するように進化している.しかしこれは全体としては無駄だ.ボーローグは茎が短く日照時間に鈍感で収穫量の高い品種を創り出した.これを最新技術による灌漑,施肥,輪作管理と組み合わせることにより,彼はメキシコ,インド,パキスタンなどの飢饉の頻発していた国をほとんど瞬時に穀物輸出国に変貌させた.
  • 緑の革命はまだ続いている.これは今「アフリカの秘密」と呼ばれ,モロコシ,ミレット,カッサバなどの収穫量を改善しているのだ.
  • 緑の革命によって世界は同じ食糧を生産するのにそれまでの1/3の土地しか要さなくなった.別の言い方をすると1961年から2009年にかけて農業用の土地面積の増加は12%だが,収穫量は300%になったのだ.そしてこれは食糧だけでなく,環境にとってもいいことだ.実際に温帯地域では森林が増加し始めているのだ.


要するに第二次世界大戦以降の知識人はマルサスを恐れすぎていたのだ.実際に生じたのは,経済成長とともに人口増加率は下がり,化学肥料の開発,個体淘汰による宿命的な無駄を育種によって取り除いた「緑の革命」によって生産性は3倍近くになり,その分環境破壊も抑えられたということだ.つまり世界に福音をもたらしたのは,経済成長と化学合成知識と遺伝的改良だというのがピンカーの指摘だ.そしてもちろん進歩恐怖派はこれに反発する.

  • 遺伝的エンジニアリングは,昔の農民の伝統的な育種やボーローグの育種と同じことを行う.高い収量,ビタミンなどの栄養素の付加,干魃や塩性への耐性,病虫害への耐性,土地面積の縮小,肥料や農薬の使用節減を可能にする.何百ものリサーチ,すべての主要な健康機関,科学機関,百人以上のノーベル賞受賞者がその成果の安全性を証言している.
  • しかし伝統的環境保護グループは,その「慣習的な飢餓への無関心」とともに,人々に遺伝子組換え作物を供給することを止めさせようとする狂気じみた十字軍活動に従事している.しかもその攻撃対象は先進国の企業だけでなく途上国の貧しい農民にも向けられているのだ.
  • 彼等の反対は,聖なるしかし無意味な「自然さ」へのコミットメントとともに始まる.それは彼等を「遺伝的汚染」「自然をもてあそぶ」ことへの非難と「エコロジカルな農業」による「真の食糧」の推進に向かわせる.彼等は科学的に無知な人々の中にある本質主義と汚染に関する原始的直感を利用しているのだ.
  • 全く意気消沈させるスタディによると,大衆の半分は「普通のトマトには遺伝子は含まれず,遺伝的改変トマトには遺伝子が含まれている」「食糧に組み込まれた遺伝子はそれを食べた人のゲノムに取り込まれる可能性がある」「オレンジに組み込まれたホウレンソウの遺伝子は,そのオレンジをホウレンソウ味に変える」と考えているそうだ.そして80%の人々はすべての食品に「DNAを含む」という表示を義務づける法律を支持している.
  • エコロジーライターのスチュワート・ブランドはこう言っている.「環境団体は,それまで我々が間違ってきたどんなことよりも遺伝的エンジニアリングの反対によって世の中を害している.それは人々を飢えさせ,科学の発展を阻害し,自然環境を毀損し,私たちの持つ重要な技術を否定しているのだ.」
  • ブランドがここまで言うのは,遺伝子組換え作物はまさに食糧に問題を抱えた地域にとって有効な解決策になるからだ.サブサハラアフリカは土壌に恵まれず,気候が不安定で,運輸ネットワークも発達していない.化学肥料と遺伝子組換え作物の組合せはこの地域の食糧問題を大きく改善するだろう.


まことに遺伝的エンジニアリングに対する狂気じみた反対は厄介だ.日本ではピンカーの引用するような誤解はもっと少ないと信じたいところだが,でも単純に「遺伝子組み換え作物にはリスクがあり,よくないものだ」と信じている人が大半ではないかという気がする.この狂気に押されてかマスメディアはそもそもの安全性について検証して報じようともしない.私は個人的にはこの問題は反ワクチンなどと並んで既に「カルト宗教の是非」の領域に近いのではないかと感じている.


ピンカーは最後に食糧問題に関うる直接の食糧生産以外の問題にも触れている.次章以降への予告編というところだ.ここでも最大の厄災はイデオロギーであることがほのめかされている.

  • 食糧安全保障は農業だけの問題ではない.食糧危機は不作だけでなく,戦争や貧困でも生じる.一人あたりの食糧摂取の改善は食糧生産の改善だけによってもたらされたわけではないのだ.
  • 19世紀のアフリカやインドの飢饉は確かに不作によって始まった.しかし植民地政府による植民地人民のウェルビーイングに無関心な政策により悪化した面も確かにある.
  • 20世紀になり植民地政府も少しは統治民に関心を向けるようになった.しかし今度は別の政治的破局が問題を悪化させるようになった.
  • 20世紀に飢餓によって亡くなった70百万人のうち80%は,集団農場,処罰的収奪,計画経済を特徴とする共産主義統治の中で生じている.これにはロシア革命やそれに続く内戦,スターリンの恐怖政治化で生じた飢饉,毛沢東の文化革命時の飢饉,ポルポト北朝鮮のキム政権下の飢饉が含まれる.そして植民地から独立したアジアアフリカ諸国の多くは,イデオロギー的にはファッショナブルだが,経済的には厄災的な政策(集団農場,輸入制限.食糧の価格統制など)を実施した.そしてしばしばこのような国は内戦に陥り,食糧供給網は破壊され,内戦両当事者は相手の飢餓を戦術として用いたのだ.
  • 幸運なことに1990年代以降豊穣への前提が世界の様々な場所で満たされるようになった.一旦食糧増産の秘密が理解され,インフラが整備されると,飢饉を減らせるかどうかは,貧困と戦争と専制政治を減らせるかどうかにかかってくる.次はこれらの要因についてみていこう.