Enlightenment Now その16

第8章 富 その1

経済的な豊かさは人々のウェルビーイングにとって重要だ.そしてこの面でも世界は進歩し続けている.しかしそれは見過ごされがちだ.ピンカーは現代の人々が持つ貧困だった過去の時代を美化する傾向についてこう始めている.

  • 経済学者のピーター・バウアーはこういった.「貧困に原因はない.しかし富には原因がある.」 エントロピーと進化により決まる世界では道路がお菓子で舗装されていることはない.しかし,人々はしばしばそれを忘れ,富が当然にあるものだと思い込む.
  • 歴史家は勝者が裕福であったことを強調しないし,ヒューマニティについてレジャーや教育と結びつけて論じることもない.経済学者のローゼンバーグと法律家のバードゼルはこう指摘する.「私たちはほかの時代にはびこっている貧困について忘却するように仕向けられている.それは優美に書かれた文学や詩や伝説には何不自由なく生活している人々ばかり登場し,貧困について触れないからだ.貧困の時代は神話化され,田園の簡素さを持つ黄金の時代として記憶されるのだ」


ここでピンカーは第7章でも引用した歴史家ノルベルグや歴史家チッポラによる貧困の時代の描写を引用している.産業革命前では欧州でも貧しい人々は低賃金で厳しい仕事を長時間やるほかなかったのだ.

  • 富の創造こそ説明されるべきだということは,現代社会の政治的論争においても放っておかれやすい.論争では富をどのように分配するかばかり議論され,富がそこにあることは前提になってしまっているのだ.
  • 「世界の始まりから(一定量の金のように)定量の富がある」という認識は経済学者が「定量誤謬」あるいは「物質的誤謬」と呼ぶものだ.しかし啓蒙運動思想家の中に「富は創造されるものだ」と洞察するものが現れた.富は知識と協力,人々のネットワーク,リソースの配置,独創性と労働によって生みだされるのだ.そしてそれは,我々はどのようにして富を得るかを理解することができるということを意味する.

ここでピンカーは世界中の富(もはや国ではないのでGDPではなくGWP; Gross World Productと呼んでいる)の推計についての紀元1世紀から直近までの推移グラフをおいている(データソースはOur World in Data 2016;元データは世界銀行).それは1800年までほぼ横這いで,20世紀後半から急上昇する形になっている.

  • GWPは1820年産業革命開始以降100倍,啓蒙運動開始以降では200倍になっている*1政策論争ではよくパイをどう分けるかという言い方をする.その言い方に倣うと1700年には直径9インチ(約23センチ)だったパイが現在では直径10フィート(約3メートル)以上になっていることになる.
  • そしてGWPを繁栄の評価として使うなら,繁栄を大きく過小評価することになる.この推計においては各時代各地域の通貨価値を消費財のバスケット購入価格で調整している.そして不変の消費財バスケットという前提は,テクノロジーの進歩による消費財の質の向上を無視し,全く新しい商品の価値を反映できないことになる*2.さらにそこには消費者余剰が計算に入っていないという問題もある*3


ピンカーがここで強調しているのは,世界の豊かさはこの極端なカーブよりさらに急激に増えているということだ.冷蔵庫やエアコンなしの生活を考えると,これらの機器価格の外側に大幅な消費者余剰があるのは間違いない.そしてスマホやPCもそうだろう.

  • 何がこの「(貧困からの)大脱走」を可能にしたのか.最も明白な要因は,科学の物質的生活向上のための応用だ.産業革命における機械や工場,農業革新における生産的な農場,保健衛生革命における水道パイプは,人々に,衣類,道具,車,本,家具,食品,上水道,その他の供給を可能にしたのだ.個別散発的に行われていた発明や工夫は科学の応用によって広がり,加速した.さらに科学と技術の双方向フィードバックは化学肥料,感染症の撲滅に結びついた.
  • この科学の応用を可能にした2つの革新がある.1つは制度だ.これにより財やサービスやアイデアの交換が進む.国家をうまく機能させる自然な方法は,エリートたちに保有資産からの収益などの特権を認める代わりに互いに殺し合いをしないことに合意させることだ.そして18世紀の英国でこの身内びいき主義がオープン経済に道を開いたのだ.誰が誰に何を売ってもよく,その取引は法により保護された.
  • そしてもう1つの革新は価値観の変革だ.これを経済史家のマククロースキーは「ブルジョワの徳」と呼んだ.それまでの貴族的,宗教的,軍人的価値観は,商業を汚いものと見下した.しかしやはり18世紀の英国とオランダで商業は倫理的で向上的だと捉えられるようになったのだ.ヴォルテールをはじめとする啓蒙運動家は,商業精神を派閥的な憎悪を溶かし消すものとして賞賛した.啓蒙運動は「私はいかに救済されるのか」という究極の問いを「どうやって幸福を得るのか」という実践的な問いに変えたのだ.そして商人は威厳と威信を持つようになった.ナポレオンは英国を「商売人の国」と呼んで蔑んだが,その当時既に英国人はフランス人より83%も多く稼ぎ,カロリーも1/3余計に摂り,そして今では皆ワーテルローで何が起こったかを知っている.
  • そして英国とオランダで始まった大脱走は,すぐにほかの国々でも追随することになった.ドイツ諸邦,北欧諸国,英国植民地由来のオーストラリア,ニュージーランド,カナダ,そしてアメリカ合衆国だ.かつてマックス・ウェーバーはこれをプロテスタント精神と結びつけた.しかしそれに含まれないような国々もすぐにこれに追随した.


ここでピンカーは1600年から現在までの国別のGDP推移のグラフ*4を示している(データソースはOur World in Data 2016;元データは世界銀行).特にプロテスタント国かどうかは関係ないことがよくわかる.

  • この国別のグラフは経済的繁栄の物語の驚くべき第2章をよく示している.それは20世紀の後半に生じたものだ.貧困国も貧困から抜け出し続けているのだ.「大脱走」は「大収斂」に向かっている.つい最近まで貧困国だった韓国,台湾,シンガポールは富裕国の仲間入りを果たした.1995年以降世界の途上国109国のうち30国(バングラデシュ,エルサルバトル,エチオピアなど多様な国が含まれる)は18年ごとに倍増するペース以上での経済成長を遂げている.その次の40国は35年ごとに倍増するペース(これはアメリカ合衆国の歴史的な成長率になる)以上だ.2008年の中国とインドの一人あたりGDPは,それぞれ1950年と1920年スウェーデンの水準に達している.2008年の全世界平均一人あたりGDPは1964年の西欧の水準に達しているのだ.極端な貧困は今や消滅しつつある.世界はミドルクラスになりつつあるのだ.


要するにまず18世紀の英国とオランダで科学の応用,オープンマーケットへの法による保護,価値観の変遷が生じて爆発的な富の創造が始まった.それは現在も継続中であり,そして第二次世界大戦後,特に1980年以降途上国で大きな経済成長の波が生じているということだ.日本にいると1990年代のバブル崩壊以降デフレ傾向が続いていてこのあたりは感じにくいかも知れない.しかしこれは日本が世界の中ではむしろ特異点になっているのであり,世界全体の経済成長は続き,さらに中国やインドの世界平均を上回る経済成長によって世界はミドルクラス化しているということになるのだ.

*1:ただしこれはグロスの数字で,ピンカーは一人あたりに直してはいない.個人個人のウェルビーイングを問題にしているのだから一人あたりの数字を持ってくるべきだっただろう.

*2:ピンカーは1800年に冷蔵庫とスマホが与えてくれる便益を可能にする財を購入しようとしたら一体いくらかかることになったのかと読者に問いかけている.おそらく世界中の富をあわせても不可能だったはずだ

*3:ピンカーは現在冷蔵庫が500ドルだとして,人々にそれをあきらめさせるには何ドル払えばよいかを考えてみようと問いかけている.それは確実に500ドル以上のはずだ

*4:こちらは1人あたりにしている