Enlightenment Wars: Some Reflections on ‘Enlightenment Now,’ One Year Later その4

quillette.com
 
次の批判は現代社会は人々の幸福感を蝕み,鬱や孤独や疎外,そして精神疾患や自殺が増加しているに違いないという思い込みからの批判になる.これは事実の誤認の上の批判だが,結構多く見られるということだろう,ピンカーは丁寧に対応している.

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

 
 

<批判 その7>
  • リベラルな先進国における絶望,鬱,孤独,精神疾患,自殺の増加をどう説明するのか?

 

<応答>
  • 説明などしない.なぜならそんな増加など生じていないからだ.
  • とはいえいくつかのサブポピュレーションは悲劇的に苦しんでおり(特に中年で低教育で田舎に住む白人アメリカ人はそうだ),そのため人々はどんどん不幸になっているという信念は非常に強固な幻覚になっている.それは「楽観度ギャップ」「『個人的楽観度/全国的悲観度』コントラスト」「ソロー幻覚」とでも呼ぶべきものだ.これについての良い概説はマックス・ローザーとモハメッド・ナジーによるOur World in Dataの記事になる.そこでグラフで示されているのは,すべての国で人々は「周りの人は自分より不幸だ」と考えているということだ.例えばアメリカ人は,「アメリカ人の過半数は幸福ではない」と考えているが,実際には90%が幸福だと答えるのだ.

ourworldindata.org

 

  • いくつかの特定の主張を見て見よう.リベラルな先進社会は疎外と絶望の掃き溜めどころか,実際のところ世界で最も幸福な場所だ.「The World Happiness Report 2018」によると世界で最も幸福な10カ国は,最もリベラルで先進的な北欧5カ国,スイス,オランダ,カナダ,ニュージーランド,オーストラリアだ,そして都市伝説と異なりブータンはそれほど幸福ではない(156カ国中97位).

worldhappiness.report


(なおこのリポートの幸福度は基本的にはアンケート調査に基づいて算出される.本記事のあと2019年3月に2019年版が出されている.これによると上位国はほぼ同じだ.ただしオーストラリアが11位に後退し,代わりにオーストリアが10位に入っている.アメリカは19位,日本は58位だ.日本の低順位についてはアンケート調査への回答傾向の文化的バイアスが影響しているのかもしれない)
 

  • 「Enlightenment Now」でも書いたように,世界はより幸福になっている.マックス・ローザーとエシュタバン・オーティス=オスピーナのOur World in Dataの記事によるとデータセットが2つ以上ある69カ国のうち49カ国の最新のデータで幸福度はその直前より増加しているのだ.

ourworldindata.org


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  • 鬱,先進疾患,薬物中毒の蔓延はどうなのか.ハンナ・リッチはOur World in Dataの記事でこう言っている.「多くの人は精神疾患問題は最近悪化しているという印象を持っている.IMHE(http://www.healthdata.org/gbd)のデータはこの結論を支持しない.精神疾患と薬物中毒の問題の状況は26年前の基本的に変わっていないのだ」

 
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  • 自殺についていえば,2018年のエコノミストの記事でトレンドが整理されている.自殺はほとんどすべての場所で減少しているのだ.

www.economist.com

 
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  • グラフはでアメリカと世界全体のラインがクロスしている.これがなぜ多くの人が自殺トレンドを誤解しているかをよく示している.アメリカ人ジャーナリストは一番腐ったチェリーをピックアップしていたという訳なのだ.アメリカは1999年から2016年にかけて世界トレンドに逆行していたのだ.アメリカの1999年の自殺率は実は史上最低で,20世紀前半には遙かに高かった.これはスイスや英国でも同じだ.
  • 自殺率をさらに詳細に分析するのは難しいが,エコノミストの記事では以下のように説明されている.
    • 「より大きな自由が自殺率減少の1つの要因だ」と精華大学教授のジン・ジュンはコメントしてる.女性の自立は多くの女性を救っただろう.2002年の調査では田舎の若い女性の自殺率は高く,自殺未遂者の2/3は不幸な結婚生活,2/5は夫に暴力を受けていること,1/3は姑との諍いを理由として挙げている.ジンは「彼女たちは夫の家族に嫁入りしたのだ.彼女たちは故郷を離れ,知り合いが1人もいないところに嫁いだ」と説明している.
    • インドでも同じようなことが起きている.「インドの若い女性は特に厳しいジェンダー規範に直面している.」とハーバードメディカルスクールのヴァイカラル・パテムは言う.もし妻の両親がその結婚を認めない場合には,両親は警察に娘を誘拐されたと訴える.そして警察は21才の女性を同意に基づく家庭から引きはがすのだ.パテムはこう結論する.「インドの多くの自殺は若い人が自分のロマンティックパートナーを選ぶための方法を欠いていることから来ているのだ」

 

  • イスラム学者ナディア・オウェイダットはあまりリベラルでも先進国でもないヨルダンで育ったときになぜ自殺を考えたかについてこう語っている.
    • 大学に行きたいと家族に言ったとき,彼等は激怒した.高校を卒業した時点でもう十分だと.私は英語を学んで国外に出るという望みを持つようになった.彼等はそんなのあきらめてすぐに結婚しろと迫った.
    • この諍いを終わらせる方法があるのは知っていた.大学に進んで教育を受けアメリカに脱出するか,あるいは死ぬかだ.

www.malanational.org

 

  • デュルケーム的な結束の強い家族,親密な村の生活,伝統的社会規範は人々を疎外と自殺から守るという考えも再考を迫られている.エコノミストの記事が結論づけたように,「世界全体で自殺率は田舎の方が高い傾向がある.社会的絆は時に人々を束縛する.暴力的夫や暴君的姑から逃げ出すのは都会の方が容易なのだ」
  • これらのことは,田舎に住んだこともないくせに伝統的生活を切望する批評家たちの頭から抜け落ちている.バークレーの教授であるアリソン・ゴプニックの「Enlightenment Now」の書評サブタイトルは「この新刊でピンカーは不思議なことに小さな村の価値を無視している」だった.この自分で経験してもいないのに浸るノスタルジアは,不思議なことに田舎の小さな村の生活の偏狭主義,同調主義,部族主義,女性の自立の阻害を無視しているのだ.
  • 確かに啓蒙運動は女性が拡大家族に属しながら科学者としてコスモポリタン的大都会で成功する方法を示すことができたわけではない.しかし彼女がその選択権を持つようになったことが,現代への告発理由になるはずもない.

 

  • 人生にはトレードオフがつきものだ.現代社会のかつてないような自由は,親密さと自立のトレードオフ,長期的にまずいことになる誘惑に負ける自由を含むのだ.我々はまだ皆が自由をうまく使えるようなナッジを駆使できる完璧なリバタリアンパターナリズムには行き当たっていない.しかし法学者リチャード・ポズナーが指摘するように.現代への嘆きに繰り返し現れる誤謬は「理想化され悪徳を無視した過去と悪魔化した現代を比較すること」なのだ.