From Darwin to Derrida その11

生物個体内の遺伝要素間コンフリクト.ヘイグは単細胞の場合から多細胞の場合に議論を進める.
 

多細胞企業

 

  • 枯草菌Bacillus subtilisの胞子の発達は体細胞系列と生殖細胞系列の違いをよく示している.このバクテリアは非対称細胞分裂を行い,母細胞(体細胞)と前胞子(生殖細胞)に分かれる.母細胞は前胞子を包み込み,胞子のコーティング形成を手伝い,その後捨てられる.この過程は両方の細胞でシグナル交換をしながら整然と進む.
  • 粘液細菌のMyxococcus xanthumは運動性の捕食性バクテリアであり,多細胞の子実体を作る.個別の細菌は土壌内で運動して採餌する.しかし栄養分がなくなると集合して柄(体細胞)と粘液胞子(生殖細胞)に分化する.

 
最初はバクテリアが分化した多細胞体として機能する場合からはじめている.萌芽的多細胞生物体として考えると面白い.なおこの粘液細菌は文字通りバクテリアの1種であり,真核生物であるいわゆる粘菌(少し後で出てくる)とは別の生物になる.続いて真の多細胞生物に話が進む.
 

  • 生物体は分業の利益を得るために体細胞を発達させる.しかしリッチなリソースを持つ体細胞は別の遺伝子の生殖細胞に利用される可能性が出てくる.だから体細胞による分業は,体細胞がこれを利用する生殖細胞となんらかの遺伝的同一性への信頼を持つことができるときだけ可能になる.最も簡単な方法は体細胞と生殖細胞が結合していることだ.枯草菌のケースはこれだ.
  • しかし体細胞系列が大きく複雑になってくると系列同士の連絡は間接的になっていく.するとパラサイトにつけ込まれる隙ができ,この搾取を避けるための精巧な仕組みが必要になる.その例が免疫システムだ,これらの例は血縁(結合)と緑髭(免疫)が体細胞協力維持のためにどう働いているかを示している.
  • 体細胞が移動したり,複雑な器官を形成すると物理的結合だけで体細胞への搾取を防げなくなる.なんらかの細胞認識が必要になるのだ.2つの細胞が出合うと,その反応は相手について学んだこと(味方か,敵か,どちらでもないか)に影響される.
  • 2つのタイプの分子相互作用を区別することができる.ホモタイプ相互作用は2つの細胞の同じ分子をめぐって生じ,同一性を知る典型的な方法だ.ヘテロタイプ相互作用は異なる遺伝子によるエンコードされた分子間で生じ,この遺伝子間に連鎖不平衡がある場合に同一性にかかる情報を得ることができる.多細胞生物の体細胞セキュリティにおいては緑髭効果が重要になると考えられる.

 
つながっているから祖先共有のはずだというのが血縁的な協力になり,さらになんらかの識別システムにより協力を担保すると緑髭ということになる.最後のところは多細胞生物においてはいろいろなパラサイトが入り込むので,単に結合しているだけでは安全ではなく,識別システムが重要になるということだと思われる.そしてそれはいわゆる免疫機構になる.
 

  • 自分自身とそれによく似た別の分子を区別できる分子が生まれたことで,戦略の幅は広がり,大きな多細胞生物の進化が可能になった.免疫グロブリンのスーパーファミリーの祖先は元々自分自身とホモタイプ的に相互作用していたのだろう.しかし今やT細胞,MHC抗原,免疫グロブリンなどの様々なヘテロタイプ相互作用を行う分子が存在する.もう1つの例はカドヘリンだ.これは自分自身と同じ分子とくっつく細胞表面のタンパク質になる.これは生物体の器官形成に大きな役割を果たしているが,自己認識機能にも使える.

 

キメラの見世物

 

  • 粘菌は粘液細菌Myxococcusと驚くほど似た生活史を持つ真核生物だ.普段はアメーバのように単体で採餌しているが,飢餓に陥ると集合して子実体を形成し,柄(体細胞)と胞子(生殖細胞)に分かれて分業する.集合した粘菌細胞が皆クローンである保証はないし,集合シグナルが捕食者に利用されない保証もないので,粘菌は特に体細胞への搾取に弱いと考えられる.
  • 実際に集合シグナルによってくる捕食者粘菌,集合シグナルを出して粘菌をおびき寄せる捕食者粘菌も発見されている.一部の粘菌は他種の子実体に潜り込み柄にならずにフリーライドする.

 
この粘菌のシステムへの搾取をめぐるアームレースは興味深い.このように搾取に弱そうな粘菌側の対抗戦略にも興味が持たれるところだが,ここでは解説されていない.
ここから異なる祖先を持つ細胞系列が同一個体を形成するというキメラの問題が取り上げられる.キメラ体の内部は当然ながら強いコンフリクトがあることが予想される.
 

  • 動物個体内が同種細胞のキメラになっていることがある.ホヤでは近隣個体の細胞が紛れ込んで血液内に入り生殖系列を乗っ取ることが観察されている.別の例は,半倍数体のカイガラムシのものだ.既に別の精子で受精済みのメスの卵子に入った精子が,メスの体細胞内で生き延びている例が見つかっている.これは時に娘や孫との受精が生じるのかもしれないし,単にそこで永続しているだけかもしれない.
  • マーモセットやタマリンは通常二卵性双生児を生む.しかし胎盤は(通常1子を産む)祖先の胎盤の性質を受け継いでいるので,胎盤内で双子の細胞は混じり合う.そして双子は互いに相手の血液細胞がキメラになっている.もしオス生殖細胞もまぜこぜになっていて,完全に半々になっていたとすると,双子の体細胞遺伝子は兄弟のどちらが交尾するかについて無関心になるだろう,ただし精巣内での競争は非常に激しいものになるはずだ.
  • ヒトでは二卵性双生児キメラは例外的だが,子どもと母親の間のキメラはごく普通にみられる.胎児の細胞が胎盤を通じて母親に混入し,場合によっては10年以上残る.彼等は単に消えていくのか,それとも何らかの母親操作を行っているのだろうか?
  • パラサイトによる体細胞搾取は多細胞生物にとって重大な問題だ.しかし体細胞搾取が異種生物のみによって生じるわけではないことはここであげた例でわかるだろう.もちろん強制や騙しによる同種他個体の操作も体細胞搾取の1つだと考えられる.

 
いかにも面白そうなキメラだが,ヘイグの解説はあまりコンフリクトの具体例を示すものにはなっていない.このあたりは今後のリサーチエリアということになるのだろうか.