From Darwin to Derrida その17

 
個体内の遺伝子要素間コンフリクト.性染色体の問題を説明した後,いよいよヘイグの名をたからしめたゲノミックインプリンティングの解説に入る.

 

ゲノミックインプリンティングと世代間の抗争

 

  • 血縁者というのは,一部を共有し一部を共有しない遺伝子集合体だ.遺伝子は血縁者が自分と同じ遺伝子を持つ確率に応じた条件依存戦略を採ることにより利益を得ることができる.なお本節では,遺伝子のこの確率についての情報源は,血統(メンデル分離による確率)および父方由来あるいは母方由来にかかる情報,父性の不確実性のみだという前提を置くことにする.(ここでは緑髭効果を考えないということ)

 

  • 二倍体の母とその有性生殖による二倍体の子どもの最も単純な関係は,母が卵を作り受精させばらまく(その後の母親の子育て投資なし)というものだ.
  • この場合,母にあるすべての遺伝子は(減数分裂のコイントスにより)それぞれの子どもに同じ確率で承継される.(この場合卵に投資される栄養は減数分裂前に決められるので子どもの遺伝子の影響を受けない)母にある遺伝子が繁殖成功を高めるためにできるのは卵のサイズと数を決めることだけだ.
  • 一定量のリソースを用いて卵が逐次的に生産されるという単純なモデルの場合,母の適応度は,ある卵に追加投資する場合のその子どもへの限界利益(δB)が最後に作られる別の卵にとっての追加コスト(δC)に等しくなるような投資において最大化される.ある子どもへの限界利益と別の子どもへの限界コストが一致するのは,母の遺伝子から見てどちらの子どもにも自分のコピーがある確率が等しいからだ.

ヘイグによる解説はまず最も単純な例として子育て投資が減数分裂前に決定済みという条件をおくところから始まっている.投資決定がいつかというのが極めて本質的な条件になることがわかって面白い.
 

  • 受精後に母親が子育て投資する場合には関係は複雑になる.なぜなら母の子育て投資量は(母親だけでなく)子どもの遺伝子の影響も受けるからだ.子どもにある遺伝子は母親の受精後の子育て投資の利益をフルに享受するが,別の子どもへのコストは同祖的遺伝子を持つ確率rをかけた分しか負担しない.つまり子どもの遺伝子にとっては δB > rδC である限り子育て投資を受けた方が有利になるが,母にとっては δB > δC が子育て投資が有利になる条件になる.だから δC > δB > rδC のときには母と子の間でコンフリクトが生じる.このコンフリクトは遺伝子間の協約によって解決できない.母の遺伝子達は δB > δC を条件とする協約を結べるが,この協約は遺伝子が一旦子の身体に入ったあとでは一般的に強制力を持たない.すべての遺伝子は協約により利益を得られるが,しかし片務的な制限は搾取されてしまうのだ.

 
この母子間のコンフリクトはトリヴァースによる親子コンフリクトの解説になる.トリヴァースの理論はこのコンフリクトによって,哺乳類の最適離乳時期が母から見た場合と子から見た場合が異なること(そしてしばしば離乳時期には親子間で葛藤が観察されること)をうまく説明できる.
 

  • この確率rは母からの遺伝子については0.5だが,父からの遺伝子については一般的に0.5より小さい.これは子ども達は別の父親を持つかもしれないからだ.だから父からの遺伝子はより多くの母の子育て投資を要求すると予測される.このような条件付き戦略はゲノミックインプリンティング(遺伝子が母方か父方かによって表現型パターンを変えること)によって可能になる.(例としてマウスのIgf2, Igf2rの発現の例が解説されている)

 
ここからがヘイグの唱えたゲノミックインプリンティングの議論になる.子どもの個体内には父由来の遺伝子とは母由来の遺伝子があり,父性の不確実性から,この個体内の由来に基づく遺伝子間には母親からの最適投資量をめぐってコンフリクト状態になる.
このような由来に基づくコンフリクトは母親からの受精後の投資において最も現出しやすいだろう.だからこれまで見つかっているゲノミックインプリンティングの例は哺乳類による母親からの投資(胎盤における栄養供給),種子植物の胚乳が中心になっている.
 

  • この父方と母方遺伝子の非対称性は父違いの兄弟の間で最大になる.そしてほとんどの血縁関係において父方と母方で様々に異なった父方と母方の非対称性がある.群れを作り,オスが分散し,メスが群れにとどまる生物を考えてみよう.ここでもしある群れの中のある時期の受精はよそから来た単一のオスにより,それがどんどん交代していくとするなら,その群れの中の年齢の異なるメスメンバーは母方を通じてより近い血縁関係にあり,同年齢のメンバーは両親の同じ兄弟か,父親違いの兄弟ということになるだろう.ただしこのようなパターンまで含めた条件付き戦略を遺伝子が進化させられるかどうかはわかっていない.

 

  • これまでよくリサーチされたゲノミックインプリンティングはすべて「自分が母から来たらこれを,父から来たら別のことをせよ」という単純な条件付き戦略だ.論理的にはより複雑な条件付き戦略も可能なはずだ.たとえば「卵由来ならAを,母と一緒に住んでいるオスの精子から来たらBを,別の浮気オスの精子から来たときはCを行え」という戦略も考えられる.しかしこのような論理的可能性が実現可能かどうかはコスト,メリット,そして適当なメカニズムが存在するかに依存する.
  • 先ほどのメスが群れにとどまる生物の場合,連続して母由来であれば,群れの他のメスに自分と同じ遺伝子がある確率は上がっていくだろう.この場合母由来効果が蓄積していき,一度でも父由来になればリセットされるような戦略を持つ遺伝子を想像することができる.

 
この複雑な条件付き戦略の可能性の考察はいかにもヘイグらしく面白い.
 
関連書籍
 
ゲノミックインプリンティングならまず読むべき本.ヘイグの自撰論文集になる.

Genomic Imprinting and Kinship (Rutgers Series on Human Evolution)

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  • 作者:Haig, David
  • 発売日: 2002/02/20
  • メディア: ペーパーバック