War and Peace and War:The Rise and Fall of Empires その36

ターチンによるローマ帝国の興隆.辺境とメタエスニック断層線という外部要因を見たあと,ローマ時代のテキストから内部要因を検討する.
 

第6章 オオカミに生まれつく:ローマの起源 その8

 

  • 初期ローマ人は「mos maiorum(父祖の慣行)」と呼ばれる価値のセットを発達させた.それは彼等の私的生活,および公的生活を規定した.
  • おそらく最も重要だったのはヴィルトゥス(virtus)だったろう.それは社会の1メンバーとしての真の男を体現したものだ.それは善悪を区別し,善,特に共通の善に向かって行動することだ.そしてそれは家族やコミュニティへの献身と戦争における英雄的行為を意味した.ギリシア人と異なりローマ人は個人の英雄的能力を重視しなかった.英雄の理想は勇気と知恵と献身で国家を危急存亡の際に救うことだ.
  • 別のローマ的な価値にはピエタス(pietas),フィデス(fides),グラヴィタス(gravitas),コンスタンティア(constantia)があった.ピエタスは家族的徳目だ.家族のために献身し親の権威に従う.それはさらに宗教的儀式の際の神への篤信も意味した.フィデスは自らの言葉を違えない,負債を支払う,義務に従うことだ.フィデスに欠ける行いはコミュニティと神への背信となった.グラヴィタスは規律に従うこと,自己抑制,威厳があり物静かな態度を意味した.コンスタンティアは粘り強さだ.どんなに困難でも必要で正しいことを行うことだ.

  
ヴィルトゥス(virtus),ピエタス(pietas),フィデス(fides),グラヴィタス(gravitas),コンスタンティア(constantia)はそれぞれ徳,孝心と敬神.誠実,威厳,一貫性に近い部分があるが,いずれも日本語1語で表すのはなかなか難しい.まさにラテン語で表すしかない文化的要素ということになるだろう.
 

  • ローマ人は中庸で過激に走らないことを誇り,節度を欠いた行いを軽蔑した.例えばリヴィウスはガリア人を抑制の効かない怒りをみせる者たちとして軽蔑している.ガリアとの戦いにおけるある逸話が(それが真実かどうかではなくそれが伝えられたということで)それをよく示している.「そこでガリアの巨人兵がローマに対して一騎打ちを挑んできた.ティトゥス・マンリウスがそれを受けた時,そのガリア兵はティトゥスを嘲って舌を出して笑った.ガリア兵は偉丈夫でけばけばしい衣服と鎧を着込んでいた.ティトゥスは極く普通の体躯で質素な鎧を身にまとっていた.彼は雄叫びをあげたり武器を振り回したりせずに静かに闘志を燃やしていたのだ・・・」いうまでもなく一騎打ちはティトゥスの勝利に終わったとされている.

 
この中庸さが軍隊の強さとどうつながるとターチンが主張しているのかははっきりしない.次段落を読む限り個人主義を抑えるということのようだが,グラヴィタスがなくともフィデスで規律に従うのであれば,傾奇者の存在が必ずしも弱い軍隊につながるということにはならないだろう.なかなか微妙なところのような気がする.
 

  • これらの価値セットは宗教の一部でもあった.それはまさに共同体の絆だった.古代人は国家を強くするための宗教の重要性を理解していた.(ソクラテスやポリュビオスの引用がある)
  • ローマの価値はハードワーク,規律,義務,忠誠,勇気を称賛している.宗教は人々を結びつけ初期ローマ社会に高いアサビーヤを与えた.社会の凝集性が非常に高かったので,1世紀になるまでローマに社会秩序を守るための警察は必要なかった.多くの場合,秩序を乱したものへの罰は,不名誉な行為をしたという公的な宣告だった.
  • ローマの興隆に対しての初期ローマ人のこの個人的資質の重要性はいくら強調しても足りないだろう.この価値セットは個人主義を抑え(グラヴィタスとコンスタンティア),家族と共同体の絆(ピエタスとフィデス)と共通の善への犠牲傾向(ヴィルトゥス)を深めた.ローマ人は征服した諸部族に対して身体的技術的なアドバンテージを持っていたわけではない.一騎打ちでは平均的ローマ人は平均的ガリア人に勝てなかっただろう.しかし100人のローマ人は100人のガリア人と互角に戦い,1万人のローマ人は1万人のガリア人をたやすく打ち負かしたのだ.
  • ただこの比較はややミスリーディングかもしれない.ローマはしばしば苦戦した.強敵との典型的な戦争の展開は,まず初期の戦いを落とし,しかし最終的には勝利を収めるというものだ.最初の戦いに負けてもローマはあきらめずに何度も戦い,そして最後に勝つのだ.これにはコンスタンティアが効いているだろう.ウェイイとの戦争,サムニウム戦争,ポエニ戦争,マケドニア戦争みなそうだ.最も典型的な例は第2次ポエニ戦争だろう(カンナエの戦いの大敗北からの立ち直りが描かれている)
  • ローマが違うのは逆境の克服能力だ.ローマ人は文化的な潜在意識において,死を恐れないことこそ生を可能にするのだということを知っていたのだろう.
  • この犠牲精神が最もよく現れているのはローマの献身儀式(戦いに負けたローマ指揮官が,我が身と敵軍に呪いをかける儀式を行い,次の戦いで先頭に立って敵に突っ込んでいくという慣行)だろう.これは自軍への精神的効果を狙った一種の自爆攻撃だ.実際にこの自己犠牲をみたローマ軍は全軍で奮い立った.(リヴィウスの記述が引用されている)

 
ターチンは古代のローマ的価値がアサビーヤを作ったと主張していることになる.戦いにもまれる辺境にあったからこのような文化が育ったと主張するのか,たまたまそういう文化的土壌があったから戦争に強くて強国として興隆したと主張するのかややはっきりしないが,文化的グループ淘汰というなら後者ということになるのだろう.
そしてターチンはこれまでの記述からみて当然だが,特にヴィルトゥスつまり自己犠牲を強調している.しかし強い軍隊を組織する場合においてどの要素が重要なのかというのはもっと深掘りされるべきだろう.私としては規律と自己抑制(フィデスとグラヴィタス),そして忍耐強さ(コンスタンティア)の方が重要な気がするところだ.