書評 「植物の超階層生物学」

 
本書は種生物学会による種生物シリーズの最新刊.最近の同シリーズのテーマは共進化と行動生態学ということで進化生態学が軸になっていたが,今回はゲノミクスとフェノミクス(ゲノムと環境の相互作用により実現された発現形質のセットを分析するもの)をつないで植物の戦略を超階層的に捉えることがテーマということで,かなり至近的なメカニズムにも踏み込み,視野を広げてくれる一冊になっている.
構成的には第1部がゲノミクス編,第2部がフェノミクス編,第3部が(研究者のための)ノウハウ編となっている.
 

第1部 ゲノミクス編:ゲノムを読んだら何がわかる?

 

第1章 ゲノム解読技術の発展と,野生あずきの耐塩性研究 内藤健

 
第1章ではアズキの耐塩性についてのゲノミクスを駆使した研究が語られる.冒頭でゲノムの概説,様々な野生アズキについての紹介があり,そこからゲノム解読技術の進展(次世代シーケンサー,第3世代シーケンサー,特にその中のナノポアシーケンシング)が簡単に解説される.このあたりでは研究者向けのノウハウ的な記述も多い.
そこから野生アズキの耐塩性リサーチの物語が始まる.著者は様々な野生アズキの耐塩性の仕組みを放射性ナトリウムを用いて調べる.すると葉にナトリウムを蓄積しないタイプ*1,逆に蓄積しまくるタイプ*2,若い葉に負担を押し付けるタイプ(時間差でナトリウム負担を交代させる),ナトリウムをシャットアウトするタイプ*3と様々なやり方があることがわかる.
ここからこの野生アズキの全ゲノムを解読し,F2個体を大量に育て耐塩性の強さとゲノムの関係を調べる(QTL解析).そして葉にナトリウムを蓄積しないタイプの耐塩性の遺伝子が第8染色体の末端にあることを突き止める.
物語はここまでで,全容の解明はこれからということだ.本章は進化生態的な現象におけるゲノミクスの応用のわかりやすい例となっており,導入章に相応しい.
 

第2章 ゲノム情報から迫るハワイフトモモの種内多様化プロセス 伊津野彩子

 
第2章はハワイで適応放散したフトモモ(真性双子葉植物であるフトモモ科*4の植物)をめぐるリサーチ物語.
ハワイフトモモは300〜400万年前にハワイに到来し様々な形態に適応放散している.著者はハワイで標本を集め,形質と気候などの環境要因の相関を調べ,葉組織LMA(葉の厚み*5)が気温と負の相関,トライコームLMA(葉の毛状突起の厚み)が降水量と負の相関,虫こぶと負の相関を持つことを見いだす.
ここから各標本の1500のSNIPsについてSTRUCTURE解析を行う.K=3で分析したところ,遺伝的クラスターが亜高山帯,雲霧林,低熱地林とおおむね一致し,両LMAの変化パターンとも一致した.
その後これは面白い材料だということで全ゲノムを読むことになる.そしてまたも大きく3つの遺伝的クラスターが見つかり,同じく亜高山帯,雲霧林,低熱地林と対応していた.これは適応放散の過程で3つの遺伝的クラスターがまず生じ,その後それぞれが分布を広げたことを示唆する.また各クラスターでいくつかの淘汰領域が見つかり,その中に興味深い遺伝子群があることがわかる.
またクラスターごとの有効集団サイズと遺伝的分化度も解析し,傾向が500〜10万年前,10〜2万年前,2万年前以降で変化していることがわかる.また500万年前にはどのクラスターにもボトルネックが見つかる.著者はこれはカウアイ島ができた頃であり,フトモモの祖先がカウアイ島に到来した頃に経験したものと思われる,その後の集団規模の拡大はハワイ諸島の島が次々にできて分布拡大したことで説明できる,10〜2万年前の減少と2万年前以降の拡大は氷河期から説明できると解説している.
 

第3章 植物の雌しべが花粉を選び分ける仕組み 藤井壮太


第3章では雌しべが自家不和合だったり,他種の花粉を拒否する仕組みがテーマになっている.ここでは冒頭で問題の概説があって面白い.植物の種間の受精前障壁についてはそのメカニズム的な理解が現代でもあまりなされていないのだ.そしてここを遺伝子から考えるという手法をとった探求物語が語られることになる.
ここからGWASの進展が語られ,著者が生理現象面から材料種を選ぶのではなくゲノミクス面から(シロイヌナズナが含まれる)アブラナ科の植物を選んだ経緯が説明される.
そこからの手探りの探求物語はなかなか面白い.GWASを効かせるための種間交雑親和性の種内多様性の必要性,自家和合性の進化に伴う自殖シンドロームと異種花粉排除能力の関係,多様性を確かめるための力技の異種交配実験,その実験のためのシロイヌナズナの小さい花の除雄の難しさ,少しでも実験を容易にするための花粉親の選択などが語られている.
そしてようやくシロイヌナズナ160系統で異種交配を行い,GWASを用いて解析する.紆余曲折の末についに種間交雑親和性に関するゲノム上の特異点を発見し,その領域内で柱頭で発現している遺伝子を特定し,そのノックアウト系統における形質を見極め,これが異種花粉の排除能力に関与していることを確定させ,さらにその分子的なメカニズムの解明を進めている.著者は最後に今後の展望にも触れていて,その部分もわくわくさせられる.
 

第4章 大量ゲノム情報時代の植物育種 矢部志央理

 
第4章には植物の育種研究の視点からゲノム情報を度のように用いるのかの総説的な解説が置かれている.
まず育種と統計遺伝学の深いかかわり,用いられる手法としてのQTL解析,GWAS,そしてゲノミックセレクション(GS)が解説されている.QTL解析とGWASはある形質に関連する遺伝子の場所をマッピングする手法*6,ゲノミックセレクションというのは(通常の育種のようにQTL情報から育種選抜せずに)直接(形質と関連のある)マーカーを用いて育種選抜する手法*7になる.
そして後半ではソバを用いたGSによる表現型選抜の実証実験の実際が語られている.
 

第2部 フェノミクス編:植物を調べつくす方法

 

第5章 なぜ青いバラは咲かないのか:アントシアニンによる多彩な花色の発現機構 吉田久美

 
第5章は青い花の発色についての非常に深い解説.花の青はアントシアニンによるものだが,アントシアニンは花弁の液胞の性質によって発色を変える.この仕組みについてpH説,金属錯体説,助色素説,自己会合説などの論争があったが,現在では他の分子と会合したり金属イオンを錯体として形成して超分子構造をとり,これが多彩な発色をもたらす原因だと整理されているそうだ.
ここから空色西洋アサガオが開花に伴い色を変化させること(蕾は赤紫で,開花とともに美しい空色になる)の分子的なメカニズム,ツユクサのコンメリニン(アントシアニン以外にフラボンとマグネシウムが含まれる青色色素)の性質(濃厚水溶液では安定した青色だが薄めると速やかに退色する)の分子的なメカニズム,そしてアジサイの花色変異の分子的メカニズムを探求した物語が語られている.
(私としてはあまりなじみのない)構造式が多数登場する有機化学の解説だが,材料が具体的な花の色なので,興味深く読める寄稿になっている.

 

第6章 接木の科学によって,技術をさらに使いこなす 野田口理考

 
第6章は接ぎ木の科学.実はどのように接ぎ木で2つの植物がつながるのかの詳細なメカニズムはなおわかっていないのだそうだ.
ここでは接ぎ木の歴史(2000年以上の歴史がある),私たちの食生活における重要性(多くの果樹は有用な変異を接ぎ木によって増殖させているし,トマトやナスのような野菜などでも耐病性台木に接ぎ木することで土壌からの病虫害を抑える技術として使われている),科学的な有用性(植物の生理機構の解明に使われている)がまず概説されている.
ここから本章のテーマである接ぎ木の組み合わせのリサーチ物語が語られる.基本的には近縁の植物でつながりやすいが,中には遠縁の植物でも可能なものがある.著者はシロイヌナズナ(アブラナ科)にベンサミアナタバコ(ナス科)がつながることを発見し,リサーチが始まる.ここではベンサミアナタバコの異科接ぎ木能力の網羅的調査,組織観察(道管はある程度つながるが篩管はつながらず,シンプラズムを形成してその微小トンネルで栄養分が送られる)を行い,そこからトランスクリプトーム解析を行い,鍵になる遺伝子に当たりをつける.
またタバコ族植物の近縁種に寄生植物が多いことに気づき,寄生植物についても調べ,共通のメカニズムがあることを見いだす.そして同じくトランスクリプトーム解析を行い,同じ遺伝子が関与していることを見いだす.
著者は最後に接ぎ木研究を加速させるための接ぎ木チップ技術を紹介して本章を終えている.
 

第7章 赤外分光法によるヤセイカンランのクチクラの構造解析 羽馬哲也・関功介

 
第7章は植物の表面にあるクチクラの話.冒頭では植物の表面が地球大気化学において重要であるという指摘があり面白い.そこから植物の葉や茎の表皮にあるクチクラの構造が説明され,それを分子レベルで理解するために赤外スペクトル分析を行う研究物語に入る.話は偏光の反射率や透過率が扱われる専門的なものだが,物理化学者が植物学や農学の研究者と出会った経緯や具体的なヤセイカンランの測定結果とその意味の具体的な解説*8があったりしてなかなか楽しい.
 

第8章 作物生産科学におけるC3型個葉光合成とその変動光応答 田中佑

 
第8章はより効率的な光合成作物を育種するという観点から見た個葉光合成の仕組みの探索物語.
光飽和条件下の単葉面積あたり最大光合成速度(個葉光合成能)は光の受容と電子伝達,葉内の炭素固定反応,大気から葉内へのガス拡散過程の3ステップから理解されることになる.このうちどれが律速になっているかは個別の植物により異なることになる.
そして実務的には遺伝子組み換えやゲノム編集技術には社会的な理解と受容にハードルがあるためすでに存在する自然変異をうまく活用することがポイントになる*9
そして自然下で変動する光環境のもの何が律速になっているのか,そこに変異があるのかが重要な問題となる.ダイズを使って調べていくとCCF(一晩暗処理したのちまず弱光を当てその後強光を当てた場合の強光照射5分間の積算CO2個定量)には十分な変異があるが,定常光環境下に置ける個葉光合成量とは相関を持たなかった.つまり変動光環境下の光合成量(光環境が好適になった時にいかに素早く光合成量を上げるか)は(定常光下の光合成効率を決めているものとは)何らかの別のメカニズムにより決まっており,そこに(何らかの理由により淘汰されずに残っている)変異があることになる.著者はここに何らかのトレードオフを疑い気孔コンダクタンスとのかかわりに注目している.またこの自然変異を利用した育種の可能性を強調している.
 

第9章 ウキクサを光らせて概日時計を視る 村中智明

 
第9章では植物の概日時計のメカニズムが探索される.冒頭で概日時計の簡単な解説があり,植物には日長応答性(光周性)があること,時計遺伝子の探索結果(最初に見つかったのはショウジョウバエのPeriod遺伝子)とそれが藍藻・植物・菌類・動物で相同ではなく概日時計が独立に獲得されていることが紹介されている.
植物の時計遺伝子はシロイヌナズナで探索が進められ,早朝に発現する遺伝子群,朝から夕方にかけて発現する遺伝子群,夜に発現する遺伝子群が互いに牽制しあうフィードバックループを形成している.そして植物の場合には様々な生理現象に関与するので概日時計が植物体内の全細胞で働く必要がある*10.著者はウキクサを使って細胞レベルでのさらに詳細なメカニズムを探ることになる*11.ここで細胞単位での遺伝子発現を調べるための発光パーティクルを細胞に打ち込むジーンガン法が解説されている.
調べていくとピーク間隔は細胞ごとに異なり,明暗サイクルを与えるとそれぞれの細胞が独立に*12同期する.しかし近隣の細胞間で同期させるような相互作用が弱いながらあるため空間パターンが作られる.つまり環境への同期と細胞同士の同期の2種類のプロセスがあることになる.
ここから著者はなぜ植物は揺らぐ時計(3種類の遺伝子群のフィードバックシステムは揺らぎやすい)を使っているのかというなぞを考察している.それは環境に合わせた周期変化を生じさせやすいことがメリットになっているのではないかと考え日本中からアオウキクサを集めて解析する.そして気候の違いだけでなく水田管理の違いにも限界日長の違いという形で適応が生じていることを見いだす.そして最後には「いま,ウキクサがアツい」という熱いメッセージを載せてこの寄稿を締めくくっている
 

第3部 ノウハウ編 こっそり教えるテクニック

 
第3部は研究のノウハウを研究者向けに公開する寄稿が4編(2章2コラム)収録されている.GWASの圧倒的な有用性の裏にある微妙な問題点*13,倍数体ゲノムの解析(相同性の高いリードが多くミスアラインメントが起こりやすい),3次元形態のデータ化,画像情報に基づく植生の判別が解説されている.
 
 
以上が本書の内容になる.第1部では生態学リサーチにQTL解析やGWASがどのように用いられているのかの具体例が示され,中心となる第2部では様々な至近的なメカニズムの探索が語られ,最後にノウハウ集が付属するという構成だが,どれも読みごたえがある.第1部・第2部は興味深い題材が取り上げられた楽しい研究物語としてもよくできていると思う.
 
 
関連書籍
 
テーマの近い種生物学シリーズ
 
ゲノミクス関連.出版から10年以上経過しており,本書を並べるとこの10年の研究の進展とすさまじいゲノミクス技術の進歩が感じられる 私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20110925/1316915724

 
生物時計関連 私の書評は
https://shorebird.hatenablog.com/entry/20160517/1463482762

*1:根や茎の道管からナトリウムを抜き取り細胞間隙や液胞に蓄積する

*2:どのように耐塩性を得ているかについては解明したが未発表ということで本書では伏せられている

*3:これもどのように耐塩性を得ているかについていくつか結果が出ているが未発表ということで,やはり本書では伏せられている

*4:世界の熱帯,亜熱帯に分布する木本植物で,代表的なものとしてはユーカリやグアバなどがあるそうだ

*5:正確には単位面積あたりの重量

*6:QTLは交配して得たF2雑種を用いてマーカーとQTLとの連鎖を利用してマッピングを行う手法,GWASは全ゲノム解析と高密度マーカーを用いて形質とマーカーの関係性を直接検出してマッピングを行う手法になる

*7:具体的にはマーカーと形質についての予測モデルを用いる

*8:いろいろ難解だが,クチクラ外のワックスの炭素鎖は葉の表面に対して垂直に配向している,またクチクラ外にヘミセルロース鎖があり,クチクラ内部1〜2μmには多糖類(ペクチン類)が豊富に存在するということだそうだ

*9:社会的に遺伝子組み換えやゲノム編集のリスクが過大評価されている現状は大変残念だが,実務家としてはこういう方向に進む方が効率的ということになるのだろう

*10:中枢があるかどうかは議論されているが結論は出ていないそうだ

*11:アオウキクサ属のイボウキクサとアオウキクサは近縁なのに片方が長日植物,片方が短日植物であるため光周製の解析に長年用いられてきた材料だそうだ

*12:時計の針を進めるか遅らすかが細胞により異なる

*13:どのぐらいマーカーがあればいいかということについて明確な基準を示せないこと,GWASの手法そのものが多重検定の問題をはらんでいることなどが解説されている