「行動生態学」

行動生態学 (シリーズ 現代の生態学 5)

行動生態学 (シリーズ 現代の生態学 5)

 
本書は共立出版による「現代の生態学シリーズ」の一冊.日本語による初めての行動生態学の教科書だ*1とまえがきにある.


私が行動生態学を初めて勉強したのは80年代の終わりから90年代のはじめの頃で,ドーキンスを読んだ後は,当時蒼樹書房から出ていたクレブスとデイヴィスの「行動生態学」(1991年,原書 "An Introduction to Behavioural Ecology" 1984年),「進化からみた行動生態学」(1994年,原書 "Behavioural Ecology: An Evolutionary Approach" 1978年),リドレーの「新しい動物行動学」(1988年,原書 "Animal Behaviour" 1986年),伊藤嘉昭ほかの「動物生態学」(1992年,ただしこの本は個体群生態学と行動生態学の両方を扱っている),そして産業図書から出ていたトリヴァースの「生物の社会進化」(1991年,原書 "Social Evolution" 1985年)といった教科書,そのほか伊藤嘉昭の「動物の社会」(1993年),数理的な本として巌佐庸の「数理生物学入門」(1990年,この本も個体群生態学と行動生態学の両方を扱っている)粕谷英一の「行動生態学入門」(1990年)などにお世話になった.
今からみるとまことに充実していて,まさに衝撃的に興味深い学問分野が眼前に出現したことの興奮が出版事情に反映していたという状態だったのかもしれない.
90年後半以降も行動生態学は歩みを止めることはなかったのだが,しかし日本においてこのような包括的な本はその後ばったりと出版されなくなる.もちろん特定分野の本はそれぞれ出版されてきたが,ある程度包括的な行動生態学の本としては酒井聡樹ほかによる「生き物の進化ゲーム」(1999年)ぐらいしか思い浮かばない.*2


というわけで日本においては2000年以降の行動生態学の進展に合わせた包括的な本はないという状況が続いていた.片方で,欧米ではオルコックの教科書や,クレブス,デイビスの教科書が何版も版を重ねていて*3,それと比べるとやや寂しい状況であったといえるだろう.本書はその隙間を埋める一冊と評価できる.


本書は一人の著者による書き下ろしではなく分担執筆によっている.しかし本書全体の統一感は,トピックの選択,内容が重複しないような調整以上に明確に保たれており,近年興味が持たれているエリア,新しい知見,今後の方向性がそれぞれ強調されている.編者の労苦は大変なものであっただろうと思われるが,それ以上にそれぞれの執著者たちも同じ思いを共有していたのだろう.


では全体の構成をみてみよう.
まず第1章で「行動生態学の基礎」として学問の大きなフレームが解説されている.ある行動特性に変異があって遺伝するとすれば,どのような進化が進むと考えられるのか,それが行動生態学の基礎理論になる.なおここでは,行動生態学の精華ともいえる「進化ゲームとESS,包括適応度と血縁淘汰」について一気に解説している(前述したような教科書だと本の1/3を占めるぐらいの記述割合になるだろう).著者の粕谷による簡潔にして本質をついたその見事な解説ぶりはすばらしいの一言だ.
なお本章の最後で粕谷は,「行動生態学は多くの発展を既に成し遂げ,安定状態に入った」ように見えるかもしれないが,実はそうではないと主張している,その例として「オスとメスの配偶などの行動の理解についてこれまでの通説となっていた理解がFisher条件を満たしていなかったことが明らかになったこと」をあげている.参照されている論文をいくつか読んでみたが,確かに理論面だけをとっても,これまでの通説が必ずしも正しいとは限らないこと,なお未解決の問題が残っていることを痛感させられた.


第2章は最適採餌と捕食回避.最適採餌理論は行動生態学の初期の大きな業績であり,丁寧に解説がある.捕食回避については,回避のメリットが余りにも明らかであること,最終的には生物の種間の相互作用であり伝統的な行動生態学のフレームだけでは解析しにくいこと*4などからあまり注目されてこなかった.しかし最近では様々な業績があるエリアであり,これまであまり日本語文献での概説はなかったところだ.ここは本書の魅力の一つだろう.個人的には「分断色」「隠蔽に関する多型」「ベイツ型擬態とミュラー型擬態は連続的なスペクトラムとしてみた方がよい」あたりの解説が興味深かった.そして「毒生産にコストのかかる種内擬態やベイツ型擬態がなぜフリーライダーによりつぶれてしまわないか」「正の頻度依存効果がありそうな警告色多型がなぜ保たれているか」などの多くの未解決問題が残っていることがわかる.


第3章は移動.このエリアは最近のトラッキングやデータロギングの技術進展によって俄然データが増えて面白くなっているのだろう.いろいろなトピックが「移動」という切り口でまとめて論じられている.


第4章は至近要因.これは面白い章だ.というのは伝統的な行動生態学は生物行動の至近要因についてはブラックボックスでよいと割り切って進展してきた(これはPhenotypic Gambitと呼ばれる)ため,至近要因についてはあまり論じられてこなかったからだ.しかし分子生物学とDNA解読技術の驚異的な進展により,今や総合的に解析,議論できるようになりつつある(そしてリサーチャーからみるとまだ調べられていない広大な分野が目の前に開けつつある)ということなのだろう.
著者の宮竹は人為淘汰実験により「独立の相加的遺伝子」というよくある前提条件の例外を見つけることができること,分子生物学の知見により様々な遺伝子発現のネットワークを知ることができることなどを解説し,これからの行動生態学は至近要因の視点を持つべきだと自らの研究例も紹介しながら力説している.


第5章はアダプティブダイナミクス.頻度依存的な戦略の進化については進化ゲームとESSという理論フレームがある.ではESSに至る動態的な分析についてはどうか.これについては当初より安定解析などがいろいろな方法で議論されていたのだが,90年代の終盤に体系化されアダプティブダイナミクスと呼ばれるようになっている.このフレームは,適応地形を上っていった結果適応地形の谷に出て(いわば適応地形の峠だ)種分化が生じることがあり得ることを示したこと,収束安定条件を侵入可能性図PIPという視覚的にわかりやすい形で示すことができることなどが特徴になる.
本章はその理論フレームに関する解説になる.これまで日本ではアダプティブダイナミクスにかかる解説は佐々木顕によるものがいくつかあるだけだったが,それにもう一つ別の著者による別の視点のものが加わったということになる.読み比べることによってより深い理解に達することができるという意味でこの章も意義は高いだろう.(たとえば本章では侵入適応度をただ単に適応度と記述して理解しにくくなっているが,片方でESS条件と収束安定条件をPIP上で図示してくれていてわかりやすい)


第6章は性と性淘汰(1).性の起源,性淘汰など初期の行動生態学においてよく議論されたエリアを扱う.ここでは興味深いトピックをできるだけ多く取り上げ,やや浅めに解説するというスタンスになっている.紙数の関係でやむを得ないことは理解できるが,ややわかりにくい.
特に問題だと思われるのは,「なぜ無性生殖種は長続きしにくいのか」という問題と「なぜ有性生殖種に無性の個体が侵入しにくいのか」という異なる問題を混在させて議論しているところだ.マラーのラチェットの説明は前者には当てはまるが後者に当てはめるのはナイーブグループ淘汰の誤謬になってしまうだろう.また異型配偶子の起源の問題の説明も出会い確率と生存確率から説明しようとしているがややスロッピーに感じられる.きちんと進化ゲーム理論の形にして説明すべきではなかっただろうか.さらに性比の進化のところでは性決定染色体様式に妙にこだわっていてわかりにくい,はっきりした関係が見いだせていないのだからPhenotypic Gambitに徹してよかったように思う.そのほかオスオス競争型性淘汰について先住効果にコメントしていながら,タカハトゲームのESSについてふれていないのも気になるところだ.
最近の研究に関しては,メスの選り好み型性淘汰における「フィッシャー型ランナウェイとザハヴィ型ハンディキャップを連続的なスペクトラムとして考える」フレームの紹介,メスの選り好みが種分化に効いていることを示した研究の紹介などがある.このあたりは本章のいいところだ.


第7章は性と性淘汰(2).90年代後半以降注目されたエリア,性的コンフリクト,配偶システムの進化などを扱う.遺伝子座内コンフリクトを含む様々なコンフリクトが手際よく紹介され,配偶システムについても簡潔に理論的なフレームが紹介されている.


第8章は親子関係.トリヴァースの親子コンフリクトの理論,実務的な実証では生活史的なトレードオフが問題になることが解説されているが,説明は行きつ戻りつしてややわかりにくい.


第9章は社会行動.冒頭で「種の保存論の呪縛」が取り上げられている.この誤解は本当にしぶとくて教育の現場でも頭が痛いことがよくわかる.
包括適応度と血縁淘汰についておさらいをした後,真社会性の進化的な説明が本章の主軸になる.ハミルトンの3/4仮説,それに対するウィルソンの批判,一見血縁淘汰説と矛盾するような多数回交尾の謎という順序で記述は進むが,さすがに複雑なこのトピックを整然とは裁ききれず,初学者にはわかりにくい議論になっているように思われる.特に,ハミルトン仮説はなお膜翅目昆虫の真社会性の「起源」については有力な議論であること,しかしワーカーによる性比のコントロールがあればその血縁上の利点は失われること,多数回交尾はコロニーの遺伝的多様性の向上というメリットのほか,ワーカー間のコンフリクトを激しくさせてポリシングを向上させる効果もあることなどについて明示的に指摘できていないように思われる.
なお個人的に興味深かったのは,「シロアリのコロニー内血縁度に関する最近の知見」「ハキリアリコロニーにおけるワーカーの父系間のコンフリクト(どの父系のメスをより繁殖虫にするか)」「アリのコロニー内コンフリクトとしての単為生殖」あたりの話題だ.
最後の話題については,様々なシステムを持つアリがいることについては長谷川英祐の本でも紹介されていたが,それが進化的なストーリーとしてうまく紹介されていて大変興味深い.コカミアリやウメマツアリのシステムは,まず女王がメス繁殖虫を単為生殖にし,そこからオスの逆襲として卵を乗っ取ってオスの繁殖虫を自分のクローンにしているのだと考えるとつじつまが合うのだ.またシロアリでは,オスは女王のメス繁殖虫の単為生殖戦略に長寿化で対抗しているというのも面白い.


第10章は信号とコミュニケーション.この章ではまず信号とコミュニケーションとは何かについて概説をしたあと,至近的な視覚のメカニズムを取り上げ,鳥類では紫外線でも信号を出していることを解説した後,雛の餌ねだりは利害が一致しているので正直な信号で,騙しの信号は感覚便乗説でうまく説明できるという流れで書かれている.
しかしこの章の記述ぶりには賛成できない.
まず限られた紙面で至近的なメカニズムや鳥が紫外線を知覚できることを書く必要があったのだろうか.それを書くぐらいならドーキンスとクレブスによる信号を他個体の操作とみるフレーム,ハンディキャップ理論とグラフェンによる数理化を何よりも先に解説すべきだろう.特にグラフェンの業績については現在きちんと解説した日本語の書籍がないのだからはずせない部分ではなかったか?(紫外線知覚についてはおそらく「最近の知識理解の進展によって開けつつある新分野」という切り口で取り上げているのだろうが,やや空回りしている印象だ)
また本書の解説では「正直な信号は利害が一致することのみが条件で,だから包括適応度が重要になり血縁係数が高いと信号は正直になる」「性淘汰信号についてはランナウェイもハンディキャップも上手く説明できない」「騙しの信号が存在することについては感覚便乗仮説のみが説明できる」という流れになっているが,それぞれ違和感がある.
まず信号が正直になるための条件は利害の一致だけではない.発信者側で嘘をつくコストがそれにより得られるメリットより大きければ信号は正直になる.この条件を説明するのがハンディキャップ理論でありグラフェンによる数理化だ*5.しかし本書ではここが説明されていない.
2番目に血縁度が高くても1でない限りコンフリクトが生じるので,高血縁者間であっても信号は正直だとは限らない.たとえば本書で例にあげられている雛の餌ねだりは親子間のコンフリクトからみると厳密に正直な信号ではあり得ない.原則的に要求するときにはほとんど常に誇張され*6,要求しないときは正直であると解釈すべきだろう.
3番目に性淘汰シグナルにおけるハンディキャップ理論はオスの形質とメスの好みの両形質が連鎖不平衡でなければ成り立たないかのように書いてあるが,これは全くの誤解だと思う.
最後に騙しの信号が成り立つ理由は,(ことさらに感覚便乗といわなくても)受信側にそのような反応をすることで平均的に利益があればいいという進化適応の基本原則から容易に説明できる.それは確かに感覚便乗といっても間違いではないが,進化的に見て最大の問題は,「このように受信側に平均して利益があるためには騙し信号の頻度が一定以下に保たれていなければならないが,どのような条件でそうなるのか*7」ということだ.そしてこれには感覚便乗仮説は何の説明もできない.要するに著者は感覚便乗説については過大評価しすぎではないだろうか.それは信号が成立するきっかけの議論にすぎないという第6章における整理の方がよいと思う.



最終第11章は系統.これも伝統的な行動生態学ではあまり扱われなかったところだ.分子系統樹が容易に得られるようになった現在,種間比較法によるリサーチは重要な手法の一つであり,そこでは系統の処理が大変重要な問題になることを受けての章だろう.系統樹と系統的慣性,祖先形質の推定,形質間の相関進化などのトピックが手際よく解説されている.


全体としては,一部納得できない記述はあるものの,90年代後半以降の行動生態学のトピックが大幅に取り込まれ,随所に簡潔で整理された解説がまとめられている本に仕上がっている.日本語で読める最新の知見の詰まった大変意義深い出版物であると評価できるだろう.個人的には,買ったままiPadのメモリの中に埋もれていたクレブス,デイビス,ウェストの教科書を本書と比較しながら読み始めるよいきっかけになってくれた.進化生物学に興味のある人には強く推薦できる.



関連書籍


お世話になった蒼樹書房の教科書など.



英米で出版されている版を重ねている教科書

Animal Behavior: An Evolutionary Approach

Animal Behavior: An Evolutionary Approach

  • 作者:Alcock, John
  • 発売日: 2009/04/01
  • メディア: ペーパーバック

An Introduction to Behavioural Ecology

An Introduction to Behavioural Ecology



共立出版では本書の他,年内に以下のような本も出すようだ.大変楽しみである.



進化生態学入門 ―数式で見る生物進化―

進化生態学入門 ―数式で見る生物進化―

  • 作者:山内 淳
  • 発売日: 2012/10/24
  • メディア: 単行本




アダプティブダイナミクスの佐々木顕による解説のある本


進化生物学からせまる (シリーズ群集生態学)

進化生物学からせまる (シリーズ群集生態学)

  • 発売日: 2009/03/01
  • メディア: 単行本
本書の私による書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20110421


この本の中に単為生殖を行うアリについて記述がある.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20110427




 

*1:翻訳物を除くという趣旨だろう

*2:このほかにより広いエリアの本だが行動生態学が多く含まれている本として,上記「動物生態学」の新版(2005年),メイヒューの「これからの進化生態学」(2009年),特定分野といいつつ扱うエリアが広いものに長谷川眞理子ほかの「行動・生態の進化」(2006年)上記「動物の社会」の新版(2006年)などがある.

*3:クレブスとデイビスの"An Introduction to Behavioural Ecology"は著者にウェストも加わって2012年の第4版,オルコックの"Animal Behavior: An Evolutionary Approach"は2009年の第9版

*4:伝統的な行動生態学ではある生物種の繁殖集団内での特定表現型個体の頻度増減を解析する.捕食回避においては,捕食者と被食者のそれぞれの集団内での頻度増減の他に,それぞれの個体数増減も合わせた分析が必要になる

*5:このほかに何らかの制約により嘘がつけないというインデックスを正直な信号の第3のカテゴリーとする見方もある.なおこれは発生におけるコストまで考えるとハンディキャップに含まれるという考え方と対立している.

*6:親にとって確実に最後の繁殖であり,1腹子が1個体だけの時だけ正直になることが期待される

*7:受信側が反応してくれる限り,騙し信号発信側に利益があるので頻度は普通増えていくことが予想される.このためこの問題は重要になる