War and Peace and War:The Rise and Fall of Empires その63

 
14世紀が始まるころ,フランスはある種の黄金時代だったが,そこから崩壊する.
ターチンはこの基本メカニズムはマルサス過程だとするが,それだけでは崩壊から回復への遅れが説明できないとして,支配層のダイナミクスをより詳しくみることが必要だと説く.そして中世盛期の人口増加は一般市民を食料価格上昇と賃金低下による苦境に陥れたが,貴族層はむしろ利益を得たのだということを説明する.しかしそれはもちろん持続不可能だ.貴族層の幸運の終焉は利益を得た貴族層の人口が増えることにより始まる.
 

第8章 運命の車輪の逆側:栄光の13世紀から絶望の14世紀へ その7

 

  • 幸運の車輪は回転した.そして頂点にいた者たちは突然自分たちが厄災に向かって滑り落ちていくのに気付いた.貴族層の繁栄は彼らの人口を増やし,それはしばらくして彼らの収入を減少させたのだ.
  • 上流階級も13世紀の人口増加の一般的影響下にあった.彼らの人口は増え,そして経済的に好転したために人口増加率は一般大衆より大きかった.収入増加時代には,一部の上流階級は,土地を2人以上に相続させても上流の地位を保たせることができた.離れた場所にも領地を持つ貴族は,不便な土地を次男に相続させて中流貴族にすることもできた.

 
支配階層が,均分相続の場合,財産が分割されて没落していくというのは歴史では所々で見かける話だが,中世盛期のフランスでも生じたということになる.
 

  • 加えて,貴族領主階級というのは完全な固定階層ではない.そこに参入したり脱落したりする家系は常にあった.富裕な商人は資産の一部を領土に替える機会を逃したりはしなかった.十分な土地が得られれば,領地に移り,商業のような「卑しい」なりわいとのつながりを断ち切った.その後,金を払って王家から貴族の爵位を得るのは難しくはなかった.軍人や聖職者からの参入も可能だった.
  • 農民も,長期的な視野に立てば,貴族になれた.富裕な農家は土地を購入したり,借金の担保実行として土地を集めることができる.彼の息子は自身で耕作することをやめ,小作人を雇い,さらに富裕になることができる.孫は土地の一部を貸し出し,自身は領主の従者になることができる.従者は時に王家の軍に加わり,貧しい貴族の娘を娶ることができる.その息子は軍務を続け,他の貴族層と親しく交わり,貴族のように暮らす.このようなことが3世代も続けば,誰も彼らの家系が農民の出自であるとは思わなくなる.
  • 要するに,金を払って王家から爵位を得て貴族になるというのは常に可能だった.貴族の系図をでっち上げることも可能だった.貴族層に参入する方法はたくさんあったのだ.主要な条件は土地を十分に集積することだった.
  • そして貴族層から脱落する個人や家系も常にあった.貧しくなった貴族家系は,貴族に相応しい暮らしを続けることができなくなる.そして静かに自身で土地を耕作する農民階層に下っていく.しかしながら貴族繁栄の時代にはそのような脱落は稀だった.

 
そして階級は完全に固定されていなかったというのがターチンの説明になる.とはいえ,階級が固定化されているかどうかという要因がクリオダイナミクスに果たす役割についてはあまり詳しい説明がない.貴族層から一定割合がドロップアウトしていくということは,貴族層の人口増加プレッシャーを緩和する要因になるはずであり,流入が生じれば人口増加プレッシャーを促進する.ネットの増減が問題ではないのだろうか.ここは趣旨がややわかりにくいところだ.
 

  • 結局,13世紀後半の貴族繁栄の経済トレンドは.領地の分断化,貴族層への新規参入,貴族層からの脱落現象を生んだのだ.一般大衆の人口増加が止まった時も貴族層の人口は増加を続けた.そして社会ピラミッドはトップヘビーになった.
  • 私たちはこのエリートの過剰増加が中世英国でも生じたことを,直属封臣(Tenants-in-chief :ノルマンコンクエストに由来を持つ国王の直属臣下である領主)の死にかかる審問記録(その地位の相続を認めるかどうかを審問するもので,その記録には土地からの収入などに加えて直系男子相続人の数が明記されている)から知ることができる.(1250〜1500年の何千もの審問記録を分析したリサーチが紹介されている:13世紀後半の男子相続人の平均数は1.48で,この50年間でこの階層の人数は倍増したと推定される.14世紀前半,一般人口が減少に転じたなか,この平均数は1.23で,この階層人口はなお40%増加したことが推定されるとしている).

 
この審問記録による検証のところは詳しくてなかなか面白い.