14世紀フランスの崩壊過程.ターチンはまず先立つ200年間でフランスの人口が3倍に増加し,14世紀初頭にはマルサストラップに入っていて,1人当たり食料生産の減少と実質賃金の低下が生じていたと指摘する.
第8章 運命の車輪の逆側:栄光の13世紀から絶望の14世紀へ その4
- 経済史家たちは中世の生産力の情報を用いてノルマンディで農家が暮らしていくのに必要だった土地面積を15エーカーと割り出した.英国の歴史家たちは別のデータを用いてほぼ同様の結論を得ている.15エーカーあれば教会と王家に税を払い,翌年のための種を取り分けたあと,4〜5人の家族が暮らしていけた.不作の年には倹約しなければならなかったが飢餓に陥るほどではなかった.問題は1300年ごろに15エーカー以上の農地を持てた農家は1/5だったことだ.大多数の農民は十分な土地を持たず,外側で何らかの仕事をしなければ暮らしていけなかった.そして農村に多くのプロレタリアート労働者が生まれた.それでも全員に充分な仕事はなかった.何とか仕事を得ようと土地を持たない農民は都市に流れた.彼らは都市の無産階級,浮浪者,そして盗賊となった.
- 1300年までには人口増加がフランス,その他の西ヨーロッパ諸国の経済システムに大きな圧力をかけ,限界に達した.大半の農民は飢餓寸前だった.ほんの少しの不作でも特定の階級民にとっては大災害となった.不幸なことに14世紀を通じて,気候は悪化していった.1315〜1322年にかけての冷涼で多雨な気候により,大規模な不作,家畜の大量死が生じ,ヨーロッパがそれまで何百年も経験したことのないような大飢饉が襲来した.(中世の年代記作者であるトロケロワのヨハネによるすさまじい飢饉の記述が延々と引用されている.地域によっては人肉食も生じたようだ)この大飢饉でフランスの総人口の1割が失われたと推計されている.
人口増加がまずあり,それがマルサストラップを通じて食料不足と賃金低下を引き起こすという内部ダイナミクスに,1310年代の外因性の天候不順ショックが加わり,大飢饉となったということになる.
- 14世紀の大飢饉はヨーロッパ人の心理に大きな傷跡を残した.有名なおとぎばなしの出だしはこうだ:「森の深くに貧乏なきこりが妻と2人の子供と住んでいた.子供の名はヘンゼルとグレーテル.もともと食べるものがなかったところに大飢饉が降りかかり,きこりはもはや毎日のパンを手に入れることもできなくなった.そのことをベッドで考え悩み,ついに妻に話しかけた.『どうすればいいんだろう,どうやったら子供たちを食べさせられるのか,自分たちの食べるものもないのに』」その後どうなったかは誰もが知っている.子供たちは森に置き去りにされ,お菓子の家を見つけるが,そこに住んでいた老婆に食われそうになるのだ.
グリム童話はちゃんと読むと怖い話が多く,ヘンゼルとグレーテルもその1つということになる.ただ最終的にはハッピーエンドになることと途中のお菓子の家がいかにもメルヘンなので,日本では結構明るいイメージで捉えられていることが多い気がする.絵本の表紙も笑顔のものが多い印象だ.
ドイツ版やフランス版だとそこはかとない怖さの表現も混じった表紙になっているものが多いようだ.
そして第二の外的なショックがヨーロッパを襲ったペスト禍になる
- 次の大災害は「黒死病」だった.1348〜49年の間にフランスの様々な地域で,人口の1/4〜1/2が失われた.一部の地域では80〜90%が失われている.疫病は1361年,1374年にも襲来し,その後も10年周期で何度か小規模の流行が起こっている.14世紀の末にはフランスの人口は1300年当時の半分以下になっていた.
- 黒死病は14世紀ヨーロッパにとってとてつもないショックだった.その死者数という直接の結果に加えて,生存者の心理にも深い傷を残した.それでもこの世紀の惨めさを疫病のせいにだけすることはできない.
黒死病と聞いてまず思い出すのは,ボッカチオのデカメロンの背景として使われていることだが,私的にはコニー・ウィリスの時間旅行SF「ドゥームズデイ・ブック」の描写の印象が強い.タイムトラベルものSFだと思って読み始めたが,陰惨なペスト禍の記述が圧倒的な迫力で,SF仕立ての歴史物だなと思ったのをよく覚えている.