War and Peace and War:The Rise and Fall of Empires その60

 
14世紀が始まるころ,フランスはある種の黄金時代だったが,そこから崩壊する.ターチンは内部的な非線形ダイナミクスからそれを説明する.人口増加によりヨーロッパは典型的なマルサストラップに陥り,そこに冷涼気候による大飢饉と黒死病が襲う.ターチンはしかしこれらの外的要因を過大評価すべきでないとする
 

第8章 運命の車輪の逆側:栄光の13世紀から絶望の14世紀へ その4

 

  • 黒死病はたしかに人口減少の大きな要因だが,原因はそれだけではない.結局人口減は1348年より前に始まっていたのだ.人口減少は,飢饉,戦争,そして出生率の減少によっても引き起こされていたのだ.そして黒死病は世界史的にみて前例のないようなものではない.(いくつもの疫病による大厄災の例が引かれている)

 
ターチンが引いている疫病の例は紀元前5世紀のアテナイの疫病,2世紀ローマ帝国エジプト・シリア領域のアントニヌスの疫病,5世紀東ローマ帝国のユスティニアヌスの疫病,17世紀英国のペスト禍などだ.アテナイの疫病はトゥキュディデスが描写したもので,ペロポネソス戦争のさなかに戦争指導者だったペリクレス自身が感染して死亡し,これがアテナイの凋落の大きな要因になったとされている.
 

 

  • 一般的に言って,疫病はセキュラーサイクルの崩落フェイズでほぼ常に人口減の原因となっている.これを説明する重要な要因は人々の流動(田舎から都市への流入,浮浪者・放浪者の増加,反乱軍の移動)だ.加えて人口の大きな部分の栄養状態が悪いことも挙げられる.つまり人口増加は疫病流行の基盤をつくり,死亡率の増加を促すのだ.

 

  • 西ヨーロッパ住人の視点から見ると,黒死病は外因的で不可解な出来事だ.しかしヨーロッパは孤立した島ではない.それはユーラシア全体のプロセスの影響を受ける.13世紀にユーラシアの広大なコア地域はモンゴル帝国によって統一された.モンゴルの征服の1つの帰結は,中央アジア全域に渡る交通,交易,収奪,コミュニケーションの密度と速度の増加だ.これは病原菌の遠距離間の伝播スピードを上げた.1330年代に中国,トルキスタン,ペルシアはいずれもモンゴル王朝に統治され,同じような政治的崩壊を経験した.その結果広大なステップ地域は大混乱に陥った.多くの人々が混乱しながら行き来し,ペスト菌を大陸の果てまで広げたのだ.疫病が最初に現れたのは1331年の中国だ.15年後,その病気はカファを攻略中のタタール軍の間で流行し,そこからヨーロッパ全域に広がったのだ.

 
ターチンは黒死病のインパクトはマルサストラップとの複合的なものだったことを強調していることになる.さらにターチンは原因は広くユーラシア全体をみないとつかめないと主張している.とはいえターチンの議論のこの部分にとってユーラシア全体の俯瞰がどこまで重要かというのはよくわからないところだ(単に突然ヨーロッパに現れた外的要因としても議論の筋は変わらないような気もする)