「ヒトの進化」


ヒトの進化 (シリーズ進化学 (5))

ヒトの進化 (シリーズ進化学 (5))



岩波書店のシリーズ進化学の一冊.本書は特にヒトについての様々な現代進化生物学の知見を一冊にまとめていて面白い企画だと思う.他のシリーズと同じく章ごとに専門家が執筆している.


序章は斉藤成也先生による人類進化の研究が世界観に与えた影響というなかなか面白い話題だ.リンネとビュフォンにちょっとふれた後でダーウィンに.そしてヒトが他の動物と連続しているか断絶しているかという切り口からその後の影響を見る.最後は斉藤先生が執筆者であるからには期待通りに中立説と偶然の歴史の記述という話題で締めている.


第1章は本書の要になる化石から見た人類の進化.執筆は諏訪元先生である.この分野は常に新発見が続いていて何年かおきには最新情報の本を読みたい分野だが,本章はその期待を裏切らない.トゥーマイで有名なサヘラントロプス・チャデンシスやフローレス原人のホモ・フロレシエンシスもちゃんと説明に組み入れられている.アフリカの中新世前期あたりから記述が始まり,類人猿の化石について詳しく紹介されているのがとてもいい.体幹水平型から懸垂型への進化の道筋がいろいろ考察されている.また初期人類の謎めいた猿人たちの記述も詳しい.前述のサヘントロプス,オロリン,アルディピテクス・カダバ,同・ラミダスなどが並べて解説されている.そこからアウストラロピテクス,ホモへと進む.フローレス原人についてはエレクトゥスの矮化説を支持している.記述は平明で中庸的な立場から分かりやすく叙述されている.


第2章は颯田葉子先生と斉藤成也先生による遺伝子から見たヒトの進化.まず霊長類の系統分析の話題から.近縁の動物目について,なお検討の余地はあるが,コウモリ説は支持しがたいとしている.続いて霊長類内の系統分析.他の原猿に比べてメガネザルがより真猿に近縁なのはもう動かないらしい.ここで分子系統分析についておさらいが入り,分岐が近い年代の場合に系統分岐と相同遺伝子の間に微妙な問題が起こることを解説している.現生人類の系統分析の話題の後,単一種内の分子系統分析の深い話に入り,人種間の遺伝子多型の解説がされている.さすがに深い.


第3章は山森哲雄先生による脳の進化.主に神経系や脳の各部分の公正についての話題と脳の増大と大脳皮質の進化について解説している.細かい最新知見にもふれられている.この分野は現在ではいろいろな知見がどんどん出てきていて,大きな話につながるのはこれからという印象を受けた.


第4章は長谷川眞理子先生による人間の本性の進化.ま人間の本性の研究が社会ダーウィニズム社会生物学論争のような難しい問題に絡まることにふれてから解説が始まる.まず進化心理学の視点を説明し,これとまた違った視点からの研究分野として人間行動生態学(ヒューマンユニバーサルではなく,具体的な現代の様々な人間集団の,文化もあわせた環境がそれぞれ異なる中での,表現型としての行動を研究する分野)があると解説する.そしてヒトの生活史パターンの進化,殺人研究という執筆者の最近の研究に沿った解説がされている.最後の人の協力行動についてのまとまった節があり,4枚カード問題と裏切り者検知,合理的経済人としての行動との差異から間接互恵性の最近の研究動向が解説されている.この部分はまとまった総説をあまり見かけないのでうれしい部分だ.


第5章は岡ノ谷一夫先生による言語と起源の進化.この部分はまだ定説はない部分と思われるが,岡ノ谷説が分かりやすくまとめられている.今後の研究の進展が楽しみな分野だと思う.


結びは長谷川眞理子先生の手になるもの.人間の進化を理解するという試みがいかに学際的な分野かと言うことを強調している.
確かに本書を通して読んでみると各章はきわめて切り口が異なっており,ヒトの進化の研究がいかに学際的なものかということをを実感させてくれる.まだまだ発見や総合がこれからという分野が多いこともはっきりわかる.いずれにせよヒトの進化を巡る最新知見がこのように一冊にまとまっているという本書は非常にユニークで貴重なものだと思う.