読書中 「Breaking the Spell」 第11章 その2

Breaking the Spell: Religion as a Natural Phenomenon

Breaking the Spell: Religion as a Natural Phenomenon




最終章後半.
子供に対する洗脳という視点に切り込む.まずこの問題はアメリカでは深刻に考えられていないが,本来深い問題だとし,小さい子供に宗教教育をすることがどのような影響を与えるかまったくリサーチがないことを指摘する.

そもそもはどう考えるべきなのだろうか.進化生物学的には哺乳類は親が子を育て子供が適応的であるように育てる.親には子供を思うように育てる権利があるというのがファミリーヴァリューのコアだ.しかし同時に親が子に所有権を持つわけではないことを認めなければならない.ならば外部者は干渉すべきなのか?

ここで現代アメリカの右派による宗教観では子供の命は神聖で中絶を認めないが,子供については親が好きに洗脳してよいということになると矛盾点を指摘する.ここは鋭いつっこみで思わずにやりとさせられる.


デネットは彼の結論として,「情報が与えられた上での選択だったのか」を重視すべきだと主張する.そして情報が与えられるほど成熟していない場合には無条件に洗脳を認めるべきではない.もし親が,恐怖や憎しみを使ったりせず,質問を封じないのなら,宗教教育をしてよいとルールづけてはどうかと提案している.中庸的な提案だし至極もっともだが,信心の厚い人には受け入れられないような気がする.もっともデネットはそれもわかった上で提案しているのだろうが.


また文化相対主義的な論点を取り上げる.

架空の民族を取り上げて,あなたは幼児ポルノを愛好し,マリファナを吸い,脱糞儀式を行い,80歳になると自殺して親族がその肉を食べる祭儀を行う民族のことをどう思うだろうか?イスラムから見ると酒を飲み,派手に着飾り,長老に対してカジュアルに振る舞う西洋文化はどう見えるだろうか?と読者に問いかけている.ここは出版当初向こうで話題になったらしい.なかなか挑発的な問いかけだ.


そして我々の文化的価値観はひとつのデータにすぎない.我々は冷静に相手の思考を想像し,話し合うべきなのだという.ある習慣は認めてもいいし,あるものはなぜそれをすべきでないか説得する(される)ことになるだろう.そして理解が進むのだ.そしてこのような会話のためには研究が必要だと主張している.


情報技術とグローバル化が進み世界はあらゆる文化のがらくたで満ちている.教育や人権などのよいことと並んで資本主義と技術主義の悪弊も広がっている.よそ者嫌いや原理主義の排外主義が入り込みやすい.ここでちょっと読者サービスだろうか,だからといってアメリカンポップカルチャーを恥じることはないと慰めている.デネットの見るところほとんどのアメリカ文化への反感は,黒人への人種差別,女性の蔑視,ホモへの嫌悪からきているということらしい.


ミーム的な観点からリサーチして悪弊を食い止める助けにしようという提案もなされている.イスラムテロリズムを理解するにはイスラムである必要はないが,別のテロリズム,カルトなどとあわせた理解が重要だというのだ.その一つの示唆としてひとつの魅力的な仮説をとりあげる.このような有害ミームはカリスマ的なリーダーとともにそのミームエンジニアリングの計算違いとして生まれるという説だ.リーダーと参加者の間に嘘が嘘で大きくなるようなランナウェイプロセスが生じると考えることができるという.


最後にひらかれた社会に信を置き,オープンな教育で宗教と競争しようと主張する.宗教を議論の外に置くべきではない.もっと上手に宗教と対峙し,マーケティングすべきだという.宗教の広告は偽の広告があるのであり,それは認めるべきではないという.特に何か聖なる価値があるという主張は危険であり認めるべきでないと強く主張する.これはもっともだ.「聖なるもの」は議論と対話を拒絶する諸悪の根源だと私も思う.子供の洗脳と並んでデネットの憤りが強く感じられるところで,マルクス主義の現状(革命を起こすのが正義であり,嘘をついてもよいと考えた人は子供を洗脳し,そうした人がまだ左派の中に残って残りの社会主義者を困らせている)に宗教右派が近づいていると警告し,最後の審判を子供に洗脳しているのは特に危険だと指摘している.なかなか日本では想像しにくいが,本気でそう信じている人が結構いるというのがアメリカの現状なのだろう(何しろ進化が事実ではないと結構な割合で信じているらしいから)


最後の最後にまとめとしてこういっている.

我々は穏やかに,しかししっかりと,彼等が情報を与えられた上で人生の決断が下せるように世界の人を教育すべきだ.無知は恥ずべきではないが,無知を強いるのは恥ずべきことだ.
人は自分の子供より無知であることを恐れて子供(特に娘)に無知を強いがちだ.彼等には子供からものを教わるほど楽しいことはないことを教えよう.我々の子供が先人の基礎の上に新しいプロジェクトを立ち上げて世界の将来を平和に導くのを見るのはどんなにか魅力的なことだろう.

第2部の知的に非常に面白い宗教の成り立ちの説明から一転して,第三部はあまりにも宗教に食い込まれて合理的な議論ができないアメリカの現状に対してどう説得するかというデネットの悩みが伝わってくるような作りであった.当たり前のようなことを力説しなければならないというのはそれだけ現状が厳しいのだろう.


第11章 我々はどうするのか?


3. 子供には何を伝えるべきか?


4. 有毒のミーム


5. 忍耐と政策