読書中 「The God Delusion」 第8章 その2

The God Delusion

The God Delusion



宗教的な絶対論の次の例は中絶,及びES細胞を使った研究の是非についてだ.日本ではあまり知られていないが,米国での最大の内政問題は中絶の是非と銃所持の自由だ.そして共和党は中絶反対,銃所持賛成の立場だ.この共和党の中絶反対の理論的な背景は宗教的絶対論に基づくものらしい.
宗教的絶対論から言うと胎児を殺すことは絶対的に悪だ.そして胎児かどうかの境界をどこに置くかというのは,合理的に理由なくとにかく決まっているというのが宗教的な絶対論からの結論になる.
ドーキンスブッシュ大統領の立場に対して,中絶に反対し,医学研究のためのES細胞利用にまで反対するのに死刑執行には熱心だと皮肉っている.またマザーテレサに対しても批判の矛先をゆるめない.彼女はノーベル賞受賞スピーチで「平和の最大の破壊者は中絶だ」と言ったことがあるらしい.確かにかなりピンぼけの発言だ.ドーキンスは厳しくどうしてそんな判断に至る人が何か賞に値すると考えられるのだろうかとコメントしている.彼女のような人を批判することは政治的には非常に損だが,あえてやっているのだろう.

そしてアメリカの宗教的過激派は実際に中絶を行う病院や医師を焼き討ちにしており,これはイスラムファシストのミラーイメージだと表現している.実際の事件も紹介されている.

宗教的絶対論者の牧師ポール・ヒルは,実際に中絶を行う医師を射殺する事件を起こした.彼を弁護するブライ師はキリスト教の教える法が実際の法律になっていないことが最大の問題であり,将来の中絶を阻止するための医師殺しは許されると考えている.ポール・ヒルは死刑を宣告されたが,彼は殉教者になれるとほほえみ,彼の死刑はより殺人を誘発する可能性が高いとして,減刑嘆願書も出された.

(この嘆願書の理由もすごい)


実際に受精卵を全部救おうとするのは社会が25年以上認めてきた(そして多くの子供のできない夫婦に幸福をもたらした)生体外人工授精(数個の受精卵から2-3個のみを子宮に戻す)の実務とは真っ向から矛盾すると説明している.そして絶対論を信じる人はこの廃棄される受精卵も救おうとしているそうだ.ここまでくると普通の日本人からはコミカルな状況にさえ思えてくる.


そして宗教によらずに功利的に中絶やES細胞の利用について考えるべきだと主張している.ここはドーキンスが「こうするべき」だという道徳律の議論に踏み込んでおりちょっと珍しい.ドーキンスの考える善悪判断の基準は苦痛の量と言うことらしい.かなりまじめに紙数をさいて論じている.




ここでさらに1節をさいて中絶反対論者のロジック「偉大なベートベンの誤謬」について反論している.

偉大なベートベンの誤謬とは以下のものだ.

中絶するかどうかについてあなたの意見をうかがいたい.父は梅毒,母は結核,第1子は盲目,第2子は死亡,第3子は聾唖者,第4子は結核.第5子はどうしますか.
中絶しましょう.
ではあなたはベートーベンを殺すことになる

ドーキンスはこれは都市伝説ミームとしても面白いと言いつつ,まずこれが事実ではないことを軽く指摘している.そして事実かどうかに限らずとても悪い議論だと切って捨てる.
これが悪なら,中絶だけでなく,避妊も,単なる性的な抑制もすべて悪になる.また中絶によりヒトラーを防げたのなら善にもなってしまうだろうと指摘している.ここは議論が鋭く決まっていて読んできて快感だ.さらにモンティ・パイソンに「すべての精子は神聖だ」と歌うパロディがあることまで紹介している.これも笑ってしまった.


さらに中絶反対運動が人間の命だけを問題にしていることは進化的な考えと非親和的だと指摘している.ここはさらにドーキンスが進化的な考えと価値観を結びつけようとしているところで珍しい.ドーキンスは人の胎児は他の哺乳類の胎児をそれほど異なっていないことを指摘し,またアウストラロピテクスのような中間種が現在存在していればという思考実験をするように勧めている.要するに進化的な観点からは絶対的な境界というものがないということがドーキンスの言いたいことだ.だから物事の善悪は功利的に考えた方が良いということなのだろう.



第8章 宗教の何がいけないのか?どうしてそんなに敵視するのか


(4)信仰と人間の生命の神聖性


(5)偉大なベートベンの誤謬