読書中 「The God Delusion」 第8章 その3

The God Delusion

The God Delusion


第8章の最後でドーキンスはこれまで述べた宗教的な絶対論による狂信的な行動は,原理主義的な狂信的宗教だけに原因があるのではなく,中庸な宗教にもその責任があるのだと主張する.これは「一部の原理主義的狂信者のみが悪いのであり,普通の穏やかな宗教はよいものだ」という議論(一般的に宗教の暗黒面を認める人もこのような主張が多い)への反論である.相当過激な主張だ.政治的に見ればやはりこれも相当損な主張だろう.しかし本当によい宗教と悪い宗教が整然と分けられるのだろうか?突き詰めて考えるとドーキンスのこの過激な主張も一面の真理があるように思う.


まずはロンドン地下鉄自爆テロの犯人が,大変穏やかなクリケットを愛する英国人であったことを指摘し,これは宗教的な狂信だけが理由だと説明する.クリケットを愛するというところがいかにも英国的だ.マスコミは狂気のテロリズムと戦うという言い方をするが,本当の問題は宗教的理想主義なのだというのがドーキンスのまず押さえたいところだ.殉教者になれることがよいことであれば自爆テロは完全に合理的になってしまう.
そして宗教的な信仰をそれが宗教的信仰だからといってリスペクトする限り,オサマ・ビン・ラディン自爆テロリストの信仰をリスペクトしないことは難しいというのがドーキンスの次なる主張だ.だからドーキンスは極端主義者の信仰だけでなく,信仰一般に警告を発するのだ.結局何が正統で何が異端かは誰が決めるのかという問題とこのドーキンスの問題提起は結びついている.イスラム教ではむしろ正統とされる教義の方が好戦的であったりすることが紹介されている.


しかしこの意味では何らかの価値システムはすべて危険になるのだろうか?ドーキンス愛国主義民族主義にもその危険があると認めている.しかしその中でも宗教は特に危険だというのがドーキンスの主張だ.合理主義を押さえつけ,殉教者に死後の栄光を教え,疑問を持つことを押さえつけるからだというのがドーキンスの挙げる理由だ.しかしここはちょっと苦しいところだ.結局一定以上神聖な価値を認める考え方はどのようなものにせよ危険になるということではないだろうか.


そしてもっとも有害なのは子供に宗教を教え込むことだとドーキンスは主張する.そしてそれを行っているのは穏やかな中庸的な宗教なのだ.こうして子供の問題は第9章に引き継がれる.




第8章 宗教の何がいけないのか?どうしてそんなに敵視するのか


(6)信仰における「中庸」がいかに狂信を育てるか