生物の科学「遺伝」2008/9 特集 「ダーウィンと現代」

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2008年9月号.特集がダーウィンということで読もうと思っていたが,その辺の書店にはないので入手し損ねて忘れかけていたのを過日偶然見かけて購入.2009年はダーウィン生誕200周年 兼「種の起源」出版150周年ということで,この業界*1 では記念イヤーということになる.
まだ1年早いのだが,先日のダーウィン展(私のエントリーはhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20080423)に続いての企画のようだ.佐倉先生が全体をまとめて,幾人かの進化生物学者の論稿が並んでいる.


佐倉統「ダーウィンと現代」
特集冒頭の紹介文.収められている各エッセイの紹介となっている.


三中信宏「ダーウィンの遺した知的遺産を現代に継承する」
まず生誕200周年やダーウィン展にふれたあと,現在の遺伝子解析などの先端の研究も,その根本に目を向けるとそこにはダーウィンがいると主張している.三中によるとそれは系統樹思考であり,観察される多様な事実を最もよく説明できる仮説を選択するという「アブダクション」という推論手法だという.いずれもその考え方をさかのぼるとダーウィンに行き着くのだという.
論じている中では,社会生物学論争においてルウォンティンが実験を通じたハードな科学のみが科学だと主張し,より良いモデル選択を相関から推定するという手法を認めなかったが,批判派の同僚グールドはむしろこのアブダクション的な手法に親和的だったと示唆しており興味深い.
最後に三中は,進化生物学はダーウィン後150年を経て,人間をふくむすべての生物を視野に入れ,科学哲学と科学方法論の再検討を通じて「歴史」の意味を我々に問い直させたと述べ,それこそがダーウィンが我々に与えた衝撃だと結んでいる.


高畑尚之「ダーウィンと現代集団遺伝学」
ダーウィンの種の起源1859,メンデルの遺伝実験1856,ミーシャーのヌクレイン(DNA)の発見1869,と重要な発見がわずか10年の間に生じたという導入からはじめ,ダーウィンと集団遺伝学の関係を説明している.
驚かされるのは,ダーウィンは「種の起源」において,すでに中立的変異の浮動を含む集団遺伝学的な思考様式を示していることである.ここでも孫引きの引用をしておこう.

では我々は(生存可能であるよりずっと多くの個体が生まれることを忘れないなら),たとえ軽微ではあっても他のものに対して何らかの利点となるものを持つ個体は,生存の機会と,同類を増やす機会とに,もっとも恵まれるであろうとは,考えることはできないであろうか.
他方,ごくわずかの程度にでも有害な変異は,厳重に捨て去られていくことも,確かであるように感じられる.
このように有利な変異が保存され,有害な変異が捨て去られていくことを指して,私は「自然選択」と呼ぶのである.有用でもなく有害でもない変異は自然選択の作用を受けず,それには変動的な要素が残されるであろう.

高畑は集団遺伝学という学問自体が,この内容をメンデルの遺伝法則の下に定量化したものだと評価している.ここから集団遺伝学の歴史を概説しているが,集団遺伝学の創始者たちが想定していた遺伝子型と表現型の関係図が載せられていて,いろいろな論争の土台がわかるようで興味深い.
ここから日本の集団遺伝学者らしく木村の中立説についての概説がある.その師クローの考え方の影響や,その後の分子データの解釈,今後の課題などがふれられている.


長谷川眞理子「ダーウィンと現代進化学」
長谷川はダーウィンの主張における理論的に興味深い論点を取り上げている.
まずダーウィン自身が難点としてまとめていた論点.

  1. 種が祖先型から徐々に変化してきたのなら,なぜ中間的な移行形が存在しない,あるいはきわめてまれなのか.
  2. 例えばコウモリのような特殊な形態や習性を持つ生物が,それを持たない生物からどのようにして派生してこられたのか.
  3. 「本能」が自然淘汰で形成,改変されるものであるのか
  4. 異種同士を交配させても多くの場合不妊であるが,変種同士の交配の場合には妊性があることをどう説明するのか

長谷川はダーウィンはこれに対して非常に真摯に取り組んでいるが,生前にはっきりと解決されることはなかったと論じている.確かにダーウィンの書いたものを読むと異種同士の不妊,変種の妊性について非常に執拗に調べていることがわかる.
個別の論点についてはそれぞれ説明があるが,2番目の論点についてはドーキンスのいう「想像力欠如の反論」(私には眼が自然選択で進化するなど信じられない,だから進化は事実ではない)をすでにダーウィンが論じていることも指摘していて面白い.また前適応や幼形成熟にかかる議論もすでにダーウィンによってなされているのだ.ダーウィンは遺伝のメカニズムについてまったく知り得なかったのだが,それでもここまで深い理解に達していたのだということは今更ながら畏敬の念に打たれる.長谷川は,現在の理解ではこれらの論点は「難点」ということではもはや無いが,未だに完全に解決されているというわけでもないと締めくくっている.
続いて長谷川は性淘汰の議論を取り上げる.
この論点もダーウィンがはるかに深い洞察をただ1人先行させていたものだ.この中で,なぜダーウィンの性淘汰の議論がなかなか受け入れられなかったのか(実際に性淘汰が確実に理解されたのは1980年代後半以降のことだ)について結構詳しく考察されていて面白い.メイナード=スミスは女性研究者の進出を理由としてあげているが,長谷川はそれは怪しいのではと示唆している.
本論はダーウィンとライエルの関係についてちょっとふれたあと,なお表現型の現象については現在の生物学でも説明できないことが多く,ダーウィンの書物は未だにアイデアの宝庫であると締めくくっている.


内田亮子「ダーウィンと現代人類学」
人類学者から見たダーウィンという趣向.内田によると人類学は100年以上もダーウィン不在のまま人間中心主義,差別主義的学問であり続け,遺伝・文化による決定論的な学問であったそうだ.
内田は人類についての考え方の変遷をまず説明している.ダーウィンは当初からアフリカ類人猿と人類が進化的に近縁であり,人類が単一種であると主張している.人類を特別なものとして見がちな当時(ウォーレスは人類の知性は自然選択の産物ではないと論じた)にあってその洞察はやはり鋭い.
人類学はスペンサーの「社会ダーウィニズム」の影響を受け(タイラーの社会進化論),その後優生学を含むこういう傾向への拒否反応としての文化決定論,文化相対主義が主流になる.内田によるといずれも自分たちの文明とそれ以外の違い(縦に並べるか,横に並べるかの違いはあっても)の説明をしているだけだということになる.
そして1970年代以降,社会生物学の影響も受け,現代進化理論,行動生態学の理論(最適化理論,包括適応度,性淘汰,子育て投資理論など)を使って人類を理解しようという動きが生じてくる.それは徐々に広がりを見せているし,また1980年以降は文化の理解にもダーウィニズムを応用しようという動きがあるとまとめている.
ダーウィンは人間の社会の特殊性には十分理解を示しつつも,類人猿との連続性を考え,道徳も社会的本能であり自然選択の産物と考えていた.そして内田は,現在ダーウィンの洞察の通り,集団主義,模倣能力,社会秩序における感情の役割,集団間の闘争の適応的意義などについてのリサーチが進んでおり,今後さらに学際的な研究が重要になるだろうと主張している.
内田は最後に,進化について一般の理解の薄さ,自然主義的誤謬の氾濫を嘆きつつ,人類学は人間についての科学的視点および誠実な知の普及にまずは努めるべきだろうと本論を結んでいる.


徳永幸彦「ダーウィンと現代生態学:こんがらがった土手を繙くには」
複雑な生態系について,日本人は特にその全体の調和に関心が向かうが,ダーウィンはその背後にあるそれぞれの利己的な法則を見抜いていたというつかみから始まる.一見全体主義に見えるものをいかに利己主義に理論的に落とすかが,進化学の努力の歴史であったという認識だ.メイナード=スミス,ハミルトンの知的格闘はまさにそこにあると言っていいだろう.
このあと有名なダーウィンによるマダガスカルの30センチの距を持つランの存在からその長さの口吻を持つ蛾がいるに違いないという予測を紹介しつつ,送粉シンドロームの現在の知見を述べている.
また徳永は,ダーウィンの論じ方「今あるデータに対するもっとも良い仮説を選ぶ」(三中のいうアブダクション)自体が,自然淘汰的であると指摘し,それは統計学の中でのフィッシャー,ネイマン=ピアソンの論争にも絡むものだと指摘している.なかなか面白いとらえ方だ.
徳永は最後に自分自身が解き明かしたいと考えているマルハナバチの「雄の道」現象にダーウィンがすでに気づいており,様々な疑問を提示していることを紹介して本論を終えている.


染谷昌義「ダーウィンの心理学:わかりやすさに逆らう」
動物が決定論的オートマタだと論じたハクスレーとそれには賛成していなかったダーウィンのエピソードから始まる.そしてダーウィンのミミズがどのように枯れ葉を土に引き込むかを調べた実験を説明しつつ,ミミズですら決定論的に動いていないとダーウィンが論じていたことを紹介している.徳永は,これを至近要因と究極要因を別々に考えるだけでは真実に到達しない例として,ダーウィンの洞察の深さを紹介しているようだ.
そのような統合的見方の例として良いのかどうかはよくわからないが,確かにダーウィンの洞察は非常に深いことがうかがい知れる.ダーウィンのミミズ本も随分昔に読んだだけだが,もう一度読み返してみたくなった.


岡ノ谷一夫「ダーウィンと現代動物行動学:鳥の歌研究を中心として」
動物行動学は究極因により興味を示す行動生態学と,至近因に重点を置く神経行動学に分かれてきていると始まる.岡ノ谷の研究エリア鳥の歌について至近因,究極因の知見を紹介している.ダーウィンはこのエリアでもアイデアを持っていて,小鳥の歌が学習形質であること,性淘汰で進化した性質であることを指摘しているのだ.


佐倉統「エリートにとっての記号から生物学の象徴へ:日本におけるダーウィン像の変遷」
日本におけるダーウィンの進化理論の受け取られ方の歴史を現代からさかのぼる語りでまとめている.そのなかでは明治期に極端な科学主義的とらえ方(丘浅次郎)とそれへの反発,社会ダーウィニズム的なとらえ方(加藤弘之)とそれへの反発があったことが,社会生物学論争とちょっと側面が似ているとして興味深く取り上げられている.


木下真「子ども研究の道を開いたダーウィン」
木下はフリーライターとして寄稿.ダーウィンが長男ウィリアムの観察を細かくしたことは有名だ.哲学雑誌に投稿して掲載されている論文もあるそうだ.木下は,それにとどまらず,20世紀初頭のアメリカの児童研究運動にもダーウィンは影響を与えているし,そもそも子どもを研究することで人間をより理解できるという理解から子ども研究する動機を与えたのだと論じている.




なかなか多彩な執筆陣で興味深い指摘も散見される.それにしてもやはりダーウィンの洞察は時代を飛び越えていることがよくわかる.その時代の常識や偏見に流されず,観察をひたすら重ねて生のデータを収集し,ただ真実に迫るという真摯な姿勢と深い考察に改めて畏敬の念に打たれる限りだ.


なお本誌は特集号ではなく,レギュラーの9月号ということで,特集以外の記事も含めて1600円.マーケティング的にはなかなか売れにくいのではないだろうかとちょっと心配.




関連書籍


種の起原〈上〉 (岩波文庫)

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新版・図説 種の起源

新版・図説 種の起源

種の起源

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ダーウィンの種の起原で入手しやすいのはこのあたりだろう.スタンダードなのは岩波文庫版.図説版は一部省略があるが,図版が豊富で最初に読むには取っつきやすい.この2つは原書の初版からの翻訳だが,槇書店のは最後の第6版が収録されていて,その間のダーウィンの考え方の揺れと,変わらなかった芯の部分がわかって興味深い.



生物系統学 (Natural History)

生物系統学 (Natural History)

  • 作者:三中 信宏
  • 出版社/メーカー: 東京大学出版会
  • 発売日: 1997/12/01
  • メディア: 単行本
系統樹思考の世界 (講談社現代新書)

系統樹思考の世界 (講談社現代新書)

  • 作者:三中 信宏
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2006/07/19
  • メディア: 新書


三中先生の問題意識はこの2つの本に詳しく論じられている.



ミミズと土 (平凡社ライブラリー)

ミミズと土 (平凡社ライブラリー)

小さな変化も累積的にかかると大きな結果が生じるのだという問題意識が濃厚に感じられる本だ.ミミズの行動様式の柔軟性についても考察があるということなのでもう一度読みたい気がしている.

*1:ダーウィンは自分に関するノート,記録,手紙などを丹念に整理・保存していたため,ダーウィンについてリサーチするというダーウィン産業というものがあるとも聞いたことがある.ここでは進化生物学周りの業界という意味