「Missing the Revolution」 第5章 わらを使って干し草を作る:進化心理学における本当の議論と想像上の議論


Missing The Revolution: Darwinism For Social Scientists

Missing The Revolution: Darwinism For Social Scientists



第5章は前章の社会生物学論争史を受けて,現在の進化心理学に対する批判の総説になる.筆者はロバート・クツバンとマーティー・G. ハセルトン.二人とも新進気鋭の進化心理学者で,クツバンはコスミデスとトゥービイの直弟子のようだ.


本章では進化心理学へのよくある批判を整理して,そもそもありもしないかかしを仕立ててぶん殴ろうという筋悪の批判と,真摯に受け止めるに足る批判に分けて概説している.


<筋悪な批判>


1.遺伝的決定主義

進化心理学は遺伝的決定論だと誤解されることが多い.このあたりは本書のほかの章でも何度も取り上げられている定番の誤解兼批判だ.クツバンとハセルトンは,しかしむしろ環境にどう反応するかがリサーチの主流だと反論し,例として「父の不在が娘の性成熟を早めるか?」という問題に対するリサーチをあげている.
またここではサロウェイの子どもの生まれ順によるパーソナリティの違い説もあげている.
この説自体の正否はまだ決着がついていないようだが,進化心理学の仮説としてあつかうにたるものだ.以前グールドがエッセイにおいて,サロウェイのこの主張を取り上げて,「このように環境により性格が変わるとするなら(遺伝決定論的な)進化心理学は誤りだ」という趣旨の批判をしていたが,まさに二重三重に誤解した批判といえるだろう.


2.社会横断的な変異

批判者はヒューマンユニバーサルといわれている性質が,文化や社会によって異なっていれば進化心理学を批判できると誤解している.例えば配偶者への好みとして主張されているものが,その社会で女性がどれだけリソースを獲得できるようになっているかで異なってくるという事実を見つけると,より節約的な仮説としては進化的な影響をのぞくべきだと主張される.

しかし進化心理学は心は社会環境の条件に反応できると考えている.その例としてはギャングスタッドとバスの「配偶選択の好みはパラサイト状況により変わる」というリサーチがあげられている.
ユニバーサルな心はその環境条件に反応できるということが理解できないとは思えないのだが,なかなかこの部分も根が深いようだ.


3.ハイパー適応主義

グールドはすべてを適応で説明すべきでないと批判した.
しかし進化心理学者は副産物,ノイズの存在を認めており,なぜこう誤解されるのかも理解に苦しむところだとクツバンとハセルトンは主張している.(セーゲルストローレ的に解釈すれば,隠れた政治アジェンダがあったりするからだということになるだろうか)セーゲルストローレによればグールドは後に少し後退して,検証自体が循環になっている可能性を批判したということになる.
クツバンとハセルトンは副産物仮説を検証しているリサーチを例としてあげ,また進化心理学者は「適応」だと主張するには証拠が必要だと理解していると反論している.


クツバンとハセルトンはかなり辛辣にこう指摘している.

グールドは,父親が子供に投資するのは,子供が可愛いからでそれ以上の適応的なこじつけ話は不要だと批判していながら,20年前のエッセイではミッキーマウスのネオトニー的な変容についてそれは適応的だったろうと書いている.大体ペンギンの父親が子供に投資する傾向が「副産物」だと本当に考えることが可能だろうか?


4.進化生物学をヒトに適用することについて

よくいわれる批判は,データ不十分,至近因を考えろ,副産物仮説をもっと検討しろというところだ.
グールドは,EEAについてはよくわかっていないし,検証不能で科学ではないと批判する.
このあたりもセーゲルストローレによれば,「科学」とは何かという哲学の違いや,隠れた政治アジェンダがなせる技だということになるだろう.


クツバンとハセルトンは,EEAは,仮説を作れるかどうかが問題であってすべてがわかっている必要はないと主張している.
進化適応が生じた環境がどうだったかという問題は進化心理学だけの問題ではなくすべての進化生物学に共通だし,また至近因と究極因はレベルの異なる説明だと述べている.
普通の心理学者が至近因しか興味がないのに対して進化心理学者はいろいろな興味があり,むしろその分野の強さを示しているのだという言い方に,進化心理学者としての矜持が窺える.


<真剣に取り上げるべき批判>

クツバンとハセルトンは真剣に取り上げるべき問題として「心の領域特殊性」をあげている.

心が領域特殊的かどうか,どこまでそうなのかは重要な代替仮説であり有意義な議論だ.
例えば顔認識については様々な実験や神経心理的な分析によりかなり領域特殊性が高いことがわかってきた.今後も言語学習などのついて有意義な知見が得られるだろう.

この応用問題として,顔の認知の問題が例として示されている.またパスカル・ボイヤーの宗教の説明にもふれている.ボイヤーの「なぜ木曜日のみに現れるような神はいなくて,ヒト的な神はいるのか」という問いかけは,「神」という概念は心の領域特殊性から生まれる特徴ではないかという問題意識のあらわれだということになる.


最後にクツバンとハセルトンは以下を結論としてまとめている.

1.生物個体の発達史は環境は非常に重要だ.
2.生物個体は副産物やノイズなどの適応以外の形質を持っている.
3.新しい洞察を生みださない仮説は役に立たない.
4.ある現象に対していろいろなレベルの説明がある.
5.適応の主張にはサポートが必要だ.通常それは特別のデザインという形の証拠だ.


関連書籍


Evolution and the Social Mind: Evolutionary Psychology and Social Cognition (Sydney Symposium of Social Psychology)

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クツバンには著書はないようだが,ハセルトンはこの本の共著者のようだ.



Born to Rebel: Birth Order, Family Dynamics, and Creative Lives

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サロウェイ自身は進化心理学者ではないが,この本における主張は,「生まれ順という条件に応じて異なったパーソナリティを発達させるという戦略が環境に対する適応として進化したヒューマンユニバーサルだ」という仮説として読むことができるだろう.


Religion Explained: The Evolutionary Origins of Religious Thought

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神はなぜいるのか? (叢書コムニス 6)

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宗教を進化的に説明しようとした本
私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20080505


パンダの親指〈上〉―進化論再考 (ハヤカワ文庫NF)

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グールドのミッキーマウスエッセイはこのパンダの親指の第9章として収録されている.なお私はグールドの社会生物学批判や適応主義批判の言動にはついていけないが,彼のエッセイ自体は結構好きだったりすると,こっそりここで告白しておこう.