「Missing the Revolution」 第7章 ヒトの社会の研究における霊長類学のインパクト その2


Missing The Revolution: Darwinism For Social Scientists

Missing The Revolution: Darwinism For Social Scientists


第7章のロドセスとノヴァクによる霊長類学とヒトの社会の研究.ヒトの社会性の研究の歴史を概観したあとに,全体の流れは狩猟仮説から,ボディガード仮説に移っていると捉え,バンドについてはチンパンジーに,ボンドについてはゴリラに近いという形になるというのがここまでの流れ.いよいよ類人猿の1種としてヒトを見たときにどのように見えるのかという議論に入っていく.


大型類人猿との比較で見たヒトの社会


ロドセスとノヴァクは配偶関係が安定的かそうでないかという軸と,オスオス関係が安定的かそうでないかという軸,さらにメスメス関係が安定的かそうでないかという軸でマトリクスを作っている.
このようにしてみるとヒトはそれぞれすべての状態が見られるが,他の類人猿はそれぞれ特定の位置にあることがわかる.(ゴリラは配偶関係が安定で,オスオス間,メスメス間は不安定,オランウータンはすべて不安定.チンパンジーは配偶関係が不安定で,オスオス関係が安定.ボノボは配偶関係が不安定で,メスメス関係が安定)

このような比較によりいろいろなことがわかる.ロドセスとノヴァクは,特に重要なこととして,ヒトのみが同性間(そしてオスオス間もメスメス間も)と異性間の両方の関係を安定化させることが可能であることを強調している.


ロドセスとノヴァクはさらに細かく議論している.
その主張は要するにヒトの社会は他の類人猿に見られない特徴を持っている.他の類人猿はヒトの社会のある側面にのみ光を当てることができるということであるようだ.

そして具体的には以下のような議論がなされている.

<ヒトの独自性>
チンパンジーとはオス間の協力が見られることが共通だが,ヒトのほうがより深い関係を築くし,メスが集合的であるし,メス間の食べ物の争いが少ない.
<父系社会>
チンパンジーはメスが分散するところはヒトと似ている.恐らく共通祖先もメス分散型であっただろうと思われる.
しかし結論のまえにヒトが分散パターンを変えているかどうか見なければならない.ヒトはローカルな環境に敏感に反応する.
実際にデータを見ると,分散パターンは多様.70%はメス分散型.父系的な社会構造であっても個体としては分散するオスが結構存在する.この柔軟性はヒトの特徴.
<性差>
これと関連した問題に,社会関係における性差の問題がある.
チンパンジーとヒトの間には,集団性,絆の形成における性差に違いがある.チンパンジーのメスはより孤独性だ.ヒトは女性同士の集団性が高い.この部分はヒトはよりボノボに似ている.ボノボではメスが分散するが,同じ集団ではメス同士で性的に絆を作る.

ロドセスとノヴァクはメスメス間の同盟について自説をランガム説と対比した議論も行っている.このあたりはロドセスとノヴァクのアプローチの説得性を示すものだとして示されているようだ.

ランガムはヒトとボノボは違うと考えた.ヒトの女性間の関係は友人関係ではあっても同盟ではないと区別しようとしている.
しかしこれは霊長類学のメソッドの限界.口頭で行われる心理的なやりとりと肉体を使うものを区別する理由はない.女性同士の同盟も認めるべきだろう.


では何故ボノボのメスの同盟は深いのか
ランガムはスクランブル型競争の有無を理由に挙げている(ボノボはフルーツのほかに野菜を食べるので競争が緩いという考え方)
しかしヒトについては事実は逆で,ヒトの女性は単独で採集しない.
サバンナでの塊茎の採集と料理から,ヒトはパッチ型のリソースを集団で採集するようになったのではないか.それが女性の集団性を形作り,分散パターンも多様にし,場合によっては女系社会も可能にしたのではないか.さらにおばあちゃんの役割が女性の同盟を有利にしただろう.


最終的なロドセスとノヴァクの考えは以下のようなことらしい.

ヒトのパターンは3種のアフリカ類人猿のパターンの寄せ集めのように見える.
しかし単にオスの連合にメスが性的な絆で結びついているのではない.女性の社会性は非常に洗練されている.
またヒトの社会はバンドボンドモデルを越えて階層化されている.そしてコミュニティ間の関係もある.トラベルパーティも可変的に組まれる.そしてその中でペアボンドを維持している.
ヒトの社会は演奏される曲が違うのではなく,演奏のされ方が独特なのだ.
この上に道徳と文化ルールという常に守られるわけではない規範がある.


そして本書のテーマである社会科学との関係については以下のようなコメントを行っている.これまでの文化人類学者はあまりにもアンケート結果に頼りすぎであり,もっと観察によるデータが重要だという主張のようだ.

文化人類学者は霊長類学者と同じように観察を行う.しかし文化人類学者は対象者に質問することができる.
このため対象者がどう答えるかにとらわれ,シンボル操作を重大視する傾向がある.特に他人を操作するようなサインが加わると歪めた再構成を行うことになってしまう.
ルールがあり,それが守られない状況こそ,ルールだけをヒアリングするのではなく,実際にどうなっているのかの観察が重要.ヒトの社会は複雑であり,関係パターンのシフトなど観察は非常に重要なのだ.


文化人類学は,あまりヒトの独自性にとらわれずに,霊長類学と比較できるような形式についてもデータを集めると,本稿でとられたようなアプローチにとって有効だということだろうか.ここでの議論は,1つの例として,バンドボンドモデルについての手始めの議論であるようであり,もっとデータが集まればいろいろなテーマについてもっと面白いリサーチができるだろう.私の感想としては,本稿の議論はなかなか興味深く,確かに霊長類との比較によって啓発される部分があるだろうと感じられ,それなりに面白いアプローチのように思われる.文化人類学者にとっても同じように興味深く感じてもらえればよいのだが,どうだろうか.



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