「Missing the Revolution」 第9章 進化,エージェンシー,社会学 その1


Missing The Revolution: Darwinism For Social Scientists

Missing The Revolution: Darwinism For Social Scientists


最終章である第9章は,ベルンド・バルダスによる社会学と進化理論に関する章だ.バルダスはドイツ生まれの社会学者で,経済学で学位を取ったあと社会学に転じ,アフリカのスタディや人の不平等の起源などをリサーチエリアにしている学者のようだ.進化学を社会学に取り入れるのに熱心な社会学者ということになる.


というわけで本章は社会科学者の手によるもので,なかなか文章のお約束が進化生物学者の書くものと異なっていて難解だ.


まずダーウィン理論が社会学に与えた影響の歴史が描かれる.
バルダスによると,ダーウィンの理論は,初期の社会科学者に対して,社会の進歩に関するユーフォリアと社会コンフリクトに関する恐れを引き起こしたということになる.彼等にとっては片方で市場経済は個人の自由と平等を求め,片方でそれは社会に遠心的に働きカオスを生むのではないかと考えられていたらしい.つまり19世紀の社会科学にとっては「種の起源」ではなく「社会秩序の起源」がミステリー中のミステリーだったのだ.


バルダスによるとダーウィン理論はこの「社会秩序の起源」論争に巻き込まれた.

英国のラディカルにとって,個人や社会階級は乏しい始原的状況からより良いものに進化するものであり,進化的左派であるウォーレスやトマス・ハクスレーによって支持された.
ダーウィンのいとこゴールトンは「種の起源」に遺伝的な基礎を見いだし,優生主義を提唱した.これは進化的な左派にとって,貴族階級を否定するものとして,右派にとってはそれを肯定するものであるとして受け入れられた.社会ダーウィニズムにとって自然淘汰は新しい産業社会における中流,上流クラスの地位を正当化するものだった.

優生主義が当時の右派,左派それぞれから自派の都合のいいように解釈されて支持されていたというのは面白い.自然淘汰は物事のアルゴリズム的な展開にかかるものなので,価値観とは独立だということをよく示している.


バルダスによるとダーウィン理論はこれらのアジェンダにあわせて書き換えられたということになる.

社会ダーウィニストは不平等に興味を持った.彼等にとって適応度は富を説明できる「望ましい」形質だった.彼等は究極因と進歩的な形質に興味を持った.彼等の社会進歩モデルはダーウィン自然淘汰というより,臓器の生理的な機能,個体の発生とボディプランに近いものだった.ダーウィンの理論は,多くの機会,不完全,方向感のなさがポイントだったが,19世紀の社会科学者は「科学的」明瞭さ,決定主義,法則を求めていたのだ.
マルクスは,ダーウィン理論に,歴史の中の階級闘争の自然科学的基礎を見た.スペンサーは,進歩的な歳と機能的な特殊化の法則を,ヘッケルは「マスター人種」の国民主義的運命の証拠を見たのだ.


この混乱は19世紀を通じて続き,世紀末には進化主義はまったく統一のないものになった.多くの,そして相互に矛盾する「進化」理論がダーウィンの考えとまったく異なったものとして生まれていった.
バルダスは,この混乱が長く社会科学と進化理論の不幸な関係の元となったと評している.

今日,社会科学者は静かに生物学と社会科学のいくつかのリンクを認めるだろう.彼等は妊娠中の喫煙の影響,世界的な環境破壊が人類に脅威を与えていることを認めるかもしれない.しかし大半の社会科学者は進化理論を無知のまま見下している.


バルダスはここまで歴史を概観した後に,本章で論じるべき問題を2つ提示する.
1つは,社会システムの中に,多くの適応的に冗長,あるいは非適応的な特徴があり,それはヒトの過去,あるいは現在の繁殖価値によって簡単には説明できないことだという.
複雑な社会システムに簡単に説明できない性質があるのはある意味当然で,これらを進化的な視点を取り入れてリサーチすることが興味深いのだということだろう.


2つめは,エージェンシーの問題だという.自然淘汰の過程は,通常生物個体にとって純粋に外的な力として理解されている.しかしヒトの文化は個人による意図的,目的的な選択の結果であり,単純な環境とは少し性質が異なるということだろう.
これもこれからリサーチして行くにあたって非常に興味深いエリアということなのだろう.