ダーウィンの「人間の進化と性淘汰」 第18章


ダーウィン著作集〈2〉人間の進化と性淘汰(2)

ダーウィン著作集〈2〉人間の進化と性淘汰(2)


第18章 哺乳類(続き)


哺乳類の第二次性徴,前章では武器を集中的に取り扱い,本章でその他の形質を取り上げている.


<声>
哺乳類でオスとメスで声が異なるものがある.また繁殖期によく声を出すものがある.
ダーウィンは繁殖期に特有の声で鳴くシカのオスの声を取り上げている.ダーウィンは,ライオンの吠え声なら相手をひるませられるかもしれないが,シカのオスの声ではオス同士の闘いに有利だとは思えないから性淘汰形質だろうと言っている.これはダーウィンにしては珍しく考えが浅いところだ.
ライオンのオスが吠え声で相手をひるませることができるのなら,シカのオスの声では無理だと考える理由はない.相手が強いときに下がった方が有利であるとして,どのような音に対してひるむかが自然淘汰によって決まるのであれば,強さがわかるシグナルであればよく,声の質は問わないだろう.ダーウィンは美しさに関しては人間の審美眼と動物のそれは異なっているかもしれないと留保しているが,恐ろしさについてはそうは考えられなかったようだ.
もっともこの問題は「強さについてフェイクができない信号」という概念にまで行き着くもので,ハンディキャップ理論の解析を通じて1990年代にようやく理解されるようになったものをダーウィンの時代に求めるのはいささか求めすぎであるのは確かだ.
もっともライオンやシカのオスの吠え声が,メスに選ばれるためにあるのか,他のオスをひるませるためにあるのか,それとも両方なのかはそれぞれ個別に調べてみないとわからないだろう.実際にはどうなっているのだろうか.


このほかにゴリラ,オランウータン,テナガザル,ホエザル,ゾウアザラシのオスの声を考察している.ある種のテナガザルのオスの声はとても美しいもので性淘汰によるものではないかと指摘がある.


<臭い>
哺乳類には強烈な臭いを出すものがいる.まず防御目的であるものがあることをダーウィンは認める.スカンクには触れていないが,トガリネズミが紹介されている.
しかし多くの哺乳類(ゾウ,ヤギ,シカなど)は雄が繁殖期に限って強烈な臭いを出す.ダーウィンはこれはメスを興奮させたり惹きつけたりするためのもので性淘汰形質だと議論している.(観察事実から見て,メスを遠くから呼び寄せているわけではなく,そこにいるメスをその気にさせるためだと議論しているのは細かい)
複雑な腺が,袋を反転させたり開口部を開閉する筋肉を含めて発達しているのだから重要な機能があるはずだとコメントしている.


<毛>
オスにのみ特有の毛がよく見られる.ごく一部に防御用と思われるもの(ライオンなど)もあるが,多くは防御の役に立っているとは思えなく,飾りだろうと議論している.
オスのみに見られる飾りの毛としては,シカなどの仲間の背中のたてがみ,バーバリーシープの首と前脚の房,ヤギのヒゲ,オランウータン,ヒゲサキなど霊長類のヒゲがあげられている.
ダーウィンは意味のない変異(現代で言うと中立形質と言うことになろうか)かもしれないが,ヒゲサキの見事な美しいヒゲは飾りとしか思えないだろうとコメントしている.


<色>
ダーウィンはオスとメスで色が異なる哺乳類をアカカンガルーからマンドリルまで何十種類も紹介している.その過半は霊長類であり,マンドリルを例外として,おおむね少し色味が異なり,オスの方がやや模様がはっきりしているというものが多い.
面白いのは霊長類にはオスが真っ黒でメスがそうでないものがかなりいる(クロキツネザル,シロガオサキ,フーロックテナガザル,ダイアナモンキー)ということだ.ダーウィンジャガーやヒョウなどの黒色変異体多くがオスであること,三毛猫がオスに限られていることから,何らかの遺伝の法則が影響を与えているのではないかと記している.クロヒョウはオスに限られないようなのでこのダーウィンの記述は誤りなのだろうが,実際になぜサルのオスに真っ黒なものが多いかは興味深い問題だ.


ダーウィンは続けて哺乳類に色や模様の知覚があるだろうと言い,ロバのオスに縞模様を塗ったらそれまで拒否していたシマウマの雌に受け入れられて例を引いている.実際には多くの哺乳類で色の知覚はあまり優れていないので,はっきりとした色の性淘汰形質は霊長類に限られるのだろう.
審美眼についてはダーウィンマンドリルの顔とアフリカ人の顔へのペインティングを比較し,ヒトとマンドリルで審美眼が連続しているのではないかと示唆している.
オスが色や模様を誇示している証拠はないとダーウィンは残念そうに認めている.しかしそれ以外の様々な特徴(オスがより鮮やかで,繁殖期だけに現れるものがあり,去勢すると発現しない)は鳥類とよく似ており,これらがメスの選り好みによる性淘汰形質であることは間違いないだろうと主張している.


ダーウィンは哺乳類は鳥類と異なりほとんどの色味は保護色で説明できること,オスとメスの性差が小さいことを認めているが,それでも美しい模様については性淘汰形質がオスで獲得されメスにも遺伝しているものがあるのではないかと主張している.このあたりはウォーレスとの論争がやはり念頭にあるのだろう.
トラの縞模様について,竹林のような植生では見事な保護模様になっているという証言を紹介しながらも,それだけでは説明できないのではないかといい,性淘汰形質でもあると主張している.これは見たことなければ信じられないのもやむを得ないかという気もするし,ウォーレスが一時クジャクのオスのような色と模様ですら熱帯のジャングルの中では保護的であるかもしれないと主張したことが影響しているのかもしれない.
またシカやイノシシ類の子供の斑点模様,縞模様についてもこだわっている.これは系統間で同じ模様が現れることから祖先形質だと主張し,その後成体のみ保護色として変わったのだろうとしつつも,子供になぜ斑点や縞が残るのかは説明できないと認めている.なぜうり坊に縞があるのかは考えてみると興味深い.子供の環境だけに有利な保護色であるということで説明できるのだろうか.


ダーウィンはこの章の最後に哺乳類の性淘汰形質についてのまとめを入れているが,様々な霊長類の顔や全身の美しい模様や装飾形質を数多くの図版で紹介している.「これが飾りでなければいったいどう説明できるというのか」というダーウィンの強い思いがよくわかるところだ.