リチャード・ドーキンス・ファウンデーション(RDF)が共催している国際無神論者同盟(AAI)の2009年のカンファレンスでの講演がここで見られる.
これはアンディ・トムソンによるヒトの道徳性の起源についての講演で,冒頭でドーキンス自身が登場してトムソンを紹介している.このブログで以前取り上げたマーク・ハウザーの本「Moral Minds」に関連するトピックだ.(http://d.hatena.ne.jp/shorebird/20070224以降)
http://youtube.com/watch?v=jnXmDaI8IEo
なおこの下のページからは720PのHDクイックタイムムービーもダウンロードして視聴可能だ.はるかに高画質なのでこちらをお勧めする.
http://richarddawkins.net/article,4459,From-the-Heavens-or-From-Nature-The-Origins-of-Morality,Dr-Andy-Thomson-RDFRS-AAI-Josh-Timonen
講演の原題は「From the Heavens or From Nature: The Origins of Morality」
さて,フランシス・コリンズは著書「The Language of God」において,「ヒトの道徳こそ神の存在の証拠だ」と主張しているが,そこで「もし科学がこれを説明できるなら証拠にはならないかもしれないが,説明できないだろう」といっているそうだ.トムソンはこの挑戦を受けて立とうといい,科学がそれをどこまで説明できているかを説明し,さらに究極のモラルジレンマに際してどちらの態度が望ましいのだろうかを問いかけるという講演となっている.
冒頭で究極のモラルジレンマを紹介していて会場が静まりかえる.カトリーナ来襲の折のニューオーリンズの病院において,水かさが増し,救援の見通しはなく,市街では銃撃が始まり,当局からはエバキュエーション(全員避難)の指示がある.しかし入院患者が百人以上いて彼等を全員避難させることは物理的に不可能だ.あなたが医師ならどうするか?
このあと科学が道徳律についてどこまで説明できているかを簡単に概説している.ハミルトンの血縁淘汰,トリヴァースの互恵的利他主義から始まって,道徳に関する進化生物学の知見が紹介されている.主にハウザーの本に書かれていることが中心だが,その後のリサーチの進展に合わせてファンクショナルMRIによる脳活性部位の知見も紹介されている.
暴走列車設問について,ポイント切り替えで1人か5人かを選ぶ局面では前頭部の合理的計算部位が活性を高め,太った男を突き落とすかと聞かれると脳の奥の直感的な倫理判断部位が光る.そしてその後両者を仲介する頭頂部の部位が光るのだ.この頭頂部位は後付けの理屈を整理して両者を仲介している.
つまりまず「太った男を突き落とす・・そんなことは駄目だ」という判断が無意識になされ,つぎに「しかし1人と5人のどちらかを選ぶとすればどうなのか」という意識的な計算がされ,最後に「太った男を突き落としても列車が止まる保証はあるのか」とか「既に線路にいる5人とそうでない太った男では事態への巻き込まれ方が違うだろう」あるいは逆に「結局1人を犠牲にして5人が救えるのだからそれが正しいはずだ」などの理屈付けがなされて最終的な決断がなされるということだ.
トムソンはこの無意識の倫理判断モジュールについておおむね5つの要素について判断しているというHaidtの説を紹介している.
- 誰かに害を与えるか
- 互恵的な関係か,だましの関係か
- 権威に従っているか
- 相手はイングループか
- 何か清浄なものを汚すことになるか
そしてその後社会的な関係を総合して判断がなされるということは,道徳律というのはまったく揺らぎのないものではなく,社会的判断も加味された相対的なものであると主張している.
ここで話は冒頭のニューオーリンズに戻る.アンナ・ポーという医師と2人の看護婦は,当局からの指示を無視して患者のために残る(この時点で水没しておぼれ死ぬかもしれないリスク,暴徒に襲われるリスクがあった).そして薬も水もない状態で置き去りにせざるを得ない病人数人にモルヒネを大量投与して安楽死の処置を執った.彼女は第2級謀殺で刑事訴追される.DA(地方検事)はリラクタントで,大陪審で訴追されないこととなったが,死亡した患者の家族からの訴訟は継続している.このアンナ・ポーのケースは全米でも有名なものなのだろう.テレビシリーズ「ボストンリーガル」のシーズン3でも取り上げられていたのを思い出す.
トムソンは「このようなモラルジレンマに,自分自身がたたされることがなかったのは幸運だとしかいいようがない.しかしこのような事件を裁くときに私達はどちらの立場に立つのがよいのだろうか.道徳律は神から与えられて絶対のものだと考えて判断するのか,それともそれはある程度相対的なものだと考えて判断するのか」と問いかけて講演を終えている.
ハウザーの2006年の「Moral Minds」以来,この分野のリサーチは進んでいるようだ.講演ではHaidt,Millerなどの論文も引用されていた.またお勉強しなければ.
関連書籍
マーク・ハウザーの進化した道徳律の性質についての本.非常に衝撃的な本だ.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20070711

Moral Minds: How Nature Designed Our Universal Sense of Right and Wrong
- 作者: Marc Hauser
- 出版社/メーカー: Ecco
- 発売日: 2006/09/01
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フランシス・コリンズの道徳律こそ神のいる証拠だという本.道徳律を進化的に説明できないと考える思想家はウォレス,ライエル以降も途絶えないということだろう.

The Language of God: A Scientist Presents Evidence for Belief
- 作者: Francis S. Collins
- 出版社/メーカー: Free Press
- 発売日: 2006/07/11
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講演の中で,サイコパスはこの倫理判断モジュールが活性を示さないという話があり,さらに大企業のCEOにそれとは知らせないでサイコパス判断用のアンケートしたところ,通常よりはるかに高い頻度でサイコパス症状が見られるというリサーチが紹介されていて,会場から「さもありなん」という反応があった.それに関する本だそうだ.

Snakes in Suits: When Psychopaths Go to Work
- 作者: Dr. Paul Babiak,Dr. Robert D. Hare
- 出版社/メーカー: HarperBusiness
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10/18 追記
上記の本には邦訳があるようだ

- 作者: ロバート・D・ヘア/ポール・バビアク,真喜志順子
- 出版社/メーカー: ファーストプレス
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