「進化論はなぜ哲学の問題になるのか」

進化論はなぜ哲学の問題になるのか―生物学の哲学の現在“いま”

進化論はなぜ哲学の問題になるのか―生物学の哲学の現在“いま”


本書は進化生物学*1 にかかる科学哲学についてのアンソロジーである.執筆者には若手科学哲学者たちが名を連ね,それぞれの考察をまとめている.全部で200ページ強の小振りの本になっている.


冒頭第1章は松本俊吉による「自然選択の単位の問題」*2
基本的には論争史を簡単に紹介するというスタンスになっている.まず遺伝子淘汰説の問題としてジョージ・ウィリアムズドーキンスの説明についてのソーバーたちの議論,それに対するステレルニーたちの議論を紹介する.この部分では,キッチャーの整理として,ドーキンスの主張は当初の「一元論的対立遺伝子淘汰主義」から後に「多元的対立遺伝子淘汰主義」に転換したとされている*3が,私の理解ではドーキンスの考えは当初から首尾一貫していて,主張されているのは「包括適応度のより本質的で簡潔な説明としての遺伝子淘汰的説明」であり,最初から理論的に等価な別の枠組みを認めているのではないかと思う.
松本はこの部分の最後でこのステレルニーの議論は「帳簿的な遺伝子淘汰主義」であり,それが実在論的な因果的な意味で淘汰単位になっているかどうかは疑わしいという趣旨のコメントを残している.


続いて群淘汰の問題として,利他行為の説明問題とハミルトンの包括適応度,ウェイドやD. S. ウィルソンのマルチレベル淘汰.それが包括適応度の枠組みも説明できること,同じ議論が逆に遺伝子淘汰からも説明できること,(それは包括適応度による遺伝子淘汰とマルチレベル淘汰は等価な理論であるというモデル多元論につながる)を説明するという流れになっている.


最後に松本は,(先ほどの「帳簿的な遺伝子淘汰主義」「実在論的な因果」というコメントにも関連して)淘汰単位論争の背景として,「因果が実在するかどうか」という認識論が,マルチレベル淘汰論者(実在論)とモデル多元論者(規約主義,道具主義)の違いに大きく影響していると説明している.この部分が昨年の「生物科学」への寄稿に対する追加部分ということになるだろう.(http://d.hatena.ne.jp/shorebird/20090625参照)昨年は何故ソーバー(そして松本)が因果の直接的な説明にこだわるのか理解できなかったが,それは「因果」についての実在論についての立場の相違からくるということだ.この整理によれば私は道具主義的だということになるだろう.私の考えでは,理論的に等価な説明フレームがあるなら,個別のリサーチに有用なものを自由に使えばよいだけだ.その上で付け加えるなら理論的なフレームとしてはハミルトンの1975年の体系の方がよりエレガントに感じられる.


なお論争史は哲学者からみるとこう見えるのかもしれないが,生物学理論史としてみるならば,このまとめには違和感がある.松本は理論の等価性の解明についてマルチレベル淘汰理論の功績のように書いているが,そのような書きぶりはハミルトンの1975年論文*4の重要性をきちんと評価できていないように思われる.
私がまとめるとするなら,以下のようになるだろう.

  1. まずジョージ・ウィリアムズによる個体淘汰の強調,すなわちウィン=エドワーズ的なナイーブ群淘汰の否定があり,片方で利他性の進化の問題についてハミルトンの1964年論文による血縁淘汰と包括適応度の議論が来る.さらに1975年のハミルトンの定式化で包括適応度が血縁から集団内に構造があるときの遺伝子相関一般について拡張されており,ここで理論的には完結する.
  2. この後ハミルトンの包括適応度のより本質的かつ簡潔な説明としてドーキンスの著作による遺伝子淘汰的説明がなされ,広く淘汰単位の議論を巻き起こす.その多くは誤解に基づくもので,ソーバーによる超優性の議論などはその典型だ.これはステレルニーとキッチャーにより反論された.
  3. 一方D. S. ウィルソンたちによりマルチレベル淘汰が提唱されるが,結局それは遙か以前に定式化された1975年のハミルトンの包括適応度の拡張(そしてその説明様式としての遺伝子淘汰)と理論的に等価であることが明らかになる.しかしウィルソンとソーバーは因果の実在論の観点から引き続き遺伝子淘汰よりマルチレベル淘汰の方が適切だと主張している.


第2章は中島敏幸による「生物学的階層における因果決定性と進化」
生物学には,分子,細胞,個体,個体群という階層があることを説明し,進化や系統を考えたときにすべてがボトムアップで説明できるのかという問題を「下向因果」という用語を用いて扱っている.基本的にはより広い領域を観察しないとボトムアップでは説明しにくいという問題ということのようだ.私には,要するにボトムアップで説明することは原理的に可能だが,ヒトの認知的な制約を考えるとそれは実務的,効率的ではないということのように感じられる.またクレード淘汰という現象をここで扱っている.


第3章は大塚淳による「生物学における目的と機能」
大きく2つの「目的論」が扱われていて,1つは動物の個体の行動などを説明する際の.デネットのいう「志向姿勢」の問題.これは根拠やメカニズムの説明ではなく単に現象論的説明なのだという説明がある.
もうひとつは「適応」の説明としての「目的論」的説明.ここではそれが自然淘汰を説明するための機能を持つということと,リバースエンジニア的な発見法につながるということが議論されている.前者は要するに言語節約的に目的論的用語を使っているということで,後者は自然淘汰の性質から生まれる問題だということではないかと思われる.
なお最後に適応主義への批判としてのグールドとルウォンティンのスパンドレルの議論も扱っている.


第4章は森元良太による「進化論における確率概念」
確率概念を使ったローゼンバーグによる「浮動否定論」についての議論を紹介している.
ローゼンバーグは,進化などのマクロ現象に量子論的しみ出しはないこと,であればすべては決定論的であるから「浮動」はフィクションに過ぎないと議論した.
これには批判があり,まず,遺伝子変異の分子的現象に量子論的しみ出しはあり得るという議論がある.これについては頻度が問題で,ごくまれだから巨視的な対象について問題にならないという反論が好意的に紹介されている.しかし影響は累積的に及ぶのだから,そう簡単には結論は出せないだろう.
次にすべて決定論的だとしても,もしそれを理由に「浮動」をフィクションだというなら.「自然淘汰」もフィクションだということになるというミルスタインの批判が紹介されている.これはまさに筋悪の議論に対するツボを突いた反撃で,私は読んでいて思いっきり笑ってしまった.
森元は最終的にこの議論を集団現象への説明様式のあり方としてまとめている.私には,これも結局ヒトの認知的制約を考慮に入れたときに適切な説明様式は何かという問題になるように思われる.
なお,本稿は確率論の概念的整理を行っているが,複雑系やカオスには触れていない.ページ数の制約もあったのだろうが,ちょっと残念だ.また同義置換が適応度に影響を与えないということが前提の議論がなされているが,タンパク質合成速度などに差が出ることが知られていて,この前提は厳密には誤りだろう,合わせて残念なところだ.


第5章は太田紘史による「理論間還元と機能主義」
ある理論が別の理論に還元可能かという議論が扱われている.多重実現性や機能主義の観点から還元はできないという(私には筋悪に思える)議論などが紹介されている.還元ができるとしたり,できないとした場合に何が生じるのか(あるいは何のために議論しているのか)がわかりにくく,私には議論のツボがよく理解できなかった.要するにこれもヒトの認知的制約を前提にしたときにどう説明するのが節約的かという問題なのだろうか.


第6章は網谷祐一による「種問題」
様々な種概念.多元主義,種は個物かどうかの問題,恒常的性質クラスター説(定義性質をある程度持っていればいいという考え方)などが本質主義などの問題とともに説明されている.まとめとして網谷は「種」自体も恒常的性質クラスターとして理解すればいいのではないかと示唆しつつ,この問題については,「種」概念がどういう役割を果たしているのかという問題,認知心理学との関わりが重要であることも指摘している.


第7章は三中信宏による「系譜学的思考の起源と展開:系統樹図像学形而上学
古因科学とアブダクション,分類思考,系統樹思考について簡単に解説されている.これは「系統樹思考の世界」「分類思考の世界」の2冊の講談社現代新書の簡単な概要になっている.(なお本稿では,「種タクソン(個別の種)とは何か」が超難問であることを説明するところで「種カテゴリーのようにある定義を満足する集団(クラス)として種タクソンをも定義したくなる.・・・しかし,ある条件を満たすように種タクソンを定義しようとしたとたん,リンネ的な実在論がいきなり降臨して,その種タクソンはもはや進化できなくなる」という表現があって,とても面白かった)


第8章は中尾央による「人間行動の進化的研究:その構造と方法論」
社会生物学以降,ヒトの行動の進化的説明を行おうとしている試み「遺伝子と文化の二重継承説」「進化心理学」「人間行動生態学」のスタンスが説明されている.二重継承説については伝達の正確性が低い「文化」において累積的な変化が可能かどうかが議論になっていること,進化心理学では,当初「モジュール」についてフォダーの定義するものと同じだという言明があり(後に撤回されている),それが議論を混乱させたこと,EEAの安定性について議論があること(安定していなければ適応形質は進化できないのではないかという議論,適応について狭く解釈しすぎているように思われる),人間行動生態学については理論的前提が疑問視されていることなどが簡潔に解説されている.


第9章は田中泉吏による「進化倫理学の課題と方法」
まず倫理学には,記述倫理学(道徳規範はどうなっているかを記述する).規範倫理学(どのような規範がヒトの道徳としてふさわしいかを議論する),メタ倫理学(倫理的判断や道徳判断というのはそもそも何であるかを考察する)の3つの分野があり,それぞれ進化的な視点を取り入れた進化記述倫理学,進化規範倫理学,進化メタ倫理学という試みがあり得ることが説明される.
続いて倫理を進化的に考えることの意味が具体的に説明されている.まず倫理感覚や道徳判断が進化の産物であるのか,それは動物と連続しているのかという問題があるとされる.ここはダーウィン以来の問題意識であるということになろう.
次は進化記述倫理学の問題として,利他性に心理的レベルと進化的レベルがあり区別しなければ議論が混乱するという注意,そして簡単な思考実験から利他性と道徳は完全に一致するものではないことが説明されている.このあたりは倫理学から来る特有の問題意識なのだろう.

ここからは「社会生物学」におけるE. O. ウィルソンの主張の批判になっている.田中はウィルソンの主張はかなり踏み込んだ進化規範倫理学になっていると判断し,その立場の矛盾を批判している.確かにウィルソンの様々な言明には,暗黙の価値観が前提になっていたり,自然主義的誤謬と見られても仕方のない部分があり,この批判はその通りだろう.何かが進化的であるからといって,それは直接的に何かの規範的な価値判断を正当化はしない.しかし「Consilience」(邦題:知の挑戦)も合わせて読んで好意的に考えると,ウィルソンの最も主張したかったことは「規範倫理学を実践する場合には,ヒトの心理についての進化的な理解が欠かせない」ということではなかったかと思う.少なくとも田中も認めているように穏当な立場の進化規範倫理学という試みに問題はないはずだろう.
田中は「生物学の知見から規範倫理学やメタ倫理学への含意を導くことは極めて難しく,慎重にならなければならない」と結論づけている.これはある意味ではその通りだが,それは生物学的知見だけでなく,どんな知見についても言えることではないかと思われる.
事実から価値を導くことはできないことは確かだが,最も深く関連する事実の知見があるとするなら,その1つは私達の道徳判断がどのようなものであり,それはどのようにして形成されたのかという知見ではないかと思う.これまで得られた知見によると,私達の道徳判断は極めて文脈依存的なトリッキーなものであって,それは私達の進化環境における包括適応度最大化の産物に過ぎない.様々な問題(特にグローバル経済や遺伝子操作技術などの進化環境になかったような問題)についての価値判断はこの知見を前提として議論される方が望ましいと思う.


以上様々なトピックについての寄稿が並んでいて,哲学書としては大変取っつきやすい本になっていると思う.内容は興味深い議論,何故議論してるのかよくわからない議論,明晰な概念整理など様々だが,通して読んでいると執筆陣の熱意が伝わってくる.多くの進化生物学者に読まれることを期待したい.



関連書籍


ハミルトンの自伝つき論文集.不朽の名著.第一巻は利他行為と包括適応度編.最近もNowak et al.のNature論文が波紋を呼び起こしているが,包括適応度やマルチレベル淘汰問題に関心があるならここに収録されている1975年論文「Innate Social Aptitude of Man: An Approach from Evolutionary Genetics」は必読文献だろう.私のシリーズ全体への総括書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20060429

Narrow Roads of Gene Land: The Collected Papers of W. D. Hamilton : Evolution of Social Behaviour (Narrow Roads of Gene Land Vol. 1)

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いわずとしれたドーキンスの名著.30周年記念エディションにかかる私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20060617

利己的な遺伝子 <増補新装版>

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D. S. ウィルソンとエリオット・ソーバーによるマルチレベル淘汰論にかかる本.恥ずかしながら未読.もっともウィルソンの考え方は関連論文「Rethinking the Theoretical Foundation of Sociobiology」(http://d.hatena.ne.jp/shorebird/20080330参照)によく現れている

Unto Others: The Evolution and Psychology of Unselfish Behavior

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三中信宏による講談社現代新書の2冊.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20060730http://d.hatena.ne.jp/shorebird/20091014

系統樹思考の世界 (講談社現代新書)

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分類思考の世界 (講談社現代新書)

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E. O. ウィルソンの大作.これも進化生物学の歴史を形作った本の一冊.

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E. O. ウィルソンの道徳と進化生物学の関連に関する見解はこちらの本の方が良くわかる.シロアリに倫理があるとするならこういうものだろうというところは非常に秀逸な記述だと思う.

知の挑戦―科学的知性と文化的知性の統合

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ヒトの進化により形作られた道徳が実際にはどのようなものかについてかかれた重厚な一冊.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20070711,読書ノートはhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20070224から.

Moral Minds: How Nature Designed Our Universal Sense of Right and Wrong

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最近邦訳出版された進化生物学にかかる科学哲学書.訳者は本書の執筆陣の方々と重なる.


まずソーバーのもの 私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20090622

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続いてステレルニーとグリフィス 私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20100204

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*1:本の売れ行きを考えるとやむを得ないのだろうが,私は,科学哲学者たちが「進化論」という用語を使うことに違和感がある.何故遺伝や生態についての研究分野は「遺伝論」とか「生態論」とよばないのにもかかわらず,進化にだけは「進化論」という用語を使うのだろうか.「○○論」には一般的な語感として,証拠もなしに自由に論じていいものだという含みがあるのではないだろうか.きちんと「進化生物学」,せめて「進化理論」という用語を使うようにして欲しいものだ

*2:本書ではselectionについて「選択」という用語を用いているが,本ブログでは「淘汰」という用語を用いているので,以下適宜言い換えている.

*3:この「主義」という呼び方にも違和感がある.あくまで理論の説明の方法ではないか

*4:「Innate Social Aptitude of Man: An Approach from Evolutionary Genetics(1975)」(/Narrow Roads of Gene Land/ Vol.I P329)