「The Better Angels of Our Nature」 第4章 人道主義革命 その5  

The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined

The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined


ピンカーによる中世の残虐制度.次は奴隷制だ.


奴隷制


ピンカーは,ほとんどすべての文明に奴隷があったと始めている.

旧約・新約聖書プラトンアリストテレス奴隷制を是認している.もちろん古代ギリシアもローマにも奴隷はいた.奴隷は古代の戦争の大きな戦利品の一つだった.国家がない民族は奴隷にされやすかった.だからスラブ系からスレイブという言葉が生まれたのだ.当時は国家と軍隊は自国民を奴隷にしないためのものだった.


古代の地中海世界奴隷制ローマ帝国の滅亡とともに農奴制に移り変わっていったようだが,一方でアフリカでは奴隷売買が継続的に行われ,イスラム諸国(これらの国の中に奴隷制を最後まで存置させた国がある:カタール1952,サウジアラビア,イエメン1962,モーリタニア1980)や同じアフリカ諸国向けに輸出され,さらに新大陸への奴隷貿易につながった.


ピンカーは奴隷制はその定義からして暴力が絡むと指摘し,アフリカから新大陸への奴隷貿易は特に大きな悲劇を生んだと指摘している.

大西洋の航海中だけでも150万人が死んだ.ジャングルから港までにさらに多くが死んだだろう.商人は積荷の一部が死ぬことを計算にいれてビジネスを組み立てた.おそらく全部で650万人が死んだと推定される.そして止まることのない供給の流れは,奴隷オーナーにとって奴隷を消耗品にした.


ピンカーは古代ローマ奴隷制が中世ヨーロッパの農奴制に移行したのは経済的にそのほうが有利だっただけで,「奴隷制度は廃止されるべきだ」という動きはやはり18世紀に始まるとしている.
ここで歴史家の間にはこの18世紀のこの奴隷制廃止の動きが,経済性に基づくものか(インセンティブがなく非効率的)人道的なモラルからかについて論争があるそうだ.ピンカーは,少なくとも奴隷のオーナーたちには経済性の議論は受けが悪かったと書いている.またアメリカ南部の農園が効率的だったという実証研究もあるそうだ.


つまり奴隷制度も18世紀の人道主義革命によって廃止されたことになる.

  • ロックによる奴隷制度への攻撃,これにクエーカー教徒,宗教家,学者,政治家が続いた.
  • 体制派からの反動:聖書の記述,アフリカ人種の劣等性,南部の良い文化,解放は奴隷のためにならないなどが理由とされた.
  • 上記が一部の人を疎外する理由になるのかという反論
  • 様々な奴隷制度の暗黒部の報告,その痛みを描いた大衆小説「アンクルトムの小屋」など


その結果戦争と法律によって奴隷制度は廃止されていった.

  • 英国:1807貿易の禁止,1833制度の禁止,そして経済制裁と英国海軍の力で急速に近隣諸国に波及
  • アメリカ:南北戦争の後1865に廃止
  • フランス:革命後1794廃止,1803ナポレオンによる復活,1846再廃止


私はこのあたりの歴史についてはあまり詳しいわけではないが,ダーウィンの「Descent」の成り立ちと奴隷制度廃止運動をめぐるデズモンドとムーアの「ダーウィンが信じた道」などを読むと,廃止運動の大きな部分が「人道主義的モラル」であったのは明らかであるように思われる.



日本ではどうだったのか.
古代の日本にももちろん奴隷は存在し,人身売買もあった.しかし様相は古代地中海世界や18〜19世紀のアメリカでの奴隷制とは随分異なっているようだ.
このあたり,特に古代地中海世界奴隷制に近い制度が日本にあったかどうかはマルクス主義的な研究者によりずいぶんと議論されているようだ.その議論の全体を承知しているわけではないが,日本では一部の下層階級が奴隷的な扱いを受け,(正式な制度ではなく実務あるいは違法行為としての)債務奴隷,捨て子の売買,遊郭への女子売買はあったようだが,近隣の部族を攻めて,男は皆殺しで女子供は皆奴隷ということはなかったようだ.(だから日本では都市全てを囲む城郭はほとんど存在しない)
少なくとも中世以降,法制度として奴隷制度があるようでもない*1.また実際に外見がまったく異なる外国人や他人種を大量に奴隷として使うこともなかったようだ*2
要するに日本においては,奴隷制度より理不尽な身分制と違法な人身売買の方が重要な問題だったということなのだろう.そしてその問題に対しては文治政治では大きな前進はなく,明治維新,さらに第二次大戦後の権利主義革命の移入を待たねばならなかったということなのだろうか.



<債務奴隷>


古代においては戦争捕虜とは別に,自らの債務を払えないものは奴隷にされた.
奴隷にするという制度はだんだんなくなったが,債務が支払われるまで禁固拘束できるという法制度はヨーロッパで19世紀まで残っていた.これも19世紀の啓蒙主義の時代に廃止されていった.ピンカーによるとアメリカの方が早くて1820〜40年代,ヨーロッパでは1860〜1870年代に廃止されたようだ.


債務不履行を理由とする奴隷化や禁固・拘束はできなくなった現在では,資産の差押をどこまで認めるかが議論の焦点ということになる.ピンカーは,破産法制は(精算の後の残債務の免除と合わせて)個人の差押除外資産(家,年金・給料の一部,車など)を増やす方向に変化し続けていると説明している.
そしてその理由について以下のようにコメントしている.

  • 財産を無理矢理奪うことも暴力であり,それは合目的的に抑制すべきだと考えられるようになった
  • また実は財産の差押に頼らなくても,債権回収はリサーチと保険でカバーできることに気づいた.(つまりここでも過去から続いてきた暴力の理由には実は意味があまりなかった例ということだ.)

ちょっと調べてみると,個人の債務不履行への扱いは,(刑事犯罪への対処と逆で)実は米国が最も債務者に優しい制度になっているようだ.
民事の債務不履行に対してどう対処するかの論点は,資産を全て精算して支払った後の残債務の免除を認めるか,強制執行の制限をどこまで認めるかの2点ある.

  • まず前者について破産法制が徐々に整備され,一旦全ての資産を売り払って払った後は免除する(免除されないと,その後の所得に対してもずっと債権者から追求されてしまう)という流れがある.これが米国ではかなり簡単な手続きで,一定範囲内でほぼ自動的に認められる.ドイツ,フランスでは裁判所の裁量ということのようだ.日本においては原則認められるが,破産について法定で免責不許可理由(利益目的,他人への加害目的などに並んでギャンブルや先物による借金という項目がある)があり,これに当たると裁判官の裁量になるようだ.
  • 次に差押除外資産だが,米国はその範囲が広い.自宅不動産や車まで一定額は除外を認める州が多いようだ.(州によって異なるが例えば家屋で5万ドル,車で1万ドル*3,それを越えると競売されるが,競売価格からこの5万ドルなり1万ドルが債務者に戻される.宝石まで一定額は除外される州もあるらしい.*4)これは「生活するための最低限の資産だけは勘弁してやる」というスタンスから一歩進んで,「個人的な経済再建のための基礎資産は残す」という「フレッシュスタート」の考え方が現れているものだ.日本では破産法の原則では生活必需品,最低限の営業用資産などごく限られた範囲のみが除外になる.そしてこれらはドイツフランスでも同じようだ.
  • なお日本では10年ほど前に(おそらく英米法のフレッシュスタートの考え方から)民事再生法で個人の民事再生も認められるようになっている.この制度にのると一定の条件下で自宅の差押,競売が避けられる.しかし住宅に関する債務が免除になるわけではなく,抵当権付き住宅ローンに限って別途繰り延べ可能になってその他の資産や債務と分離されるという扱いになるに過ぎない.その他の資産と債務については,「全部売り払って精算した場合の返済可能額か,残債務の20%のどちらか高い方」を3年で計画的に支払う計画が認められると,差押・競売を避けることができ,残債務の免除も得られるという仕組みだ.だから「フレッシュスタート」のために必要なものは残せるというより,精算と同じ額を(将来の収入で)払うと約束すれば差押は避けられるというに過ぎず,アメリカのように車や自宅不動産そのままで債務免除が得られるような制度になっているわけではない.

このあたりの法制度の考え方は興味深い.英米法は,刑法においては啓蒙主義の法典編纂を経ていないので結構乱暴だが,民事の債務不履行に関してはやさしい.これは英米法の民事法制が「社会の取引効率を上げるにはどうすれば良いか」という観点から組み立てられている傾向が強いのに対して*5古代ローマ法の流れをくむ大陸法は「市民がなした約束は,信義において守られるべきだ(破ったものは罰を受けても仕方ない)」という感覚が強いということなのだろう.日本法は大陸法系で,民事再生法制を作ってもなかなか「フレッシュスタート」のために大胆に切り込めなかったのだろう.

*1:ローマ法では,刑事法や奴隷売買に関する取締法だけでなく,私法においても奴隷制が深く組み込まれていた.例えば奴隷と外国人と市民でそれぞれ私法的な権能が異なり,一般人が奴隷になったり,奴隷が解放されたりすることがあるため,行為能力とは別に権利能力という法概念が生まれ,頭格減少 capitis deminutio の理論が精緻に組み立てられた.最初にこの議論を読んだときにはその細かな理屈に仰天したものだ

*2:逆に拉致して外国に奴隷として売るという例は倭寇の時代などにあったようだ

*3:要するに1万ドル程度の車は生活必需品という考え方のようだ

*4:また自宅不動産に上限額がない州もあるようだ.この場合どんな大豪邸でも差押を受けないことになる.日本ではちょっと考えられないだろう.

*5:だから返せないような債務者に貸し込むと損をするというインセンティブが少し変わるだけだという感覚なのだろう