日本生物地理学会参加日誌2012


昨年は東日本大震災で中止となった生物地理学会だが,今年は例年通り4月に立教大学で開かれた.残念ながら初日は所用あり参加できず,二日目のみの参加となった.立教大キャンパスは例年通りちょうど桜が満開である.


大会第二日 4月8日


一般発表


GBIF 日本ノードのかたちとはたらき   菅原 秀明


国際共同事業であるGBIFの紹介という趣旨.GBIFとは世界中の生物多様性のデータベースの統合を目指した共同事業で,統合して単一のデータベースを作るのではなく,有機的にリンクさせたシステムを目指す.具体的には参加国にノードを持ち,ノードごとにとりまとめがあり,また外側の外部情報にもリンクしたシステムが形成されている.日本ノードは遺伝研と東大と科博が中心になって運営しており,データの登録の支援の他ポータルサイトで様々な機能提供をしているそうだ.
サイトのURLは http://www.gbif.jp/
面白そうなサービスとしては,ある種の分布をマップで表示する機能が紹介されていた.渡り鳥の渡りの様子や外来種の侵入などが把握できる.私も帰ってからアクセスしてみたが,北米や欧州の鳥についてはかなり網羅されているようで面白い.(残念ながら日本のデータはまだまだのようだ)
そのほかにはDNAデータや解析サービスも利用できるようだ.


外来種アルゼンチンアリの分布拡大プロセスとスーパーコロニーの進化と維持機構  井上 真紀


欧州やアメリカでは燎原の火のごとく広がっているアルゼンチンアリも90年代に日本に上陸し(広島や神戸から始まったようだ),現在関東地域にも侵入しつつある(2007年に神奈川,2010年に東京で確認).
アルゼンチンアリは繁殖個体が複数いる巨大なコロニーを作ることで知られているが,外来種として侵入したものは差し渡し千キロ以上(ポルトガルからスペインの地中海側の海岸にかけて広がっているコロニー,北米西海岸のコロニーが有名)に及ぶ桁外れの巨大コロニー(スーパーコロニー)を作ることで有名だ.(通常機能しているコロニー間の化学物質による識別が働かないことによるらしい.)


ミトコンドリアDNAのハプロタイプを調べると世界中に広がる単一ハプロタイプがあり,これが巨大スーパーコロニーとなっている.日本においてもJapanese Mainと呼ばれるスーパーコロニーが広く分布しており,そのほかにいくつかの地域コロニーが確認されている.ハプロタイプでは5つのタイプが確認されており,分布拡大は兵庫から様々な地域に広がっているようで,物流経路も推定されているものもある.


本発表ではこの巨大コロニーと地域コロニーの関係を考察していた.(コロニー間の競争で勝ち残ったものがスーパーコロニーなのか,何らかの性質の突然変異によるものか,融合して巨大になったのかという仮説が比較検討される)コロニー間の遺伝子流動(あまりない),コロニー間の個体の受容性攻撃性評価(スーパーコロニー個体が受容的ということはない)などから巨大コロニーが他のコロニーを駆逐しながら優位になったのではないかとされていた.
いろいろな事実の発見はなかなか興味深いが,仮説の検証という意味では弱い印象だった.


日本列島におけるハマダンゴムシ Tylos granuliferus の系統地理学会的研究  新倉 弥幸


ハマダンゴムシの生物系統地理の発表.ハマダンゴムシは砂浜海岸の砂の中のみに分布する動物で,内陸にも海の中にも生息できない.そして日本では主に4タイプが生息しており,この地理的分布の要因について考察したもの.
系統的には沖縄北部(タイプ2)のものと九州西岸,瀬戸内,日本海,太平洋岸の宮城以北のもの(タイプ1)が近縁で分岐年代が158万年,タイプ1の内の大きなクレードはは44万年前から分岐多様化している.また九州南部から関東南岸までの太平洋岸のもの(タイプ3)と福島近辺(タイプ4)も近縁で167万年前に分岐.この両グループの分岐は260万年前.
この系統地理を沖縄南部,北部で海が開いた時期,朝鮮半島と九州の間が開いた時期にそれぞれ海流がどう変化したかということと組み合わせて説明しようというもの.沖縄の両側で海が開いたのが150-170万年前でこの時に黒潮が沖縄の西側を回り込むようになったとするとこれがタイプ1とタイプ2の分岐を説明し,40万年前頃に朝鮮半島と九州が分かれて対馬海流が流れるようになってタイプ1の分布域が広がって多様化したというのが骨子.なかなか説得的で面白かった



分布情報から見た伊豆諸島八丈島の外来陸上動物相の特異性とその成因についての考察  岡本 卓


外来生物の侵入を予防するためには,そのプロセスを理解して,リスクを評価できることが望ましい,このリスク評価の試行として八丈島の外来生物の侵入元について統計的に調べてみたという発表.クラスタ分析をするとそれは大きく4つに分かれ,材木や土壌による侵入が疑われるものは沖縄〜台湾,和歌山・静岡・神戸中心のものと九州中心のものがある.また様々な貨物などによる侵入が疑われるものは静岡と神戸が中心になっている.前者は園芸植物が沖縄との間でよく取引されているそうで,そのような取引が背景にあるようだ.
リスク評価はこれからだが,とりあえず今後注意すべき侵入候補として現在沖縄,九州に侵入しているヤシオオオサゾウムシを挙げていた.


両生類の新興感染症カエルツボカビの過去と未来 五箇 公一


3年前にカエルツボカビについてそのアジア起源が疑われるという発表を行ったがそのフォローアップ.(http://d.hatena.ne.jp/shorebird/20090406参照)
おさらいとしてカエルツボカビの被害が甚大だった中米とオーストラリア東岸の様子がまず紹介される.ものすごい速度で広がり,大量に両生類が死亡し,多くの種が絶滅し,その後一部は抵抗性を進化させてゆっくり回復するということが繰り返し生じている.
2006年に日本でペット用のベルツノガエルの感染症例が確認され大騒ぎとなった.その後検査,リスク評価体制が取られて調べた結果,日本の在来種には抵抗性があること,カエルツボカビの多様性も高いことが明らかになった.感染率や多様性の中心はオオサンショウウオと沖縄のシリケンイモリであり,特にシリケンイモリは64%の感染率(無症状),ハプロタイプも圧倒的に多様(28タイプ)だ.(アメリカやオーストラリアでは1〜2タイプのみ)
感染実験を行うとシリケンイモリからベルツノガエルへは簡単に感染し,発症する.日本のヌマガエルには感染するが発症しない.驚くべきことにヌマガエルと一緒にしておくとシリケンイモリのツボカビが消えることもある.これはヌマガエルがツボカビへの抗菌物質を持っていることを示唆している.
また中国ではツボカビの多様性は検出されない.(これらから日本,特に沖縄が起源であることが疑われるようだが,発表者はその言い方は慎重に避けていた)
世界に広がった経緯としてはウシガエルの日本からの輸出,生態学者,エコツーリズムなどがあり得るだろうということだった.



この後シンポジウムに


シンポジウム「生命とは何か?」


趣旨説明 : 「生物・生命・いのち」のはざまで考える意義 三中 信宏


「生命とは何か」というテーマは種問題よりさらに厄介な課題だとまず前振り.続いて系統樹の3次元的にどう見えるかを図示しつつ,このような広い問題についてはどのような視点をとるかが問題になるだろうとコメント.いくつか視点を提示して締めくくった.

  • 時空ワームとしての存在論
  • 生命と生物(一般的な意味での生命とその一例としての生物)
  • 生命の本質は定義できない


続いて会長からのコメント


いのちの単位 森中 定治


これは例年のネタと同じで,カザリチョウやシロクマの側系統種の問題,無性生殖を行う植物の「個体性」の問題などを簡単に提示していた.いつも通りこれは重要な問題だという強調があったが,私の感想も例年通り「何故個体群から種が生じてはいけないのと考えるのか全く理解できない」「無性生殖を行う種では個体性は有性生殖種ほど明確ではないだろう.それで何が問題なのか?」から抜け出せないままだ.



不老不死! ベニクラゲ(刺胞動物門, ヒドロ虫網) 久保田 信


ゲストトークの最初はクラゲの研究者から.
クラゲは全体で約1200種,そのうち1000種はヒドロ虫綱に属する.ベニクラゲはここに含まれる.このベニクラゲは基本的にごく普通のクラゲのような世代交代を行うのだが,成体にストレスがかかると縮退してプラヌラ段階まで戻って無性生殖を行う.発表者はこれを2年間で10回繰り返しさせることに成功したという内容.


確かに縮退は面白い*1が,要するに無性生殖段階を繰り返すことができるというだけという気もするところだ.この発表はその後テレビ出演の経緯説明の後,「ベニクラゲ音頭」*2を(3番までフルコーラス)熱唱するという脱力系に移行.なかなか体験できないものになった.



「生命とは何か」 ―複雑系生命科学へ― 金子 邦彦


ゲストスピーカーもベニクラゲ音頭の毒気に当てられてどう始めてよいかわからないという様子だったが気を取り直してハードな複雑系のトーク.
物理系から普遍的な生命を考えたいという立場での研究.「複製」,「適応」,「発生」,「進化」を階層と考えて,階層内のダイナミクス,各階層間の整合性と破れを見ていくという視点に立つそうだ.具体的には「適応」では揺らぎが自然淘汰に与える影響,「発生」では相互作用系の自己一貫性,「進化」では進化容易性,ロバストネスの進化,安定した力学系としての進化過程などを見るそうだ.
私としては,まずこのような階層に分けたほうがよいと考える理由はよくわからない,また「適応」と「進化」の違いもよくわからないという印象だ.


具体的には「複製」としては,細胞分裂ステージを念頭において,外部から物質が流れ込み,内部で合成分解を行って増殖していく系をモデルにする.すると外部からの入力速度に応じた最適成長状態があることがわかる.そして入力速度にフィードバックをかければ安定させることができる.ここまではわかりやすい話だ.
また実験系では成分の揺らぎが対数正規分布になることが示される,これは合成スピードが各段階のかけ算になるからだろうと説明があった.


「進化」の段階では遺伝子型から表現型への揺らぎが自然淘汰に与える影響を調べる.*3
バクテリアで実験系を組み,強い淘汰をかけると揺らぎは進化速度に効くという結果が得られた.
これはフィッシャーの自然淘汰の一般原理とどういう関係にあるのかについては,フィッシャーの原理は遺伝型の分散について問題にしているもので,これは同一遺伝子の表現型揺らぎの問題であって共存できるという説明があった.
ここは聞いていてよくわからなかった.(フィッシャーの原理の一般型である)プライスの共分散方程式では遺伝子型と適応度の共分散が進化速度に効くことになるはずだ.同じ遺伝子型で表現型に揺らぎがあると適応度との共分散は下がるのではないだろうか?であれば進化速度は下がるはずではないだろうか?これは実験系における結果なので,極めて強い特殊な淘汰をかけた結果揺らぎが強い方が共分散があがったということなのだろうか?後でちゃんと勉強しなければ.


また系統が分岐していく際の表現型の分岐について力学型のアトラクターの視点から考えるというプレゼンも行われた.これは普通の数理生物学でもよく現れる話と同じように聞こえたが,詳細はよくわからなかった.いずれにせよこのあたりについては私も一度きちんとお勉強する必要がありそうだ.


特別発言 長野 敬


このシンポジウムでは脱力系のベニクラゲとハードな複雑系トークの落差が極端でまとめようもないという感じだったが,ここで「特別発言」と称して登場したのが長野敬御大.
慌てず騒がす,これまでの二人の話とも関係なく,様々な書物で「生命」についてどう捉えてきたかについてのゆったりうねるような話が続く.*4 ホール,シュレディンガー,モリス,ハクスレー.ウェルズに続いて「鋼の錬金術師」の丁寧な解説やら最近の訳書「新種発見に挑んだ冒険者たち」の紹介まで盛り込んだ内容.最後は「生命は結局DNAということでつながっていて,それを還元主義ではなく新しい見方で生命現象を捉えていくということでしょう」というこれまでのトークともあまりつながらない茫洋とした総括で締めくくった.
ベニクラゲ音頭以降は会場も「何でもあり」の雰囲気に包まれていてちょうどふさわしい感じだったかもしれない.


以上でシンポジウムが終了し,学会も終了である.桜も美しい季節にのんびり楽しませてもらった.会場設営された皆様にはこの場を借りて御礼を申し上げたい.





 

*1:卵まで縮退したエヴァンゲリオンのアダムを思い出したのは私だけだろうか?

*2:http://www.benikurage.com参照

*3:これも揺らぎが生命現象も最も重要な側面だという意味なら違和感があるところだ.まだあまり調べられていないところに手をつけたということならよくわかる

*4:トークのちょっと前にプレゼン用のファイルが一太郎形式でスクリーンに表示されないということで,事務局や設営の若い人たちを慌てさせていたが,何とか一太郎ビューワーを入手して間に合わせたようだ.拍手