「The Better Angels of Our Nature」 第5章 長い平和 その7  

The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined

The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined


ここからピンカーは「長い平和」の中身について説明を始める.


<長い平和:態度と事件>


まずピンカーは先進国における戦争の概念の変化をいくつかの事象を見ることで説明しようとしている.


《徴兵制》
1500年以降の戦争の激しさの増大の大きな原因は徴兵制:これで軍隊は再生可能になった.そしてナポレオン以降ヨーロッパの主要国は皆徴兵制を引いたのだ.当時は良心的徴兵拒否などもちろんあり得なかったし,その実務は乱暴そのものだった(拉致部隊も存在した).人は強制的に集められ,消耗品のように扱われた.


そして徴兵の規模は力の使用についての国の意思をよく示すバロメーターとなる.

  • 1970年以降主要国で減少,冷戦終了後は大きく落ちる.
  • 徴兵期間も短くなっている.
  • そして多くの国で廃止された.
  • 現在徴兵制が残っている国でも,戦闘のためのトレーニングというより市民としてのエクササイズという色彩のものになりつつある.


実際に先進国で徴兵制はまれだ.日本人になじみのあるところでは韓国のものが有名だ.北朝鮮の好戦的な態度もあって,なお「エクササイズ」というほどお気楽なものではないようだが,徴兵期間は短縮されているようだ.


《人口比での軍隊の規模》
ピンカーは,これはミリタリーイデオロギーの良い指標になるとコメントしている.

  • 20世紀後半に下がり続け,冷戦後特に減少している,
  • 一部はアウトソース,一部はロボットに.ロボットはまだまだ先の話だが,このこと自体「金より命」という暴力減少のトレンドの一つと解釈できる.


《心理面》
国家のリーダーたちの好戦的な心理要素も減少している.

  • ナショナリズム,領土的野望,国際関係上の名誉,大衆の好戦的態度,他人の命への無関心などの心理的な態度は減少している
  • 片方で1948年に「国家,文化,民族,階級などの集団より個人の価値が上」という旨の国際人権宣言がなされた.

ピンカーはこの宣言が必要とされた背景として「ニュルンベルグディフェンス」を挙げている.この裁判においてドイツ側弁護士は「ポーランドユダヤ人は別にして,ドイツは自国民をどのように扱っても他国から非難されるいわれはない」と主張した.これは戦前の主権国家のあり方としてはおかしな主張ではない.これを打ち破るには国家主権より人権を上とする必要があったのだ.そしてピンカーは,これが単なるリップサービスではなく真剣なものであった証拠として,この宣言に対して大国が最初サインをためらったことを挙げている.英国は当時の植民地政策,アメリカは自国における黒人の扱い,ソ連は衛星国に対する態度が非難されるのではないかと考えたのだ.しかしエレノア・ルーズベルトらの尽力により83回の会議が開かれてそれは最終的に採択された.



<国境線の凍結>


長い平和においては「国境線の凍結」という現象が観察される.ピンカーはこれは長い平和の単なる結果というより,原因の1つになっていると指摘している.


ピンカーによれば,これは国際連合が「武力による国境線の変更はすべて悪い侵略だ」と定義したことに始まる.
これにより国際関係上,領土を取ろうというのは正統的な目的ではなくなった.武力で国境線を変えようとするのはまともな国ではオプションではなくなったのだ.今や民主主義国家で政治家がそのような提案をすれば反対されるというより笑われるだろう.


そして実際に戦争の結果国境線が変更されることは激減した.

  • それまではほとんどの戦争は国境線の変更を伴った.
  • 1951以降戦争で一時的にも国境線が変わったのはわずか10回,1975以降はない.
  • そしてその多くは僻地や人の住んでいない島だ.これは過去からすると極めて少ない.
  • 大きな例外は中東戦争イスラエルだが,しかし1949年のグリーンラインは,その当時暫定的な線だったにもかかわらず,国際関係上では正統的な真の国境と考えられており,イスラエルに対して返却するように継続的に圧力がかかっている.
  • 基本的には戦争と占領があっても国境は元に戻される.代表的な例はイラクによるクエート侵攻と湾岸戦争
  • このような凍結心理は,交渉による国境線の変更もなくしている.多くの植民地からの独立国,旧ソ連,旧ユーゴの各国は交渉しようともしない.


ピンカーはここで面白い議論をしている.さしたる理由なく人為的に引いたラインを厳守するのは,非論理的にも思えるが,それには合理性もあるというものだ.これはゲーム理論にも現れる.規範のリスペクトは争いのコストを避けられるのだ.
またナショナリズムイデオロギーに歯止めをかける役割もあるだろうと言っている.1930年にヒトラーが「民族の分布に従い,オーストリアチェコの一部をよこせ」と言った時,それにはある種の合理性があると認められた.しかし今では考えられない.国境凍結はナショナリズムを止められるのだ.


ピンカーはこれを「果てしない国境争いをするより今ある国境でうまくやる方がいいのだ」とまとめている.