「The World Until Yesterday」 第4章 多くの戦争について その2 

The World Until Yesterday: What Can We Learn from Traditional Societies?

The World Until Yesterday: What Can We Learn from Traditional Societies?


伝統社会の戦争の特徴を整理したところで,ダイアモンドは現代の戦争との比較を行う.なおダイアモンドは,比較の前に,この2つの社会の戦争は明確に分かれるものではなく連続している事を指摘している.基本的により現代社会に近づくと,力が大きくなり,ステルスにすることが難しくなり,リーダーシップ,集権,分業が顕著になるのだ.


<類似と相違>


《類似点》

  1. 同盟関係が重要:伝統社会では,技術水準にあまり違いがないのでより重要になる.
  2. 直接格闘と飛び道具の併用:現代社会では,飛距離が延び,相手を直接見ることが不要にまでなっている.これにより現代社会では平時に「人を殺すな」と教え,戦時にはその倫理をバイパスできるテクノロジーを開発した形になっている.伝統社会では普段から「敵を殺せ」と教えるし,飛び道具を使用するときでも相手を見ている.


《相違点》

  1. 現代社会では相手の兵士は知らない:伝統社会では直接間接に知っている.だから戦闘中に個人的侮辱を言うし,個人的な恨みがある場合も多い.
  2. 現代社会では,兵士に対し,規律に従うこと,自己犠牲が要求される.「国のために死ね」ということがある.:伝統社会では敵を殺し,自分が生き残ることが目標.(ここでダイアモンドは日本軍のカミカゼ攻撃を例に出している)
  3. 現代社会の兵士はプロ.:伝統社会ではほかに生業を持っている.だから対戦に従事できるのはせいぜい数週間止まりだし,集合的訓練や組織建ては最小限だ.(ダイアモンドは,これは植民地征服戦争において彼等の圧倒的に不利な点になったと指摘している,もっともテクノロジニーの差も大きそうだが)
  4. 制限戦争:現代社会はトータルウォーと制限戦争の区別を持ち,通常は相手の軍を破り,何かしらの利益(土地やリソースなど)を得るという目的のために行う.投降すれば捕虜となり命は取られない.:伝統社会では投降者の収容施設はなく,殺されるだけなので,投降自体が生じない.そして最終目標は,相手集団の全員抹殺,あるいは若い女性と小さな子の拉致と残りの抹殺になる.また直接戦闘員の比率は高い,


ダイアモンドはこの4点目は実は大きな違いなのだと強調している.そして次のような説明を加えている.

  • トータルウォーはアメリカ人にとっては南北戦争のシャーマン将軍が頭に浮かぶ,彼は進軍の際にすべてを破壊して南部の精神をくじこうとした.それでも彼は南部人を抹殺しようとはしなかったし,投降した軍人を殺すこともなかった.彼の行ったのは伝統社会の戦争のマイルドなバージョンにすぎない.


<戦争の終結

そしてダイアモンドは最大の違いとして戦争の終結方法を挙げている.

5.戦争の終結

  • 伝統社会では復讐の連鎖を止めることは困難だ.どちらかが全員抹殺されないとなかなか止まらない.一つには意思決定の仕組みがないこと,いったん休戦になっても,それを構成員に守らせる強制力がないことだ.
  • これがまさに国家の存在理由なのだ.国家は休戦を決めて内部構成員にそれを守らせることができる.人々がリーダーたちの生活を支えなければならないとしても(税金を払うことを)我慢しようと考える理由がまずそこにある.またルソーが考えたのとは異なって,国家は最も効率的なチーフドムが近隣を併合してできあがるのだ.そして内側の争いを抑制できるチーフドムこそがもっとも効率的になる.
  • それは最近伝統社会から植民地政府に組み込まれた地域の人たちのインタビューや行動を見てもよくわかる.彼等は征服されることによって自分たちが何千年かかっても達成できなかった平和が手に入ったことに気づくのだ.もう小便するために小屋を出るたびに後ろから撃たれる心配をしなくていいのだ.自分も死ぬかもしれない戦闘に参加しなくてもいいのだ.
  • そしてそれがごく少数の警察官の派遣だけで植民地政府が彼等を統治下における理由なのだ.確かに植民地政府の警察官は銃を持ち,その威力をデモンストレートする.でももし彼等が本当に戦争したいのなら,少数の警察官を殺すのは簡単だ.でもそうしない.彼等は平和を評価しているのだ.


ピンカーなどが強調するの国家のリバイアサンとしての役割は内部での暴力を抑制することに力点が置かれている.このダイアモンドによる集団間の争いを止めるにも国家が重要だという視点は面白い.もっともダイアモンドがあげている最後の例はどちらかと言えば内部抗争の終結という視点から見た方がいいような気もするところだ.




<西洋人との接触の影響>


ダイアモンドはここからnoble savageという概念が好きそうな人達からのいかにもありそうな批判にかかる論点に進む.「彼等がこのように暴力的なのは『暴力的な西洋文明』に触れたからではないのか」という問題だ.


  • コンタクトの結果戦争は増えたのか減ったのか.これはもし何らかの影響があるとするなら,観察事実そのものの信憑性が怪しくなるので一筋縄ではいかない問題になる.
  • しかし考古学と現地の人々へのヒアリング記録から見て,「元々平和的だった彼等が西洋文明の影響を受けて戦争するようになった」ということはありそうにない.彼等はコンタクト前から部族間で争っていたのだ.


次に実際のコンタクトの影響はどのようなものだったかが考察される.

  • 長期的には,西洋人や,その他の政府による戦争抑止はまず確実に生じたようだ.
  • 短期的には増加と減少の両方の影響が見られる.要因としては武器,病気,交易機会,食料生産上昇などがある.


この短期的な悪影響は重要なので深く議論される.


《コンタクトで短期的に争いが激化したケース》

  • ニュージーランドマオリ:彼等がニュージーランドに移り住んだのは1200年頃.西洋とのファーストコンタクトは1642,最初の植民は1792.そして1818から1835にかけて現地でマスケット戦争と呼ばれた大規模な部族間戦争が生じる.
  • 要因の一つはマスケット銃,片方のみ武器を手にした場合それは大きな死傷率を持つ戦争につながった,結局20年以上かけてすべての部族に行き渡って争いは沈静化した.
  • 2番目の要因はポテトだ.この植物の導入により食料生産効率が上がり,男たちの動員可能人数と可能時間が増えた.これにより部族間戦争は活発化したのだ.
  • フィジー:銃のほか,ボート,そして鉄斧が戦争を激しくした.
  • アメリカ:銃と馬の影響で戦争が激化した
  • 中央アフリカ:同じく銃と奴隷商人の影響で戦争が激化した


ダイアモンドはいくつかのケースの概観し「このような短期的な増加は数十年から数百年でほどで収束する」とまとめている.


《短期的にも争いが減少したケース》

  • ニューギニア高地族:政府の警官がパトロールするようになると戦争は収まった.
  • クン:ツワナ族(ボツワナ)の支配下にはいるとすぐ平和化した.それは乱暴な男性が囚人となり,さらにもめ事の解決に警察や裁判所が利用可能になったからだ.
  • 北西アラスカ:わずか10年から一世代で平和化した.これは天然痘で人口が減ったことに加え,西洋人の毛皮商人の登場により毛皮の交易機会が目の前に現れ,戦争による期待損失が大きくなったためだ.


そしてダイアモンドは長期的な影響については基本的に暴力抑制につながったことを指摘し,では何故この明白な事実について否定的な言説が絶えないのかを考察する.

  • 西洋には,伝統社会が暴力的だったことの否定論の長い歴史がある.それはルソーの何ら証拠のない思弁から始まっている.そしてそれは民俗学者に受け継がれている.
  • 民俗学者のリサーチは通常すでに政府により平和化した狩猟採集民が対象になる.さらに考古学の記録も,要塞を平和的なものと解釈する学者が多かった.
  • しかし1950年代からニューギニア高地族,アマゾンにおいて実際のリサーチが行われた.そして考古学の証拠も圧倒的だ,伝統社会は戦争が多く暴力的だったのだ.


問題は事実関係が明らかになったあとでなぜこのような論争が収束しない理由だ.ダイアモンドは以下のように解説している.

  • 一つは直接の観察が難しいことだ.ダニのような記録はごくまれな出来事なのだ.
  • もう一つはコンタクトの影響が双方的で複雑だったこともあるだろう

しかしそれだけでは説明できないとしてダイアモンドは3つのリサーチャーの心理的な要因を挙げる.

  1. リサーチャーは伝統社会の人々が好きになる.そして彼等をよい人々だと思いたいのだ.
  2. また戦争を遺伝決定的に取られたくなかった.もし伝統社会に戦争があれば,それは遺伝決定的で回避不可能だと誤解されるのをおそれたのだ.
  3. 最後に植民地政府たちの「『彼等は野蛮だった』だから征服,支配は正当だ」というプロバガンダに組みする形になりたくなかったのだろう.


ダイアモンドはこうまとめている.

私も伝統社会の人々が誤解され,不当に取り扱われることには我慢できない.でも政治的な目的のために事実を曲げるのはもっともばかげた戦術だ.
事実は隠すことはできない.そして事実が明らかになれば,事実を歪曲して行った主張はすべて否定されかねないのだ.


さて狩猟採集民の戦争がかなり厳しいものであることを否定したいリサーチャーの心理に触れたあと,ダイアモンドはそのような心理の底にある疑問「戦争は遺伝決定的で回避不可能なのか」に答えている.


<戦争好きの動物,平和好きなヒト>

  • これまでヒトの戦争はチンパンジーのそれとよく比べられてきた.彼等は他グループのメンバーを襲う,そしてその死亡率は0.38%であり,伝統社会のヒトと同じぐらいだ.このことはヒトはチンパンジーの祖先からこの性質を受け継ぎ,この戦争を行う形質は遺伝的基盤があり,不可避で,予防できないものだということになるのだろうか?


これはいかにもよくみられる遺伝的決定論の誤謬だ.当然と言えば当然だがダイアモンドはこの4つの疑問すべてを明解に否定する.

  1. まずチンパンジーはヒトの祖先ではない,共通祖先がいるだけだ.同じ共通祖先をもつボノボは戦争しないし,社会性動物のなかにも戦争をするもの(ライオン,オオカミ,ハイエナ,アリ)としないものに分かれる,つまりそれらは独立に何度も進化しているのだ,そして社会性があればすべて戦争をするようになるわけではない.それらは「強いリソース競争がある」「グループ間に力の非対称がしばしばあり,どちらかにとって勝てると考えられる機会が多いこと」などの環境要因に左右される.
  2. 戦争行為には,もちろん広い意味で,ほかの行動と同じく,脳やホルモンが遺伝子の影響を受けるという意味での遺伝的基盤がある.しかしそれは遺伝ですべてが決まることを意味しない.それは環境依存でもあるのだ.
  3. 実際に伝統社会でも戦争の記録のない社会もいくつかある.それらは人口密度が低く,あまり近隣部族がなかったり,守る防衛力がペイするようなリソースを持たなかったりするのだ.ただしこのような民族は「平和的」としばしば表されるが,実際には部族内部の殺人率は高い.政府に徴用されて獰猛な兵士になった例も知られる.
  4. 要するに,ヒトが本質的に暴力的だとか平和的だとか議論するのは無意味なのだ.それは環境にも依存するのだ.



ダイアモンドはここであまりに教条的な主張をする学者たちを戯画化して徹底的にこき下ろすことは避けている.おそらくただひたすら「彼等は平和的だった」とまで主張するような真っ当な学者はあまりいないのだろう.しかしこのような教条主義者が世の中にいないわけではない.実際にダイアモンドは本書刊行後既にいろいろな攻撃を受けているようだ.例えばここにはUKブックツアーの時に攻撃されたことを伝える記事が出ている.

http://www.guardian.co.uk/books/2013/feb/03/jared-diamond-clash-tribal-peoples?

主張のためには事実を曲げたい人はどこにでもいるようだ.