The World Until Yesterday: What Can We Learn from Traditional Societies?
- 作者: Jared Diamond
- 出版社/メーカー: Allen Lane
- 発売日: 2012/12/31
- メディア: ハードカバー
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伝統社会の戦争について,ダイアモンドは最後にその理由について考察している.
<伝統社会の戦争の動機>
なぜ彼等は戦争をするのか.ダイアモンドはいくつかの調べ方提示する.
- 勝てば何を得るのかを調べる.
- 彼等から直接動機を聞く(至近因)
- 真の理由を考察する(究極因)
《勝てば得られるもの》
ダイアモンドはアルファベット順にあげている,リストは以下のようなものだ.
- 子供,牛,食物,敵の首,人肉,馬,土地,猟場,果樹などの土地に帰属するリソース,豚,名声,タンパク質,奴隷,交易権,女
《彼等がしゃべる動機》
- もっともよく聞くのは「復讐」,次が「女」,次が「家畜」(ニューギニアでは豚,アフリカでは牛,これは富と名声に結びついており,女を入手する手段と大きく関わっている.)になる.
- 子供は自分の部族のメンバーとなるように育てる.(奴隷はかなり大きな国家になって初めて現れる)
- さらに「魔法(敵部族の邪悪な魔法使いによって被害を受けた)」「彼等は『邪悪』だから,『敵』だから」などの理由も挙げられる.
《究極因》
ダイアモンドは「彼等がいっていることではすべては説明できない』と説明する.
- まず,女や土地やリソースはいろんな部族にある.なぜ特定部族と戦争するのかの理由にはなっていない.
- トラブルがあっても,通常は補償と仲直りのシステムが動き出す.なぜこの特定の相手とは手打ちができなかったのかがわからなければ説明にはならない.何が仲直りの成否を変えるのか
そして第一次世界大戦の究極因は未だに議論されているなどの例をあげて,このような究極因の解明はなかなか難しいとコメントしたあとで伝統社会の戦争についてはサンプルサイズが大きいという利点があると指摘する.
- まず「土地とリソース」仮説から考えよう.キャロルとアンバーの186社会のリサーチによると「飢饉」や「食料の枯渇」は最大の要因だったとされている.
- しかし懐疑論もある.「勝っても中間地帯を接収しようとしない事例の存在」「人口密度が高い方が戦争になりやすいという結果がでない.」
- 「社会ファクター」仮説もある.:「ややこしい隣人を排除」「名声を作る(これにより女を得る)」など.この戦争での武勲があると女を得やすくなるというのはヤノマモの事例が有名だが,ワオマリではこれは成り立っていない.
要するに数を集めても決定的な要因は見えてこないのだ.
<誰と戦うのか>
ダイアモンドは少し視点を変えて伝統社会の人々が誰と戦うのかを見てみようといって議論を進める.
「彼等はどんな人とより戦うのだろう.言語が同じ人や交易する人とは戦いにくいだろうか?」
《現代社会》
まず比較のために現代社会を見る.ここではピンカーの本でも紹介されていたリチャーソンのリサーチが引かれている.*1
- ある国がどれだけ戦争したかはバラバラだった.英仏は20回以上,スイスは1回,スウェーデンは0回
- いくつかの大きな傾向がある.
- 国境を接する国が多い国ほど多く戦争をする
- 言語が同じかどうかについて明確な傾向はない.*2
- 交易する国はどうか.リチャーソンは統計分析してくれていない.実際には隣接国は交易国であることが多いので,交易国とはより戦争しているだろう.
《伝統社会》
残念ながらリチャーソンのような網羅的なデータはない.ダイアモンドはここでは「アネクドートに頼るしかない.」として印象論だと前置きした上で整理している.
- 彼等は近隣部族とより戦う(そもそも遠距離への攻撃能力がない)
- 言語,交易について:結局隣接部族と戦争しやすいので,同じ言語,交易相手,通婚相手との戦争が多くなる.
- 交易について言えば,対等な交易,強要(一方的な取引条件を押しつける),強奪は連続した現象だという事情がある.
- 部族間の通婚に関しては「嫁資の先払い」という慣行が広く見られる.そうすると債務不履行やら品質に関するクレームやらの紛争要因には事欠かないことになる.
ダイアモンドは結論じみたコメントをしていないが,結局彼等の間では紛争理由には事欠かなく近隣部族と様々な理由で遺恨が生じ,時に紛争解決に失敗して戦争になるということなのだろう.
<パールハーバーを忘れること>
ダイアモンドは最後に,このような伝統社会から得られる教訓について語っている.
- 彼等がよく口にする理由「復讐」をよく考えてみよう.
- 現代社会では「復讐」の心の強烈さはよく忘れられがちになる.それは実際には,愛,怒り,恐怖,悲しみに勝るとも劣らないほど強い感情だ.
- 実際に罰は国家に任せ,復讐する権利は放棄することを誓った人々同士でなければ,平和に共存して暮らすのは難しい.そうでなければ復讐の連鎖からは逃れられないのだ.
- 現代人は罰を国家に任せることで何を放棄したのかを忘れている.だから「なぜ伝統社会の人はあのように殺戮に満ちているのか」を理解できないことがある.彼等は全く私たちと異なるのだろうかと.しかし民族学のリサーチが明らかにしたのは,国家による罰の独占がなければどんな人間社会も殺戮と復讐の連鎖に落ちてしまうと言うことだ.つまり,殺戮と復讐,そして相手の非人間化の方が原則なのだ.違いは,私たちは時折の宣戦布告から平和条約までの短い期間だけそのモードになるということだ.
- しかしそれでも復讐心と相手の非人間化は私たちを苦しめることになる.1930年代にヨーロッパで生まれた人は,ある特定の民族集団は悪だと教え込まれた,その影響は「そうではない」と宣言されてから65年たってもなお心理の底に残っている.また逆に現代社会の若者は18歳まで「汝殺すなかれ」と教わり,軍にはいると突然「敵を殺せ」と言われる.これでは戦場で引き金を引けなかったり,除隊後PTSDを発症するのも無理はない.そして退役兵は,信頼できる仲間以外には,自分が戦場で殺戮行為をしてきたことを話さない.
- しかしニューギニアの伝統社会は全く異なる.人々は子供の頃から敵は悪魔だと教えられ続け,戦争に行く大人をみる.近親者が殺されたりけがをしたりするのをその目で見る.戦場の英雄が誇らしげに敵を殺した話をし,それが賞賛されるのを見るのだ.
- パールハーバーのことを考えてみよう.アメリカ人は宣戦布告なしの攻撃に怒り心頭に発して日本人を非人間化し,若者は軍に志願し,実際に日本軍兵士と殺し合った.そして4年後に「はい.いままでのことは皆忘れて」と言われたのだ.多くのアメリカ人は混乱した.でもそれはわずか4年間のことだったのだ.
- 伝統社会ではそれは生まれたときからずっと続く,だからダニ族の若者が敵の殺戮に熱意を持つのはある意味で当然に思える.
- 復讐心は確かに醜い.しかしそれは無視すべきものではない.それが報復行為に結びつかないようにするためにも,それは理解されるべきものなのだ.
復讐心から目をそむけてはいけないと言うことだろう.ダイアモンドはそこまで踏み込んでいないが,この復讐心の延長には報復による正義の実現というモラルの感情がある.リバイアサンのない国際政治においてはこれはよく考えておくべきことなのだ.