「なぜ理系に進む女性は少ないのか?」

なぜ理系に進む女性は少ないのか?: トップ研究者による15の論争

なぜ理系に進む女性は少ないのか?: トップ研究者による15の論争


本書は,題名通り科学技術分野での女性の進出にかかる本で,2005年のハーバード総長のローレンス・サマーズの発言がきっかけになって,2006年に編纂されたものである.当時の(少なくとも出版されたもの,ネットで公表されたものの)議論の大半が表面的でエビデンス・ベースでなかったこともあり,特にエビデンス・ベースで議論を行えるトップリサーチャーに17人に本件に関する原稿を依頼し,うち15人から応諾を得たものだ.そして企画・編集を行ったウィリアムズとセシが本書の最初と最後に「背景設定」と「結論」をまとめている.原題は「Why Aren't More Women in Science?」.テーマは広い意味で「Nature vs Nurture」にかかるもので,環境のみを強調しようとするフェミニストの寄稿から,遺伝の影響もみようとする生物学者の寄稿までスペクトルを広くしているが,さすがにエビデンス・ベースのリサーチャーを集めているので,イデオロギーに染まった荒唐無稽な主張は見られない.私としては特にこのトピックに興味があるわけではなかったが,紀伊国屋書店の企画「進化と哲学」で選者の1人長谷川眞理子の選書に選ばれていたので,これは読んでみなければと手に取った一冊だ.

最初にこのきっかけになったサマーズ発言を見てみよう.問題は科学,技術,工学,数学などの一部の科学分野(本書ではscience, technology, engineering, mathematicsの頭文字をとってSTEM分野と呼んでいる*1)の頂点に立つ人々の男女比のアンバランスだ.私なりに要約するとサマーズ発言のポイントは以下の点にある.

  • 差別・偏見は,明示的ではないものや無意識のものも含めてなおあるだろう.これには打ち勝っていかねばならない.
  • また所属組織の昇進ポリシーが若い女性の出産・育児期における諸問題とマッチしていないという問題もあるだろう.これも支援が考えられてしかるべきだ.
  • しかし過去15年間の行動遺伝学的知見はこれまで環境だけで決まると考えられてきた多くの能力が環境だけで決まっているのではないことを示している.そして数学,科学の能力の最も高い人たちの男女比率は(分散の性差から説明される場合も含めて)生物学的な性差の影響を受けて偏っている可能性がある.

議論のスタートポイントとしてそれほどおかしなところがあるようにも思われないが,とにかくこれはアメリカにおける政治的正しさの一線を踏み越えたと見なされ,轟々たる非難を浴びたサマーズは辞任を余儀なくされた.


そして本書では実際にここをスタートポイントとして様々な論者が様々なエビデンスを取り上げて論じているということになる.そしてエビデンスに基づいて本書において概ね合意されていることを私なりまとめると以下のようになる.

<認知能力>

  • 全般的な認知能力水準にほとんど性差はない.
  • 個別の認知能力ではいくつか性差があるものがある.最も大きな認知能力の性差はメンタル・ローテーション(3次元物体を頭の中で回転させて異同を判断する能力)などの空間認知能力に認められ,男性優位である.最も女性優位なのは一部の言語能力である.
  • 認知能力は環境の影響を受ける.適切に指示訓練すると女性の空間認知能力を上げることができる.

<学業成績>

  • 学校での評価では理系の学問の成績に性差はほとんど見られない.しかし(習っていないような応用的な問題解決が試される)SAT-Mでは男性優位となる.
  • 学業成績ももちろん教育により上昇させることができる.
  • この男性優位性は時間とともに減少している.また国別にも異なる.

<興味>

  • 興味の対象について男性はモノ,システム志向,女性はヒト志向の傾向がある.
  • ハードワークをものともせずに競争に勝とうとする意欲も男性の方が高い傾向がある.
  • これらも環境の影響を受ける.

ここから様々な意見の相違が現れる.
<認知能力差や意欲の差は何に由来するか>
フェミニスト側は,基本的に様々な観測される性差はすべて環境によって説明できるとし,論拠として,実際により空間認知に特化した訓練を行うと認知能力が上がること,時間や国により性差が異なることをあげてそれでよしとする.また興味や意欲については,様々なジェンダーバイアスが影響を与えていることを示し,これが是正されれば性差はなくなることを期待する.
これに対して反論側は,環境による影響は当然あると認めたうえで,発達の初期から観察されること,ホルモンによる影響があること*2,脳の構造に差が見られること,進化的に考えて性淘汰の影響がありそうなことなどをあげて,環境要因だけではなく遺伝的な性差が影響していることを説明しようとしている.
私のようなバックグラウンドの読者から見るとここは反論側の方が圧倒的に筋が通っている*3ように見えるところだ.
なお本書ではそもそも認知能力に影響を与える環境要因と遺伝要因の量的な比較(相互作用があるので単純には議論できないだろうが)については全く議論されていない.エビデンス・ベースといいつつ,行動遺伝学的な議論があまりないのは物足りないところだろう.


<認知能力の性差はSTEM分野での男女比の偏りを説明できるか>
ここは両陣営とも言いっぱなしという印象だ.フェミニスト側は「空間認知能力が一部の数学の問題の解決に役に立つとしても,それが分野での成功の要因になっているという証拠はない,さらに独創性,自分のアイデアの説明能力,チーム運営能力なども重要なはずだ」と主張し,反論側は「空間認知がある種の問題解決に有効なのは確かであり,成功にとって重要な資質だろう」と主張する.様々なデータが引かれているが,どのような人が成功しているかというのはなかなか複雑な現象で,確かに直接的な証拠はないとしか言いようがないだろう.しかし強く関連しそうなことも確かだというのが私の印象だ.
また本来認知能力の分散の性差が効いているかどうかもここに関連するが,フェミニスト側はそもそも分散についてのデータをエビデンスとしてあげないし,認知能力とSTEM分野の成功の関連自体を疑問視しているためか分散自体について議論しようとしない.しかし分散は重要な論点ではないだろうか,仮に空間認知能力と関連しないとしても,何らかのSTEM分野向けの認知能力があって,それが平均では性差がないとしても分散で性差があれば(そして性淘汰を考えると分散が男性で大きいと考えることはおかしなことではないし,挙げられているいくつかのデータは様々な認知能力に分散の性差があることを示している)上位グレードでは男女比に偏りがでるはずだ.本書ではウィリアムズとセシのまとめを含め,あまりここに突っ込んでいない.読んでいて物足りないところだ.


<興味,意欲の性差についてどう考えるべきか>
興味,意欲がSTEM分野での男女比に影響を与えることは双方とも認めている.それがすべて環境の影響かどうかという点については認知能力の議論とほぼ同じだ.ではそれをどう受け止めるべきか*4.このあたりから,本書の内容は事実の問題を離れて価値判断の領域に近くなる.フェミニスト側は,興味や意欲について様々なジェンダーバイアスによる影響を示し,操作による介入,あるいは制度の変更を示唆する.なお介入の程度については,「女性にエンジニアは向かない」などのバイアス除去,正しい職業事情の啓蒙などから,全女子生徒に物理などの科目を必修化させようというもの*5まで様々だ.反論側の態度はまちまちで,価値判断には立ち入らないもの,男女同じように介入すればやはり性差は残るだろうと指摘するもの,現在のテニュア・トラック制度について様々な改善策,出産育児への支援策を考えるにしても根本のところで「人生のすべてを捧げてすばらしい業績を残す人を評価しないわけにはいかない」という問題は残るだろうと指摘するものなどがある.
このあたりは価値判断の領域なので,それぞれの議論を受け止めるしかないが,それにしても「全女子生徒に物理を必修化させてまでSTEM分野の男女比をイーブンにすべきなのだ」という主張には正直やや引いてしまう.それは非常に多くの女子生徒を不幸にする試みなのではないだろうか.そこは編者のウィリアムズとセシも同感のようで,差別や偏見による影響に介入した上で,女性が興味を持ちうまく扱える生物学,医学,社会科学,法学の世界でより活躍し,男性がコンピュータ科学や工学の世界でより活躍することが「悪い」と考えるべきではないのではないかと示唆している.


以上が本書の議論のアウトラインだが,実際に本書の面白さは詳細にある.実際に生じている現象は,人々の人生を賭けた意思決定,その背景のトレードオフ,何故そうなのかよくわからない好み,隠れたバイアス,精一杯の努力の結果,それらの相互作用の絡まった複雑なものだ.その一面を切り取ったデータをどう解釈するかに,寄稿者の信念と政治的な賭け金の高さが微妙に絡みつく.時には同じデータを全く異なる解釈に用いていたりする*6.そして編者を含むすべての寄稿者が地雷を踏まないように細心の注意を払って記述している*7.そのあたりの読み解きも本書を読むときの醍醐味だ.そしてなぜ長谷川が本書を「進化と哲学」の選書に選んだのかが少しわかるような気がしてくるという仕掛けになっている.


関連書籍


原書

Why Aren't More Women in Science?: Top Researchers Debate the Evidence

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キングズレー・ブラウンの進化心理学的なジェンダーギャップの本

女より男の給料が高いわけ 進化論の現在 (シリーズ「進化論の現在」)

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同じくブラウンによる軍隊におけるこの問題を扱ったもの.アメリカのフェミニズムのものすごさがよくわかる.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20091116

Co-ed Combat: The New Evidence That Women Shouldn't Fight the Nation's Wars

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女性側のライフスタイル選好,プライオリティの面から議論している本.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20090713

なぜ女は昇進を拒むのか――進化心理学が解く性差のパラドクス

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*1:なおアメリカにおいては理系においても医学,生命科学,生物学の分野では性差はおおむね解消されている.物理,化学,数学,機械工学,電子工学,情報工学などが残された男性の多いフィールドということになる

*2:なお本書のエビデンス・ベース記述方針にもかかわらず,ホルモンの影響については事実の認識の一致を見ていない.これはかなり激しく論争されたようだ.これは生物学的性差の至近メカニズムの一つ(であり,かつ後天的に介入できるから環境的な影響だということもできる)にすぎないから,なぜこんなに激しく争われるのか自体なかなか理解が難しいところがある.

*3:介入によって女性の能力が改変できるからといって生物学的な性差がないことにはならないだろう

*4:認知能力や学業成績についても同じ問題はあるが,基本的に教育によって伸ばそうということにそれほど異論はない.(もっとも女性だけに特別教育を行うかどうかという点は残るが,本書ではあまり扱われていない)

*5:自由に科目選択させるとそれは女性に選択されにくく,その結果スキルに偏りが生じ将来の職業選択へ大きく影響する為に,ここをまず改革するのが効果的だということがその理由のようだ.

*6:この点で一番面白いのは,なぜ学校の学業成績とSAT-Mで男女の成績差に違いがあるかということに関する解釈だ.学校側に男子を罰するバイアスがあるのか,テストに男性有利になるようにバイアスがあるのかなどについて争われている.

*7:サイモン・バロン=コーエンは「70年代にはこのテーマについて自由な議論を行うことは不可能だった」と述懐している.今では少なくともこのような議論ができるようになったそうだ.