「Did Darwin Write The Origin Backwards?」 第5章  「あとがき 」 その4 

Did Darwin Write the Origin Backwards?: Philosophical Essays on Darwin's Theory (Prometheus Prize)

Did Darwin Write the Origin Backwards?: Philosophical Essays on Darwin's Theory (Prometheus Prize)


さて私からみて筋悪のマルチレベル淘汰理論擁護を延々と続けた後,ソーバーのあとがきの最後は進化理論と確率論についてだ.


<進化理論とマクロ確率の真実性>

まずソーバーは現代進化理論が確率にあふれていることを指摘している.

  • 自然淘汰は適応度に変異があるときに働く,そして適応度は生存と繁殖に分離できるが,それぞれ確率的に理解されるものだ.個体は繁殖年齢まで生存する「チャンス」があるし,繁殖すれば「期待」子孫数を持つ.
  • 浮動は,固定確率1/2Nで示される.
  • 突然変異率も確率的だ.
  • 以上は将来に向けての不確実性を意味するが,さらに合祖理論では「過去に向かって」の共通祖祖先までの「期待」世代数を扱う.

では進化理論だけでなく進化「プロセス」も確率的に理解すべきだろうか?ここには論争がある.

  • 現実主義者は「理論が自然において生じることを確率的に記述しているなら,その確率はリアルである」とする.
  • ホーランやローゼンバーグなどの批判者は「進化理論はリアルに解釈すべきではない.それは私達の無知を示しているに過ぎない」と主張する.
  • 彼等の主張は進化理論に限られる性質のものではなく,およそ確率的に記述されるすべての理論に当てはまり得る.実際にこのような確率の解釈はラプラスにさかのぼる.ラプラスニュートン力学を念頭に,「決定論的宇宙の中の確率は私達の無知を示しているに過ぎない」と考えた.
  • ここで注意すべきことは彼等の立場は宇宙が決定論的かどうかには依存しないことだ.ミクロな理論がマクロをすべて決定している(ソーバーはこれをメレオロジカルな付随性:mereological supervenience/ MSと呼んでいる)なら妥当する.つまり宇宙が非決定論的であっても,私達がマクロ的にある変数をある値に評価する態様とミクロ理論の記述が異なっていればこの主張は成り立つと考えるのだ.だから量子論のような非決定論を認める世界の中でも彼等は進化理論の確率を単に無知を示す主観的な解釈だと主張するだろう.

ここからソーバーはこれに反論する.反論の議論は「ミクロ状態はマクロ状態を一義的に決定できるが,逆はそうではない(ある閉鎖空間のガスの温度がわかったとしてもすべての分子の挙動が一義的に決まるわけではない」,「ミクロ状態t1からミクロ状態t2に移行する確率とマクロ状態t1からマクロ状態t2に移行する確率を区別する」を利用したかなりテクニカルなものだ.(その中ではスクリーンオフの議論も取り上げられて批判されている)

このあたりの議論を整理するのは私の能力を超えているがソーバーの結論は以下のようなものになる.

  • ミクロもマクロも同じように説明的で,どちらを使うかは私たちの興味に依存する
  • 私たちが無知による確率を使うからといってそれが主観的か客観的かという問題は別だ
  • ミクロが客観的ならマクロも客観的になりうる

そう言われれば,それでも問題ない気がするところだ.しかしこれは結局確率の本質についての深い議論にかかるものなのだろう.イアン・ハッキングの名著でも読むべきところかもしれない.ただ私のような初心者には「確率が主観的なのか客観的なのか」という問題や「確率がリアルかそうでないのか」という問題が,一体「自然現象をある理論が予測可能な形で記述することの有効性」に何の関わりがあるのか(あるいは全くないのか)さっぱりわからず,(おそらく関係しないのだろうという強い直感のもと)これ以上綿密に読む気力を欠いてしまったとだけ告白しておこう.

ともあれ,この長い難解なあとがきで本書は完結している.ソーバーの「進化論の射程」の考えの応用や捕捉が書かれていて,生物学の哲学に興味がある読者には面白い本になっているように思う.


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