Language, Cognition, and Human Nature 第5論文 「自然言語と自然淘汰」 その23

Language, Cognition, and Human Nature: Selected Articles

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この記念碑的な論文もいろいろ最終節に来た.ピンカーはこう結論を整理している.

6 結論

  • 最初にも述べたが,この論文の主張は全くもって平凡なものだ.私たちが論じたのは,「ヒトの言語は,その他の特殊化された生物システムと同じく,自然淘汰によって進化したものだ」ということだけだ.
  • 私たちの結論は二つの議論の余地なきほど明確な事実に基づいている.一つは「言語は命題構造のコミュニケーションのための複雑なデザインを持つ」であり,もう一つは「複雑なデザインを持つ器官の起源についての唯一の説明は自然淘汰だ」ということだ.様々な分野の様々なイデオロギーを持つ著名な科学者たちがオーソドックスなダーウィニズムに疑問を投げかけようと試みているが,よく調べるとそれらの議論はどれ一つとして説得力を持たない.
  • しかし私たちは.ここで単に誤解を解くだけ以上のことができたことを望んでいる.言語進化について何か科学的な価値があることを主張することができるという考えへの懐疑論は長い歴史を持つ.それは1866年のパリの言語学会の禁止令に始まり,1976年のハルナッド,ステクリス,ランカスターにより編集された百科事典的な書物「言語と会話の起源と進化」(この中では懐疑論者の大群にごく少数の大胆なスペキュレーターを立ち向かわせている)にまで積み重ねられている.
  • 確かに「修飾世におけるピテカントロプス・アラルス(会話なき猿人)」とか「ヒーブ・ホー理論」理論などを読むと,あながち懐疑論が馬鹿げているわけではないこともわかる.しかし懐疑論は同じように根拠のない「スパンドレルや跳躍の必要性」を主張する理論にも向けられるべきだ.
  • よりまともな言語起源の推測の試みに見られる大きな問題は,論者たちがここ30年間に発見された文法構造にかかる豊富な知見を無視していることだ.その結果,言語能力と認知発達が混同され,言語の進化と思考の進化が混同され,考古学証拠が残る道具製作や芸術や征服などの活動と方便として同視される.
  • 私たちは,言語進化に関連する新しい科学的な情報が豊富に存在し,それらはこれまで適切に統合化されていないと考えている.心の計算理論,生成文法,発声と聴覚の音声学,発達心理言語学,通時的変化の動態の研究は,最新の分子的,考古学的,比較神経学的知見,進化理論と人類学を用いた進化の戦略的モデリングと統合することができ,それは利益をもたらしうるだろう.
  • 私たちが永遠に答えることのできない言語進化に関する謎は確かにあるだろう.しかし私たちは,問題が適切に設定されるなら,なお得られる洞察があることについて楽観的だ.


以上で本論文は完結だ.
全体を振り返って議論の構成を見てみよう.おおむね以下のようになっている.

  • 「これは本当に言語の特質(ユニバーサル性,子供が苦もなく複雑な計算処理を行えるようになること,様々なデザインの存在など)を考えたら当たり前なんだけど,言語は淘汰産物だと主張するだけの論文だ」と断る.
  • 次にグールドの議論「スパンドレル」「断続平衡」「外適応」にはそれぞれ言語進化を否定するような内容は何もないことを明確にする.
  • そこから言語の淘汰産物性について議論をするが,すべて否定論者への反論という形で行う.議論は3つのパートに分かれていて,デザイン性,創発現象ではないこと,進化プロセスに区切られている.
  1. デザイン性:言語が単なる副産物(PCが文鎮としても使えるようなこと)などではなく,淘汰でしか説明できない複雑なデザインを持っていることを整理してリスト化している.ここは圧倒的に素晴らしい.その後「言語に多様性があるから淘汰デザインではない」という批判への反論(多様に見えても一段と深い文法のルールにはユニバーサル性がある.ユニバーサルな一般的ルールの上に学習によりパラメータを設定するような仕様になっている),「同じく恣意性があるから淘汰産物ではない」という批判への反論(恣意性とされるものの多くは背景に抽象的なルールが見つかっている.標準プロトコルとして何らかのパラメータが設定されていることがある)がなされている.
  2. 言語は創発形質ではない:ここはチョムスキーによる「脳が複雑になって物理法則により言語能力が創発した」というとてもありそうにない,ある意味馬鹿げた主張に対して丁寧に反論している.知の巨人チョムスキーを批判するというわけで記述には非常に気を使っていてこの論文の一つの読みどころだ.
  3. 進化プロセス:「変異がない」「中間ステップがない」「適応度がない」などの批判について厳しく反論している.このあたりは批判者の主張が無様でまるで創造論者との問答風になっていて,当時の言語学者の進化理解の浅さがよくわかる部分になっている.

こうやって25年前の記念碑的論文を読み込んでみると,改めてグールドとチョムスキーの筋悪な主張の当時の影響の大きさが窺える.特にグールドの広げた大風呂敷の引き起こした誤解を解くのに丸々1章使っている(さらにその一環であるチョムスキー創発議論の否定にも1章使っている)のが目を引く.当時の2人の名声を考えるとこの論文の執筆はなかなか勇気の要る仕事だったのだろう.
ピンカーは最後にこの論文によって進化の誤解が解け,言語進化のリサーチが進む事を展望している.そして実際に世界はピンカーの考えた方向に動いているということだろう.何はともあれいろいろ当時の状況がわかって面白い論文だった.


関連書籍

本論文を受けて書かれたピンカーの初めての一般向けの本.何度読んでも面白い

The Language Instinct: How the Mind Creates Language (Penguin Science)

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同邦訳.

言語を生みだす本能(上) (NHKブックス)

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言語を生みだす本能(下) (NHKブックス)

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本論文に至る経緯が詳しく書かれている.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20140613

The First Word: The Search for the Origins of Language

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