Language, Cognition, and Human Nature 第5論文 「自然言語と自然淘汰」 その22

Language, Cognition, and Human Nature: Selected Articles

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言語が進化産物かという議論,最後に系統的連続性の問題を議論する.

5.4 系統的連続性

  • ベイツ,グリーンフィールド,リーバーマンなどの論者は「もし言語が自然淘汰により進化したのなら,遺伝要素の99%を共有し,わずか5〜7百万年前に分岐したチンパンジーのような近縁種にその祖先形態が見られるはずだ」と主張する.同じように「(言語が進化産物なら)どのような生物学的能力も無から生じるわけではないのだから,ヒトに文法と連続するような非言語的な能力もあるはずだ」と主張する論者も存在する.
  • リーバーマンは運動プログラムは統語ルールの前適応だと主張し,ベイツとクリーンフィールドはコミュニケーションのための身振りが言語的なネーミングになっていったのだと示唆している,ベイツたちはこういっている:「私たちは生成文法で30年間主張されてきた強固な(言語についてヒトと近縁種にある)非連続性の主張を放棄すべきだ.私たちはヒトが他種と共有する心的な要素としての象徴と統語に(言語を)基礎づける方法を見つけなくてはならないのだ」
  • (これに関して)特定の実証的な主張が議論されている.セイデンバーグとペティートは類人猿の身振り能力のエビデンスをレビューし,「彼等には,実質的なヒト言語との類似も,それを獲得する過程についても見いだせない」と結論づけている.ペティートは手話獲得過程のリサーチの中で,非言語的ジェスチャーと手話名詞は,同じようなな身振りや見え方になっていたとしても全く異なるものだと主張している.ではこれらの主張はヒトと近縁類人猿の断絶を意味し,言語が進化産物であることを否定する根拠となるのだろうか?
  • 私たちはセイデンバーグとペティートの示したことについては説得力があると思っている.しかし私たちの「言語が進化産物である」という主張は,ヒトと近縁種の違いが連続的かどうかということに依存してはいない.
  • 私たちはむしろ「近縁種との間の連続性が進化産物かどうかの判定基準になる」という主張を否定する.もちろんヒトの言語は(他の複雑な適応産物と同じく)一晩で進化したりはしない.しかしだからといって,どのような淘汰産物についても現存近縁種に祖先形態を見つけることができる幸運が科学者たちに保証されているわけではないのだ.
  • 最初の祖先形態が顕現したのは,チンパンジーと分岐した後のアウステラロピテクス時代,あるいはそれより後だったのかもしれない.加えて,チンパンジーも分岐以降独自の進化を経ている.ヒト言語との相同物を持つ生物がすべて絶滅しているということはありうるのだ.
  • チンパンジーとの分岐以降に言語進化が生じたとしても)進化可能な時間は十分にある.アウストラロピテクスが最初の言語祖先形態を顕現させた種であれば3.5〜5百万年ぐらいはあっただろう.(化石に残るブローカ野の肥大具合から見て可能性は低いと思われるが)サピエンスになってからだとしても最低限数十万年はあったことになる.
  • またDNAデータを無視して結論を出すことは正当化できないだろう.ヒトとチンパンジーの間には40百万塩基対の違いがある.そして(初歩的なシンボル操作が残りの99%で可能であるとするなら)ユニバーサル文法を生みだすのにその10メガバイト*1では不足だという合理的な根拠はどこにもない.
  • 実際のところ単なる非共有遺伝要素の量よりも,デザインの違いの方がより注目されるべきだ.ヒトとチンパンジーの1%の差というのは異なる塩基対の割合を指している.しかし遺伝子というのは長い塩基配列であり,そのうち1つの塩基対が異なっていても当該遺伝子の全体的な機能が異なってくる可能性があるのだ.*2だから1%の塩基対が異なっていれば,(理論的には)すべての遺伝子機能が異なっている可能性がないわけではない.もちろんこんな極端なことはありそうもないが,いずれにせよ塩基対の割合で何かを結論づけるのは妥当な態度ではない.
  • 言語と非言語の神経メカニズムの連続性についていえば,私たちは,「生物学的」と名打った議論が相似と相同の初歩の区別すらできていないことに皮肉を感じずにはいられない.リーバーマンの「統語ルールは運動プログラムを書き換えたものに違いない.それは前適応だった.」という議論は良い例だ.その通りなのかもしれないが,それを信ずるべき理由はどこにもない.リーバーマンの挙げる根拠は,「運動プログラムは階層的に組織化され,逐次的に実行されており,統語ルールも同じだ.」ということだけだ.しかし「階層的な組織化」は多くの神経システムの特徴だし,私たちが「複雑」だと考える(生物,非生物を問わずに)すべてのシステムに見られるものだ.そして現実の時間の中で機能する組織体は,逐次的な実行を行う様々な知覚,運動,集権メカニズムを持つ必要があるだろう.階層性と逐次性は非常に有用なので,神経システムの中で何度も進化したと考えられている.単なる相似から真の相同を区別するには,何らかの非適応的な派生形質が共有されていることを確かめる必要がある.例えば文法の何らかの奇妙な癖が(相同性があると考える)別のシステムにもあるというようなことだ.
  • 統語ルールと運動プラグラムの間にそのような派生形質は見当たらないし,そもそも両者の非相似性は衝撃的なほど大きい.運動プログラムは距離のゲームであり,時間と空間に関しての連続量パラメータを必要とする.統語にはそのような量的パラメータは存在しない.
  • よりましな候補をあげるとするなら「トポロジーと対立する力の概念化」だろう.しかしそれはまた別の話になる.


「連続性が現生生物間に見つからなければ適応ではない」というかなりお粗末な議論に対してピンカーの舌鋒は鋭い.リーバーマンへの指摘は痛烈だ.これらの論者の進化生物学についての不勉強には相当腹を立てていたのだろうと思わせるに十分だ.
現在言語の再帰性にかかる前適応産物として仮説化されているものには「道具作成などの際に行う物体操作」「心の理論」などがあるが,この25年前のピンカーの指摘である「非適応的な共有派生形質の存在」にまで踏み込んで議論されているのはあまり見かけない.そのような「非適応的共有派生形質の存在」が保証されているわけでないのは「現生近縁種との連続性」と同じで,なかなか実証は難しいということなのだろう.

*1:40百万塩基対の差のことを言っている.1塩基対の違いは塩基が4種類なので2ビット,これが40百万対あるので80メガビット,すなわち10メガバイトという計算かと思われる.

*2:ここでピンカーは,すべてのバイト情報について,それぞれそのうち1ビットだけ書き換えれば全体で12.5%が異なるにすぎないが,テキスト情報は100%異なることになるのと同じだと説明している.いかにもコンピュータが普及しつつある時期の表現だ.