Enlightenment Now その46

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

第17章 QOL その3

 
ここまでピンカーは,20世紀以降生活のため以外に使える人々の時間と収入が増加傾向にあり,それを実際にレジャーや子どもと過ごすために使っていることを見てきた.ここからは懐疑論者のよくいう議論「最近の技術が人間らしさを奪っているのではないか」を扱っていく.
 

  • 電子メディアは人々の関係を破壊するものとよく糾弾される.確かにフェイスブックでのふれあいは実際のふれあいには及ばないだろう.
  • しかし全体としてみれば電子テクノロジーは人々の対人関係の親密性にとって計り知れないほどのメリットを与えている.百年前だと,家族の一員が別の都市に引っ越せば,二度と会ったり声を聞いたりできないかもしれなかった.何らかの事情で遠く離れて住むことになったカップルは相手から手紙を何度も読み返し,その返事が遅れるたびに,それが郵便の問題なのか,相手に何かあったのかも知ることができず,絶望的にやきもきするしかなかった.長距離電話が可能になった後も当初そのコストはバカ高かった.そして今日電子テクノロジーはかつてないほどつながることを容易にしたのだ,現在人口の半分はインターネットに接続し,3/4は携帯電話を持っている.
  • もうひとつの恵みは写真コストの低下だ.かつて多くの人は相手のイメージを心に持つしかなかった.今日のテクノロジーとその低コストは家族の写真をいつでも見られることを可能にし,さらに多くの人生の喜びを与えてくれる.
  • そして,移動コストの低減はまた別の恵みだ.鉄道や自動車は遠く離れた人と会うことを容易にし,航空機は距離のバリアを劇的に下げた.航空機燃料の高騰にもかかわらず,航空運賃は1970年代に比べて半分以下に下がっている.ニューヨーク→ロス便の運賃は(インフレ調整後で)1974年には1442ドルだったが現在は300ドル以下になっているのだ.そして運賃低下により多くの人が航空機を利用するようになっている.

 
ここで1979年から2015年の航空機運賃(アメリカ国内のラウンドトリップ運賃)の低下グラフが示されている.ソースはAirlines for America 1990年以降のグラフはここで見られる.
airlines.org

 

  • 移動コストの低下は人々を再会させるだけではない.それは人々に地球の有様をより実感させる.「旅行」と呼ばれる余暇の過ごし方は人生の喜びの1つだ.旅行は素晴らしい景色を楽しめるだけでなく我々が意識するスペースを広げてくれる.所得増加と移動コストの低減によりより多くの人が旅行を楽しむようになっている.
  • そして旅行者は美術館に列をなしたりディニーワールドのアトラクションに参加するだけではない.それは自然保護地域の増加に結びついているのだ,

 
ここで1995年から2015年の世界全体の旅行者の増加推移を示すグラフがある.1995年の7億人から2015年には12億人に増えている.ソースはYearbook of Tourism Statistics
 

  • さらに別の我々の感覚的な喜びの増加は食事にある.19世紀後半のアメリカの食事はほとんどブタと澱粉だけだった.冷蔵技術と輸送技術なくては野菜も果物も遠くに運べなかった.農家が作る野菜は(常温輸送可能な)蕪と豆とジャガイモで,(唯一作られていた果物の)リンゴはほとんどサイダーに加工されていた,アメリカの食事が「白パンと肉とジャガイモ」と呼ばれていたのには理由があるのだ.野心的な料理人はスパムフリッターとアップルパイとリッツクラッカーとコールスローに挑戦するのが関の山だった.しかし今日どんな田舎のフードコートもコスモポリタンなメニューにあふれている.

 

  • さらに精密に作られた様々な娯楽用の商品による喜びがある.今日19世紀の田舎がいかに退屈だったかを思い浮かべるのは困難だ.インターネットはもちろんテレビもラジオもない.映画も音楽レコードもなく,せいぜい本と新聞があるだけだ.男どもの娯楽は酒場で飲むことだけだった.今日ではどんな田舎の住民でも100以上のテレビチャンネルを選ぶことができ,何億ものインターネットページにアクセスできる.百科事典的知識も高等教育プログラムも容易に手に入る.
  • 裕福な西洋諸国の都市住民にとって美術や文学へのアクセスは大幅に容易になっている.私が学生だったときにはどんなに有名な作品であっても映画を見るにはそれが近くのどこかの映画館で上映されるのを待つか,テレビの深夜放映を見逃さずに見るしかなかった.今日映画も音楽もオンデマンドでストリーミングされ,スマホとヘッドホンでどこでもいつでも楽しめる.そしてそれはインターネットに接続できれば誰にでも開かれているのだ.
  • 文化にとっていつが黄金時代かは議論の余地もないだろう.それは今なのだ.

 
このピンカーの最後の論点は全くその通りというしかない.私が物心ついたときには既にテレビがあったが,白黒で,チャンネル数は4つだけ(日本の地方によってはNHK2,民放1の3チャンネルだけのところも結構あった)だった.映画は年に1,2回連れて行ってもらえる特別な娯楽だった.UHFでチャンネル数が2つ増えたときには非常に嬉しかった.1970年代には音楽は真剣に聴くもので,FMをエアチェックし,乏しい小遣いをやり繰りして年に何枚かのLPを買うのが楽しみだった.それがどうだろう.今や画面はHDから4Kになり,ストリーミングでほとんどどんなものでもアクセスできる.まさに現在こそ黄金時代なのだ.