ピンカーのハーバード講義「合理性」 その7

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合理性講義,一旦応用編に入っていたが,第13回はヒトの非合理性が社会的動機,特に部族主義的動機からも来ているという記述モデル的なピンカーによる講義が1回挟まる形になっている.第14回は応用編に戻り,双曲割引問題を扱う.
 

第13回「社会的,政治的バイアス」

 
いよいよCOVID19によるパンデミックの影響が出始め,講義参加者が大きく減り,教室では社会的ディスタンスをとるように教示がある.その中でピンカーの講義が始まる.
 

  • これまでヒトの意思決定のいくつかの非合理性を見てきた.コストや計算リソースの限界,それを解決するためのヒューリスティックス,フレーム,用語,会話文脈の影響などだ.今回はまた別の非合理性のソースを考えよう,それは社会性の影響だ

 

  • メルシエはヒトの合理性は議論で相手を説得するための適応だと論じた.では何故そもそも他人を説得しようと思うのか.1つには他人と議論することで自分の誤謬に気づけるし,グループでの議論は真実に近づく1つの方法だということがある

 

  • しかしでは何故ヒトは(真実を追求するより)議論に勝とうとするのか.1つは訴訟など真実追究のための合理的な方法だというものがある,しかしそこには(真実追究からみると)非合理的な理由もある.それは「社会的地位獲得の動機」だ.議論に勝つことは友人,同盟,配偶の相手(潜在的相手を含む)に「自分が善良で有能である」こと印象づけるのに役立つのだ.古典的なバイアスで地位が絡むものにはいくつかある.
  1. 自信過剰バイアス:これは自己宣伝に有利だ.(ハーバードの学生に自分が様々な能力でクラス内で上位何%に入っているかのアンケート結果は面白い.運転や身体能力ではやや高め程度だが,正直,見た目の良さ,知性では凄く高い評価になる)
  2. 自己奉仕バイアスとしての本質的帰属誤謬:他人の行動や態度はその人のキャラクターのせいにして状況要因を無視する.自分についてはネガティブな問題では状況に,ポジティブな問題ではキャラクターに帰する
  3. バイアスの盲点:他人はバイアスを持っているが自分は客観的でバイアスフリーだと感じる
  • さらに興味深いのが,グループ間で見られるバイアスだ.ヒトは基本的になんらかのグループに属していると感じて生きている.それは部族,宗教,人種,国家,民族,スポーツチームなどだ.実験では単純な絵の好みで分けたグループでもこの帰属感が生じる
  • そしてグループ間競争は自律的な動機となる.そこでは自分の自己概念はグループの幸運とマージする.そして自分のグループメンバーには利他的に,そうでないグループメンバーにはより罰を与えるように振る舞うようになる.

 

  • このような部族主義が自己奉仕バイアスと組み合わさるとマイサイドバイアス(自分のグループは正しく相手のグループは邪悪で間違っている)となる.さらに政治的イデオロギーと組み合わさるとイデオロギーバイアスになる.このイデオロギーバイアスはとりわけ悪質だ.これは動機のある理論構築を生み,より知性やエキスパート性があるとよりバイアスが強くなるからだ.

 

  • このバイアスのサブセットにはバイアスのある証拠探し,バイアスのある証拠評価がある.同じデータセットでもイデオロギーにより目がくらむ.(イントロダクションでも紹介された実例がもう一度紹介されている)
  • このようなバイアスは,なぜヒトは時に奇妙な信念を信じるのかを説明できる.世の中には確立した科学知識と矛盾した信念を持つ人達がいる.創造論者,フラットアース信者,陰謀論,怪しい健康食品など. 標準的な説明はこのような人々は科学的に無知だというものだ.しかし実際に調べるとそうではないことがわかる.(創造論や気候変動についてのリサーチが説明される) 創造論を信じるかという質問は彼等の宗教とだけ相関している.気候変動については彼等の政治的方向性や政治イデオロギーが相関するのだ.狼男やユニコーンの実在性などほとんどの事柄については科学的知識が皆に受け入れられている.ごく一部の政治的感情的問題だけが例外になる.
  • ダニエル・カハンは科学的知識の否定は特定の社会グループへの忠誠の表現だと論じた.科学的知識を問う質問は,個人にとっては真実を聞かれているのではなく,自分が何者かを聞かれていることになる.
  • ではそもそも政治的イデオロギーとは何か.リサーチによるとそれは「自然な権威を認めるか,強制的平等主義か」「個人主義か,団結主義か」という2軸平面上のクラスターとして現れる.では現実の政治イデオロギーはそのような一貫性のあるものと恣意的な部族のどちらに近いのだろうか.
  • 実際に調べてみるとすべての意見に一貫性があるわけではない.ロシアに親近感を持つかどうかについて保守派は(トランプの態度に影響され)変化している.これは最近のコロナウイルスをめぐる意見にも見られる.多くの右派コメンテイターはトランプの意見に迎合してコロナの脅威をダウングレードし,ある有名な右派のパンディットはコロナ騒ぎをフェイクニュースと断じた.
  • このような部族主義的な非合理性は,個人にとって社会的視点から見て合理的だ.真実を支持しても個人にメリットはほとんどないが,自分の属するグループから疎外されるとその影響は大きい.だからグループの意見を受けいれた方が得なのだ.しかもコストリーシグナルの理論からは,馬鹿げた信念ほど信頼性があることになる.つまり社会的地位は信念の途方もなさを強化する.しかし(気候変動やパンデミックを考えると)これは国家や世界には災いだ.これは信念共同体の悲劇なのだ.

 

  • では科学やアカデミアや政治エリートはどうなのだろうか.我々は真理の探究者なのか,それとも単なる部族なのか.主流の意見は「すべてを自分で理解することはできないから,アカデミアのエリートを真理探究者として信頼しよう」というものだ.しかし反ワクチン主義者,ニューエイジ理論家,陰謀論者などは「あいつらも別の部族に過ぎない」というだろう.
  • 本当はどちらなのか.アカデミアも1つの部族なのか
  • 答えは「えーと,そうだとはほぼいえないのではないか,あるいはまだそうはなっていないと思うが,しかし・・・」となる
  • 心配の種(1)アカデミアの視点の多様性は失われつつある.ここ20年間でアカデミア,特に人文科学と社会科学において左派,リベラルが圧倒的多数派になっている.
  • 心配の種(2)左派のそれと異なる意見についての弾圧や粛正の動きがある.特に性差,人種差,セクハラ,IQの遺伝性などのトピックについてそうなりつつある.

 

  • これはどう考えるべきか.
  • 左派は正しいからいいのか,そうはいえない.
  • では左派は歴史的に正しかったとはいえるか.確かに女性やマイノリティの権利擁護,環境保護,労働環境の改善,平和主義などでは正しかったといえるかもしれない.しかし共産主義のジェノサイドの否定,貧困の減少についての資本主義や市場やグローバル化の役割の否定,アメリカの犯罪減少についての考察など左派の誤りも多い.

 

  • デュアルテは「政治的多様性が社会心理学をより良くする.政治的モノカルチャーは社会心理学を悪い科学にするだろう」と言っている.例えばステレオタイプが間違っていない場合(ある意味事前確率の1つでもある)を認識し損ねる.また保守派がより偏見を持つと間違って認識しやすい.確かにアフリカ系アメリカ人に対しての偏見は保守派の方が大きいが,ファンダメンタルクリスチャンへの偏見はリベラルの方が大きいのだ.
  • アカデミアが政治的なモノカルチャーになると,科学が誰の利益代表でもない真理追究者だという信頼が損なわれる.そして結局科学も1つの部族だという認識が増えてしまうだろう.

 

  • ではイデオロギーバイアスから逃れるにはどうすればいいだろうか.それはまずオープンな議論だ.また科学にはいくつかのセーフガードがある(ピアレビュー,オープンな批判と議論,テニュア制,引用などの慣習など)
  • ほかにもデバイアシングトレーニング,バイアスの自覚,視点の多様性の確保,対立する学者間でのコラボレーション,アクティブなオープンマインドネスの尊重(反対証拠を見る,意見の変更を厭わないなど)などの方法があるだろう.

 
ピンカーはこの非合理的な部族主義ディスプレイについて「21世紀の啓蒙」の第21章で詳しく解説している.そこではアカデミアの左傾化と政治の二極化が相互に補強し合うようになることが懸念されている.保守がレーガン,ブッシュ,トランプとどんどん非知性的になっていく中で政治的保守は知性的でありつづけることが難しくなっていき,リベラルの政治家はしばしば安易にポリコレ警察に堕していくのだ.
これに関してはルキアノフとハイトの本が面白かった.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/2019/04/04/172150

 
またこのトピックに関してはこの本も必読だろう.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/2020/04/29/093951
 
 

第14回 「将来のためのプランニング」.

 
ここまでは大教室での講義だったがいよいよこの第14回からリモート講義になっている.テーマは将来価値の割引に絡む非合理性(双曲割引問題).ゲストはビナ・ヴェンカタラマンとアダム・ブレイになる.動画は最初の部分が収録されてないらしくヴェンカタラマンの紹介がないが,彼女はカナダ出身で現在はボストン在住.ジャーナリストのキャリアが長く,NYT,ボストングローブで活躍,現在はMITで科学技術と社会の関係を教えている.最近「The Optimist's Telescope」という本を書き,将来を見通して意思決定を行うことを世間に訴えている.そういうことで今回のゲストレクチャーになったようだ.スライドなしの早口でややわかりにくい
 

 

ヴェンカタラマンによるコメント

ピンカーから将来の割引について話してほしいと導入があり,スライドなしで始まる.
 

  • 将来の価値を割り引いて考えることにはどこにもおかしいことはない.しかしヒトは(本来数学的に正しい指数的割引ではなく)双曲的に割り引く.これには将来が不確定だからという正当化要因はある.しかし明確な信頼すべき予測があってもヒトの行動はあまり変わらない.将来を予測できるのはヒトの大きな才能だが不完全なのだ

 

  • しかしヒトはこれに気づけないわけではない.VR的に昔の自分と会話させてみるとそれがわかる.また正しい将来割引が成績を左右するシミュレーションゲームでもそれがわかる.
  • それでもヒトには今を過大評価するバイアスがあるようだ.今回のパンデミックでももう少し早めに手を打っておけばここまでの経済的影響は避けられただろう.

 
ここからピンカーとの対談になる.

  • (ピンカー)それ(双曲割引)は将来が不確定だった進化環境でヒトに備わった本能がデータや予測ツールのある現代環境にミスマッチということかもしれない.これとは別に政治家や政策決定者に合理的に割り引くことへのディスインセンティブがあると思うか
  • (ヴェンカタラマン)9.11の後でグラウンドゼロに立ったジュリアーニ知事には大きな支持が集まった.つまり前もって事故を防ぐより,事故が起こってから対処する方が政治家には有利なのだ.前もって防ぐことに成功しても過剰反応をしたように見られてしまう.もう1つ政治家の支持が投票直前の経済状況に左右されるのもおかしなインセンティブになっているだろう.その基礎を作った政治家こそが評価されるべきだ.この点ではアフリカの某国で面白い提案がなされている.大統領には,退職するときに,国をどう導いたか,腐敗に陥らなかったかなどで評価して褒賞を出すべきだというのだ.再選されるかどうかだけということよりも良い仕組みだろう.
  • (ピンカー)アメリカも取り入れるべきかもしれませんね.ところでこれについてメディアの役割があるのではないか.メディアは常に恐ろしい出来事だけを取り上げ,地道に世界が良くなったことを報道しない.
  • (ヴェンカタラマン)できることはあると思う.まず世界をよくしたことについてもそれを推進した人のプロフィールを報道すれば世間は興味を持つだろう.また振り返りの記事ももっと出すべきだろう.
  • (ピンカー)恐ろしい予測を出して,今行動しなければと訴える方法もあるが,やり過ぎるとどうせダメだと何もしなくなるだろう.片方で楽観的なことばかり報道しても人々は安心して何もしなくなる.このトレードオフについてはどう思うか.
  • (ヴェンカタラマン)私のリサーチによると,差し迫ったリアルな危機には恐ろしい予測を行って人々を促す方がいいが,気候変動のような長期的に取り組まなければならない問題には,ポジティブに「問題は解決できる」と訴えるのが効くようだ

 
 

ここから2人目のゲストレクチャラーの登場になる.

  • (ピンカー)ここからは2人目のレクチャラー.アダム・ブレイに登場してもらう.彼はシドニー出身のハーバードの認知科学のポスドクで,今日はオーストラリアから「プロスペクション」についてレクチャーしてもらうことにした.ここでのプロスペクションとは将来の状況をビジュアライズする認知プロセスを指す.

 

ブレイの講義

  • 将来の状況を予測するのはヒト特有の認知能力のようだ.これはかなり古くから行われている.考古資料によると古代ギリシアで日食を予測するための精密な機器が開発されていたことがわかっている.またエレクトゥス時代のハンドアックスを見ると,これを作るには全体的プランとコンティンジェンシープランが必要なことがわかる
  • 予測の基礎は何か.それは排他的な複数の確率事象への準備ということになる.1本のチューブが二股に分かれていて上からお菓子を落とすとする.4歳児は両方の出口に手を出す.彼女はどちらに来るかわからないことが理解できている.しかし2~3歳児は片方の出口にしか手を出さない.チンパンジーもそうだ.もちろん訓練すれば両方に手を出すようになるが,それは予測とは別の話だ.

 

  • では脳内ではどうなっているか.調べると将来予測と過去の想起では同じ脳内コアネットワークが活性化している.その部分に損傷を受け,記憶障害を起こすと,将来のことを聞かれても何も浮かばなくなる.つまり記憶は将来のためにあるのだ.
  • ではどのように将来を扱うのか.今すぐの小さい報酬か後の大きい報酬かという場面は多い.これは行動経済学的に説明できるだろうか.
  • そしてリサーチによるとヒトは将来価値の割引を双曲的に行うことがわかっている. 割引の傾きは個人や状況により変わるが指数的ではない.ここで面白いのは,ヒトは自分の割引が双曲的であることをわかっていて,自分の選好が将来に逆転すること自体を予測できると言うことだ.つまり状況の予測だけでなく自分の認知状態も予測できるのだ.これがヒトがプリコミット戦略をとれる理由になる.

 

  • そしてこれは行動経済学的な「奇妙な現象」を生む.
  • ヒトはとびきりのワインを今すぐ飲まずに大事にとっておく,つまり楽しみを将来にとっておくことがある.これは楽しみを予測すること自体を楽しんでいるからだ.また歯医者に行くようにもっとひどいことになる前に嫌なことをさっさと済ませることもできる.これは将来のひどい痛みを予測するからで,その予測自体を怖がっているのだ.これは双曲カーブの傾きを下げる効果がある.
  • そしてこれはいわゆる「自制」と同じではない.それは状況により変化することからわかる.例えばマシュマロテストでは子どもは実験者の(約束を守る)信頼性に応じて待つ時間を変える.また世界各国のマシュマロテスト自制時間はその国の平均寿命と強く相関している.これも状況の不確実性に応じて双曲割引の傾きを変えているからだ.

 

  • 予測自体の価値が絡む現象はほかにもある.例えばヒトは(あのとき刹那的に楽しんでおけばよかったと)自分が後悔すること自体を予測する.これは,今すぐ消費することへの正当化理由になる.そして意図的な見せびらかしを生むだろう
  • つまりこれまで短慮で衝動的と思われていたことも,実は非常に熟慮の上の「衝動性」かもしれないのだ.

 

  • もう1つ,この熟慮は報酬の大小によって双曲割引の傾きが変わることを説明する.実際の意思決定には大きなペイオフがかかる.これまで科学者は少額の報酬でこの割引現象を測ってきたが,非合理性を過大評価してきたのかもしれない.

 
ブレイの話は面白かった.ただ「後になって後悔するのがいや」というのは,だから今お菓子という方向にも,将来のスリムさという方向にも,どっちにも働くだろう.なかなか複雑な話だ.
 
双曲割引についてはこの本が面白かった.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20071123/1195786689

 
双曲割引についての私のノートはhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20071123/1195786690