双曲割引の進化的な説明について

誘惑される意志 人はなぜ自滅的行動をするのか

誘惑される意志 人はなぜ自滅的行動をするのか


本書「誘惑される意志」を読んで,双曲割引の適応的説明についていろいろ考えたのでちょっとノートしておこう.


私のような読者からはなぜヒトのみならず鳥類や他の哺乳類まで双曲的に価値を割り引いているかの進化的な説明がもっとも気になるところだ.本書ではここについて,(1)指数的な割引より双曲的な割引の方が血縁淘汰的に有利になるからという説と,(2)脊椎動物の認知ツールの副産物説 の2つが紹介されているのみで物足りない.


まず(1)についてだが個体のみでは指数割引の方が合理的だが,血縁淘汰があるために双曲の方が良いとは考えにくい.特に異時点以外では血縁淘汰が有利であればそういう行動がいとも簡単に進化しているのに対してまったく説得力がないと思う.また例えば100年後に子孫に何らかの利益があるという場合,むしろ指数的な割引の方が,自分の死後の子孫の利益をより考慮可能になるのではないだろうか.


また(2)副産物説だが,なぜよりメリットの大きいと仮定される指数割引が進化しなかったのかの説明理由がないと意味がないように思う.というよりそれこそが説明を求められている問題だろう.例えば適応地形的な制約などについて詰めていくべきことになるだろう.(解説で訳者の山形氏は回路設計が簡単で実装しやすいという説を出している.これは意訳すると指数割引回路は実装可能だが,その合理的な行動によるメリットよりも実装コストの方が高いという考え(それもまた考えにくいように思う)か,もしくはそのような回路はなんらかの理由により実装できなかったという考えということになるだろう.後者であれば認知ツールの副産物説とほぼ同意だと思う)


私としては,双曲割引を進化的に説明するなら別の仮説を考慮したいところだ.


まず実験で明らかになっているのは,一定に割引率を持つ指数関数に対して,遠い将来になるほど割引率が大きくなるという割引率の変化の問題だ.要するに割引率を変化させた方が適応的であればよい.


最初に考えられるのは死亡率は時間とともに変化するということだ.近い将来の死亡率はそれほど大きくないが,だんだん死亡率が高くなるのであれば双曲的な割引の方が合理的になる.100年先の利益は非常に小さく評価した方が良いのはこのためだ.もっともヒトについて15歳以上であればこういう傾向はあるかもしれないが,幼児死亡率が高いので年齢が若いうちは逆になるだろう.また数週間や数ヶ月の時間ではあまり大きく現れないだろう.だからおそらくこれでは説明できない.


ありそうなのは,個人の効用の評価関数が不安定だということだ.今欲しいものは明日には欲しくないかもしれない.2年後ならなおさらだ.この評価期待値の低減率が時間に対して一定でなく,ある条件が満たされているうちは小さく,何らかの事情が生じて必要でなくなると急に大きくなるのであれば双曲割引の方が合理的だろう.


もうひとつ考えられるのは,将来に入手が確実だということは動物でもヒトの農業以前の環境でもあまりなかったであろうということだ.入手確率は一定割合で逓減するのではなく(それなら指数的に割り引くべき)ある条件の満たされているうちは低減率が低く,どこかで(嵐があったり,別の誰かに食べられたりして)急に入手確率が低くなる状況が多かったのかもしれない.


いずれにせよ検証は難しいだろうが,興味深い論点のように思う.