From Darwin to Derrida その62

 
 

第8章 自身とは何か その2

 
道徳感情についてのアダム・スミスの洞察とダーウィンの洞察を扱う第8章はここから本題になる.ところどころにスミスの「道徳感情論」からの引用がある.
  

行動のガイド

この世のありとあらゆるところで,動物や植物のメカニズムにおいて,私たちは最高の技巧で手段が目的に合わせられているのを見る.そして自然の2つの偉大な目的,すなわち個体の自活と種の繁栄にむけていかにうまく工夫されているかについて賞賛するほかない.
・・・私たちは身体について考えるときにはこの手段と目的を混同することはないが,精神について考えるときにはこの2つを混同しがちだ.洗練された理性が設定したかのようにみえる目的に向かって私たちが自然の法則に沿って進んでいるとき,私たちはその理性こそが目的に向かう効率的な原因,すなわち感情や行動をつくるのであり,それは人類の叡智だと考えてしまいがちだ.しかし実際にはそれは神の叡智なのだ.

アダム・スミス 「道徳感情論」

The Theory of Moral Sentiment : 6th edition (English Edition)

The Theory of Moral Sentiment : 6th edition (English Edition)

  • 作者:Smith, Adam
  • 発売日: 2020/05/14
  • メディア: Kindle版
 

  • スミスはここで因果の説明の2つのレベルを認識している.私たちにとっての理由(reason)とこのような理由が存在することの理由だ.この部分でスミスが議論しているのは道徳則を破ったものに対する処罰を賞賛する感情の起源だ.
  • スミスの考えでは,私たちが罰したり罰を賞賛したりするのは,社会全体にとっての罰の有用性に対する合理的な熟考の結果ではなく,加害者に対する憤りからだということになる.しかしながら私たちの憤りは,社会の目的のためにうまく工夫された効率的な手段になっている.私たちは感情により動くが,そもそも私たちが感情を持つのは社会のためだということになる.
  • スミスは目的因(final cause)を神の叡智においている.これは自然神学へのオーソドックスなアピールかもしれないが,彼の目的因についての存在論的なスタンスは明確ではない.彼は明晰にしたい部分は極めて明晰に書いている.神学的な問題についてぼかしているのは意図的なのだろう.
  • 100年後ダーウィンは自然に現れる目的因について自然主義的な説明を与えた.生物個体は変異し,その一部は生存競争に有利に働き,そのような特徴を持つ子孫が増える.結果として,変異の効果はそれが次世代により広まることの原因となるのだ.
  • ダーウィンの遺伝物質についての理解は未成熟だった.彼は自然淘汰の受益者として個体を,そして(時に)部族までを認めていたようだ.これは今日も生物学の哲学で論争中であり,ヒートアップは物質的なレベルではなく意味論のところで生じている.遺伝子中心主義から見れば,遺伝子の機能(あるいは目的)は,(次世代以降の)遺伝子の保持と繁栄の原因となる表現型効果になる.

 
スミスの洞察が18世紀としては非常に深いところにあることがわかって面白い.道徳的な感情は理性的な熟考によるものではないことをまず理解し.それではその道徳感情はなぜあるのかを考える.スミスはその存在理由を神の叡智としているが,ヘイグの読みでは無神論的に論じるのは政治的にいろいろまずいのでそうぼかしているのだろうということになる.いずれにせよスミスは罰を与えたいという道徳感情は「個体の自活と種の繁栄」(the support of the individual, and the propagation of the species)の目的に沿うように実装されていると考えていたということになる.
ヘイグはここに「種の繁栄」が入っていることについても遺伝子中心主義的視点から少しコメントしている.スミスについてはそもそも進化概念の成立より前の話だから是非を論じても仕方がないが,ある意味「種の繁栄のため」というのがフォルク心理的に浮かびやすい発想だということを表しているようでもある.「『種の保存』のために進化する」というよくある誤解がなぜこうまでしぶといかの理由の1つでもあるだろう.