From Darwin to Derrida その97

 

第10章 同じと違い その6

 
相同をめぐるヘイグの考察.カートミル論文では総合をきちんと定義するにはそれを遺伝子のコピーに求めるほかなく,形態的な定義は循環定義になってしまうと指摘されていた.ヘイグは基本的にこの立場に立つ.
ここで形態的相同を救い出そうとするのがワグナーの大著「相同,遺伝子,進化イノベーション」になる.本章はここからこの本に対する批判的な書評となっていく.
  

 
このグンター・ワグナーの本は読んでいないが,いかにもドイツ観念論の系譜に連なるような議論が展開されているようだ.
 

特徴と状態

 

  • 相同の定義を「すべての多様な形態における同じ器官」とすることの問題点は,どのような器官が「同じ器官」でどのような器官が「別の器官」であるかの明確な基準がないことだ.この問題は原型を共通祖先に置き換えても解決しなかった.そしてそれは「形態が直接伝わる」という信念を「形態決定要因が遺伝する」という信念に置き換えても解決しなかった.

 

  • ワグナーの「相同,遺伝子,進化イノベーション(Homology, Genes, and Evolutionary Innovation 2014)」は,「形態的相同」を自然種として救い出そうとする大胆な試みの書だ.私はこの本の詳細な書評を書くように頼まれ,それが本エッセイ(第10章)の元になっている.
  • 私のレビューは,キュビエの流れに連なる機能主義者たちとジョフロイの流れに連なる構造主義者たちのコンセンサスエリアを探り,彼等がどのように同じ物事を異なる視点から見て,それを異なる言葉を用いて描写しているのかを見極めようとするものだった.

 

  • ワグナーは構造主義者と機能主義者の考え方の違いを探った.機能主義者たちは生物の特徴をその適応価から説明しようとし,構造主義者たちはそれを構造的制約と可能性から説明しようとしているのではないかとワグナーは見る.
  • そしてワグナーは,この問題を解決するためにしばしばコンフリクトが表面化するある現象.つまり「相同」を考察しようと提案する.その核心は「そもそも相同なる現象はあるのか,それは世界の物事にある自然メンバー(natural members of the ‘furniture of the world’ )なのか,それとも系統的過去のつかの間の痕跡(transient traces of the phylogenetic past)に過ぎないのか」という問いにある.もし後者なら相同には生物学的概念的因果的な重要性はないことになる.もし前者なら相同は進化理論の概念の中で中心的な役割を負うことになる.ワグナーの議論は重要性があるという結論に傾いている.

 
ワグナーの議論はその大枠からしてなかなか難解だ.生物の特徴は様々なトレードオフと制約の中での最適を探るものであり,「適応か制約か」という二元論で考えること自体そもそもピントがずれている気がする.次にその(ピント外れの問題を)解決する鍵は「相同にあるという.さらにその相同が自然種として実在するなら,それは進化理論の中心になるという.なぜ実在することが,それが重要であることの論拠になるのだろうか.いかにも筋悪な議論が予想される.とりあえずヘイグの裁きを見ていくことにしよう.