書評 「進化の技法」

 
 
本書はティクターリクの発見で有名な古生物学者ニール・シュービンによる生物の革新的形質がどのように進化していくのかを,用途の転用,発生メカニズムと進化拘束,DNA配列,遺伝子の振る舞いなどから詳しく解説した一冊になる.所々で自伝的な回想もあって楽しく読める.原題は「Some Assembly Required: Docoding Four Billion Years of Life, from Ancient Fossils to DNA」
 

第1章 ダーウィンの5文字の言葉

 
若き日のシュービンは,「魚類から両生類への進化」を進化史上最大の難問のひとつだと考え,自分の研究テーマに選ぶ.ここでシュービンは魚類から両生類に進化して陸上に上がるためには機能的に絡み合った何百もの発明が必要であることを指摘する.これらが一斉に進化することは可能なのかが問題になる.そしてここから抜け出す鍵は「何事も私たちが始まったと思ったときに始まっているわけではない」と示唆する.これが本書を貫くテーマとなるのだ.
 
ここからシュービンはこの謎をめぐる進化学説史を解説する.ダーウィンの「種の起源」の自然淘汰による漸進的な変化の累積という議論に対してマイバートは反論をまとめる.その中心的な議論は進化の初期段階は有用ではないのではないかというものと全身の緒器官の特徴が一斉に変化することは説明できないのではないかというものだ.ダーウィンは種の起源の第6版でマイバートの批判に対して反論をしている.この中でダーウィンは「諸々の特徴の漸進的な変化には,往々にして機能の変化が伴う」と主張している.この「機能の変化」が章題の5文字というわけだ.
 
ここで物語は肺魚の発見に移る.ナポレオンのエジプト遠征に同行したサン=ティレールは肺魚を発見し,西洋の科学に紹介した.アメリカ自然史博物館のディーンは肺魚の発生を研究し,発生の途中で肺と浮き袋が基本的に同じ器官であることを発見した.これは浮き袋を作る遺伝子群と肺を作るのに使われている遺伝子群が基本的に同じであり,一部の魚はそれを呼吸に,一部の魚はそれを浮力装置として使うようになっているのだ.つまり魚は動物が陸上に進出する前から肺で空気呼吸していたことになる.これはダーウィンのいう「機能の変化」そのものだ.
次の物語は鳥類の羽毛.アーケオプテリスク化石の発見,恐竜起源説論争,ノプシャの先見性,オストロムのデイノニクス研究,羽毛恐竜化石の発見*1と話が進む.羽毛恐竜の存在は(空を飛ばなかった)恐竜にとって羽毛は(飛翔ではなく)ディスプレイか断熱材の役割を果たしていたことを意味する.シュービンは生物の身体に生じる発明はそれが関与する大進化のさなかに起きるわけではなく,古来の器官が新たな用途に転用されることによって起こるのだとまとめている.
 

第2章 発生学の胎動

 
第2章は発生学がテーマとなる.
物語はサンショウウオの謎から始まる.19世紀の動物学者デュリメルがメキシコから送られてきた成体が水中で暮らすサンショウウオを繁殖させてみたところ,水棲と陸棲の2タイプが発現した.

ここで話はいったん発生学史に移る.シャルル・ボネのホムンクルス説を振ったあとにベーアとパンダーのニワトリの胚発生の観察を解説する.これは三胚葉の認識と既知のすべての動物種で三胚葉の運命に共通性があることの発見につながった.そしてヘッケルが登場し,多様な種の胚発生の緒段階を記載して図示し,反復説(個体発生は系統発生を繰り返す)を唱える*2.ヘッケルの考えは誤っていたが,無数の研究者の研究の道しるべになる.

ここで話はデュリメルのサンショウウオに戻る.このメキシコのサンショウウオ(アホロートル)は通常であれば水棲の成体になるが,乾燥した環境で育つ*3と陸棲の成体になるのだ.これを知った反復説を嫌っていたガースタングは「発生のタイミングに小さな変化が生じると生物の進化に多大な影響が及びうる」という原則を提唱した*4.その後の研究者たちは発生のタイミングの変化により進化が起きる際の様々な仕組みを調べ,その遺伝子や引き金になるホルモンを探した.このようなアプローチは「ヘテクロニー(異時性)*5」と呼ばれるようになった.
そのような流れの中でアドルフ・ネフは本質論に基づく「観念論的形態学」の理論を提唱した.この理論はおおかた忘れらたが,チンパンジーの新生児とヒトの類似性を協調した図は多くの研究者に強い印象を与え,ヒトのネオテニー説につながった.片方でダーシー・トムソンは生物の形を単純な図や数式に落とし込む試みを行い,種の形の違いの多くは相対成長の違いとして説明できることを示した.またジュリア・プラットは胚の精密な観察から発生過程において少数の細胞が胚葉間を移動することを見いだした.これは新たな構造が出現する仕組みを理解する上で非常に重要な発見だった.まず発生のタイミングが変わり,そして新たな種類の細胞が出現すれば新たなボディプランが出現しうるのだ.
 

第3章 ゲノムに宿るマエストロ

 
第3章は分子生物学革命.
ワトソンとクリックによる二重らせんの発見,ポーリングと出会ったツッカーカンドルによるタンパク質同士の類似度の測定法の開発,それを用いた生物種同士の近縁度の推測法,アラン・ウィルソンによるヒトと類人猿の系統関係の推定,ヒトゲノムの解読,ジャコブとモノーによるゲノムの遺伝子制御領域の発見がまず語られる.
ここから,遺伝子発現制御の仕組みの話になる.まずソニックヘッジホッグ遺伝子の発見とその遺伝子の制御領域の発見が語られる.そして生物の進化に貢献する変異には新しいタンパク質を作る変異と制御スイッチの変異の2種類が考えられることが説明されている.
 

第4章 美しき怪物

 
第4章は遺伝子重複がテーマだ.重複は相同構造を生み,機能を多様化させ,そしてゲノムには反復配列をもたらすパラサイトが潜む.
18世紀のフランスの医師ダジールはヒトの腕と脚の骨格および筋肉に構造の類似性があることに気づいた.19世紀に入りオーウェンはこの発想を押し広げ,四肢だけでなく全身の骨格に,ヒトだけでなくすべての動物の骨格に当てはめた.そして20世紀に入りブリッジズはショウジョウバエの唾液染色体を観察し遺伝子重複の跡を発見した.大野乾は染色体の写真の切り抜きを使って各種動物の遺伝物質の量を調べ,各種の哺乳類ではほぼ同じ量だがサンショウウオでは極端に多いことを見いだし,ジャンク配列と遺伝子重複概念を提唱した.そして遺伝子重複が大進化の主要な要因ではないかと考えた.

続いてシュービンは,様々な遺伝子の重複の例を挙げていく.ヒトのケラチン遺伝子ファミリーは重複により爪,皮膚,髪の毛それぞれのケラチンを作る.視覚のオプシン遺伝子も嗅覚受容体遺伝子も同様だ.そしてハエのバイソラックス遺伝子群もマウスのHox遺伝子群も重複の産物だ.そしてヒトの大きな脳の形成において重要な役割を果たすNOTCH2NL遺伝子は霊長類の祖先が持っていたNOTCH遺伝子が重複して生まれたものになる.
ここからシュービンはゲノムに反復配列を大量にもたらす利己的遺伝子に話を進める.ロイ・ブリテンはゲノムがどう構成されているかを調べ,ヒトゲノム全体の2/3以上が機能がわからない(コピーの結果生じたと思われる)反復配列からなっていることを見いだした.そしてマクリントックはトウモロコシの実の斑入りを使って跳躍遺伝子を発見する.マクリントックの発表は数十年間軽視されていたが,1970年代以降細菌や哺乳類にも跳躍遺伝子があることが次々に解明され,さらにヒトゲノムの70%が跳躍遺伝子に乗っ取られていることがわかった.ゲノムには利己的遺伝子でありパラサイトである跳躍遺伝子がはびこり,残りの宿主遺伝子がそれを抑制しようとする絶え間ない闘争の場なのだ.そしてそれによる撹乱が進化に影響を与える.
 

第5章 私たちの内なる戦場

第5章は多数の遺伝子発現制御の同時変化について.
この章はシュービンによる大学院生時代の思い出から始まる.1980年代にハーバードの院生だったシュービンは毎木曜日に比較動物博物館の広大な標本庫で当時80歳のエルンスト・マイアとお茶をしていた.毎回何か質問を考え,それに関する文献を読み込んでからマイアに会って,各学説や提唱者についての回想を聞いていたのだ.そしてあるときゴルトシュミットの本を抱えていくとマイアの顔色が変わる.進化の現代的総合の立て役者マイアの「有望な怪物説」への怒りは35年の時を経てなお収まってはいなかったのだ.フィッシャーの定式化した統合では大きな変化の方が有害になりやすいことが自明の前提とされていたからだ.
 
問題は「大進化がどのようにして起きるのか」ということだった.ゴルトシュミットそのままの「有望な怪物」はあり得ないとしても新しい組織が進化するには何百もの遺伝子が一斉に変化しなければならない.それはどのように起きるのか.
ヴィンセント・リンチはこの問題を脱落膜間質細胞を使って解こうとした.脱落膜間質細胞とは子宮内で胎児と母体の間に入り母親の免疫反応を防ぎ栄養を送り届ける役割を果たす細胞であり,哺乳類の誕生には不可欠のものだ.調べるとこの細胞の誕生には数百個の遺伝子が関与し,プロゲステロンに反応して発現していることがわかった.さらに調べるとそれらの遺伝子の制御をオンにするスイッチには共通の単純な配列があった.これは跳躍遺伝子がかかわっているサインだ.つまり1つの跳躍遺伝子に1回変異が起きて通常の配列がプロゲステロンに応答するスイッチになればいいのだ.跳躍遺伝子は究極の利己的遺伝子だが,それが宿主にとって有用な大変革を可能にすることもあるということになる.
さらに胎盤で有用な役割を果たすシンチシンというタンパク質の遺伝子がウイルス起源であることもわかった.そして多くの哺乳類のシンチシン遺伝子を比較したところ,これは単系統ではなく霊長類や齧歯類や他の哺乳類でそれぞれ別のウイルスから獲得していることもわかった.同じようなウイルス起源の有用遺伝子には記憶に関連するArc遺伝子がある.
シュービンは本章の最後に,実はマイアはゴルトシュミットの遺伝学や発生学の実験と生命史を結びつけようとする姿勢についてはしぶしぶ認めていて,若手に「分子生物学を勉強しておけ」と発破をかけていたという逸話をおいている.
 

第7章 重りの仕込まれたサイコロ

 
第7章は発生過程から生まれる拘束について.
ここはグールドの思い出から始まる.シュービンはハーバードの大学院最終年のころ講義助手のバイトをしていたのだが,その講義はグールドによる大人気の生命史の講義だった.その講義は自然科学を専攻しそうにない学生のための一般教養のような科目で,グールドは(いわば素人相手に)自身の新しい理論や発表方法を試していたようだった.当時のグールドは大絶滅に関心を持ち,白亜紀末の隕石衝突説を支持し,生命史は偶然的な事件の産物であり,もう一度どこかからやり直しても同じ結果にはならないだろうと考えて,講義を下敷きに「ワンダフルライフ」を書き上げた.シュービンは最新の科学はこの結論を必ずしも支持しないとする.
ここから話は19世紀に戻る.ランケスターは寄生生物に退化的な特徴がしばしば見られることを見いだし,似たような寄生を行う生物には似たような退化が生じると論じた.実際に同じような退化の例は多い.シュービンはヘビのように四肢を失う退化がミミズトカゲやアシナシイモリにも生じている例を挙げている.
次に登場するのは獲物を捕るための舌を撃ち出す陸棲型のサンショウウオだ.多くの種はオトガイ舌筋を用いて舌を撃ち出すが,特に超高速で撃ち出すサンショウウオは,オトガイ舌筋を消失させ.エラの一部を変化させて発射体型の舌を作り,別の筋肉群が舌をつまんでスイカの種のように撃ち出す.そして分子系統樹は複数のこの超高速型のサンショウウオが互いに近縁ではなく,同じ発射の仕組みを独立に獲得していることを明らかにした.このような多発的な進化はどのようにして生じたのか.この発射型の舌を持つサンショウウオには共通点があった.どれも肺や幼生段階をもたない.それにより不要となったエラの骨の転用が容易になったと思われる.
ここでシュービンは収斂には2種類あるのだと主張する.1つは解決法が限られている場合だ.羽ばたき飛行するには翼が必要だ.だから鳥やコウモリや翼竜は似たような翼を獲得したが,構造はかなり異なる.もう1つは集団内の多様性に制限があり,変異としてあるデザインが出現しやすい場合だ.
そしてここからシュービン自身による後者の収斂の研究が紹介される.シュービンはカリフォルニアの寒波で大量凍死したサンショウウオの標本を手に入れ,肢の骨の変異に方向性があるかどうかを調べる.結果,多様性はランダムではなく(指は増えるより失われやすく,どの指が失われやすいかやどの骨が融合しやすいかに偏りがある),その偏りは発生過程と関連していることが明らかになる.つまり進化は発生過程に内在する制約の影響を受けるのであり,偶然だけでは決まらないということになる.
 

第8章 生命のM&A

 
第8章では寄生や共生による発明の盗用と転用.
まずリン・マーギュリスの真核生物の細胞内共生説が紹介され,そこから生命史が語られる.生命の起源,原核単細胞生物,それがいくつかのタイプに分かれ,タイプ間で発明が拝借されたり盗用されたりし,それらの組み合わせや転用によって新しい機能が生まれる.特に代謝のよい酸素消費型細胞との共生における真核生物革新が重要で,それにより多細胞生物への扉が開かれたのだ.
そしてその橋渡しとなった(単細胞生物であるが群体を形成することもある)襟鞭毛虫類を調べると,すでに多細胞生物において重要な身体作りのためのタンパク質(コラーゲン,カドヘリンなど)の多くがそこに備わっていることがわかる.これらは多細胞生物になって転用されたのだ.シュービンは形質はある種に生じたものが寄生や共生を通じて別の種に盗用され,改変され,転用され,新しい可能性を生み,進化の道を開くのだとまとめている.そして最後に細菌の対ウイルス防御機構からCRISPER-Cas9技術が開発された経緯を紹介し,これも細菌の発明をヒトが転用した例であり,新たな組み合わせが世界を変えることができるのだとして本書を終えている.
 
 
本書は大進化がどのように生じるのかに関して最近わかってきたことについて一般向けに書かれた本だ.ダーウィンや現代的総合のフィッシャーやマイアの時代には(当時よくわかっていなかった遺伝や発生をブラックボックスとし)「全方向にランダムで小さな変異が常に生まれる」という単純な前提をおいて自然淘汰を論じるしかなかった.しかし現在では遺伝子や発生の仕組みがかなりわかってきたことで,興味深い様々な仕組みが介在していることが日々明らかになっている.それをあまり難解にならないように,そして興味深いエピソードを絡めて読者の興味をつなぎながらうまく解説されている.(同じ古生物学者の)グールドのように「通説は間違っていて私が正しい」などと騒がず*6に,これまでわかっていなかったことが明らかになりこの学問はエキサイティングになっているということを淡々と描写するいい本だと思う.
 
 
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原書

*1:ここでは1997年のニューヨークの古脊椎動物学会で羽毛恐竜化石の写真が公開されたとき,コーヒーブレイクでオストロムが発表以来30年も物議を醸してきた自説の正しさがついに証明されたことに感極まって嗚咽していたというシュービン自身の目撃談が書かれている.当時のオストロム自身の談話は「写真を見た途端,文字通りひざから崩れ落ちてしまった」と伝わっているそうだ

*2:ここではスコットの南極探検はもともとコウテイペンギンの卵を得てその胚発生を観察するために企画されたというエピソードも紹介されている.彼等の探検はスコット隊長だけでなく多くの隊員の命を奪った.そしてその命と引き換えにようやく得られた卵についてロンドンの自然史博物館は冷淡だったそうだ.探検終了までにヘッケルの反復説の評判は大幅に下がっていたのだ

*3:現在では甲状腺ホルモンの血中濃度がシグナルになっていることがわかっているそうだ

*4:ガースタングはその視点からホヤと脊椎動物の関係を調べた.脊椎動物がホヤ似の祖先が発生を早めに停止したものだというガースタング説も詳しく解説されている

*5:通常「ヘテクロニー」は子孫種において祖先種と発生や成長の速度や量やタイミングが異なることを意味するが,ここでシュービンはアプローチの名前として扱っている

*6:シュービンは本書において,(グールドの思い出を語っておきながら)いかにも本書のテーマと関連しそうな「断続平衡」にも「外適応」にもいっさい言及していない.敢えて死者を鞭打つようなことはしないが,そういう評価だということだと思う