From Darwin to Derrida その113

 
 

第11章 正しき理由のために戦う その7

 
表現型と遺伝型の再帰的な因果関係の説明には形成因が重要になるというヘイグの議論.レトロトランスポゾンを定義するにはその配列が持つ意味が必要であることを指摘し,そしてDNA配列が持つ「情報」の側面に読者の注意を向けた.ここでシャノンの情報理論が登場する.
 
  

形相因と情報 その2

 

  • シャノンは,情報を「あるメッセージを受け取ることによる(他のメッセージの場合と比べた相対的な)不確かさの減少」として定量化した.可能なメッセージが多いと不確かさはより減少する.多分もっといい定式化は,あるものを観察したある解釈者にとっての(別のものを観察したときと比べた)不確かさの減少というものだっただろう.解釈者は可能な観察の可能な解釈のセットの中からある解釈を選ぶために観察を使う.この情報には意図とともに送られたメッセージだけではなく,解釈者による背景や隠されたものの観察も含まれる.

 
まずヘイグはシャノンの定義には明示的に現れない「解釈者」を持ち出す.あるメッセージに含まれる情報量は解釈者によって異なりうるということを前提にしている.そう考えた方が遺伝情報を扱いやすいということだ.ここからそれが具体的に説明される.
 

  • ヒトゲノムには3.2ギガベースの2ビット情報(4つの塩基のどれか)が含まれている.だからヒトゲノムの情報量は3.2ギガベースのすべての可能な配列と比較した6.4ギガビットということになる.これが事前知識がない観測者にとってある配列が与えられたときの不確かさの減少量ということになる.すべての可能な3.2ギガベース配列は同じ情報量を持っているが,ほとんどの配列は意味を解釈できない.これまで存在したゲノムはその中の極くわずかな一部に過ぎない.
  • あるヒトゲノムについての別のシャノン情報量の測り方は,すべての現存のヒトゲノム,あるいは過去存在したすべてのヒトゲノムに対してというものになる.シャノン情報量は受信者の背景知識により変わってくるのだ.

 
ここから遺伝情報が持つ特別な「意味」が扱われる.それはアミノ酸配列であり,さらにそのタンパク質の機能が,また場合によっては進化史,集団規模,淘汰の有無が問題になる.つまり意味は観察者の目的によって異なることになる.
 

  • 情報と意味は別だ.DNA配列は情報を持ち,それは特定のやり方で調べられてはじめて意味を持つ.観測者は,未知のタンパク質のアミノ酸配列を,あるいは患者の遺伝的疾病の原因を知ろうとするだろう.私たちがヒントをうまく読めればゲノムから進化史の証拠を得ることができる.もしある個人がベニン型の鎌型赤血球Sハプロタイプを持っていれば,私たちは彼あるいは彼女が西アフリカ起源の祖先を持っていると推測することができる.配列を比較することにより別の推測もできる.私たちは配列を比較して,系統樹,分岐時間,集団規模,淘汰の有無を推測できる.
  • 情報は,それがある「目的」に沿って使われたときに「解釈者」にとっての意味を持つのだ.解釈過程の至近的な目的は情報の解釈だ.ある情報のある事柄について解釈と別の事柄について解釈は異なる.それは解釈には「目的」があるからだ.ある解釈は何かに使うために行われる.しかし解釈のない変化も生じうる.この意味についての説明はC.S. ピアースの信念についての説明とパラレルだ.ピアースは信念・欲望・行動を「私たちの信念が欲望をガイドし,行動を形作る」と説明した.これは私の意味・目的・解釈についての考えに翻訳可能だ.ピアースにとっては信念は心の習慣でそれが行動をガイドする:「信念は直接私たちを行動させはしないが,状況によりある行動をせざるを得ないような条件に追い込むのだ」 言い換えれば,信念は隠れた情報であり,その意味は意図する目的を得るための条件的な行動に現れるということになる.

 

  • 意味は解釈の中にあるのであって,情報の中にあるわけではない.なぜなら同じ情報が異なる解釈者にとって異なる意味を持つからだ.送信者はある特定の解釈を期待し,メッセージを作る.しかし受信者がどのようにメッセージを解釈するかを決める.さらにその下流の解釈者はそもそも意図された以上の,あるいは以下の情報を受けとることになる.

 

  • シークエンサーが自動的に吐き出すDNA配列からテクニシャンがAではなくTを読み,胎児がヘモグロビンSタイプを持つと推測したときに,意味が抽出される.テクニシャンの目的は診断だ.同じDNA配列はRNAを経由してリボソームでβグロブリン鎖にグルタミン酸ではなくヴァリンを組み込むことを表している.リボソームの目的はタンパク質の合成だ.淘汰中立の一塩基多型は,疾病遺伝子を特定しようとしている遺伝学者たちにとって意味を持つが,そのゲノムを持つ生命体には意味を持たない.DNAがバクテリアに食われたときにはどんな意味も抽出されることはない.その表現(石版を読む)ではなく,物質(石を投げる)としてのみ利用するのは,情報の利用ではない.

 
ここでヘイグは「意味は情報の解釈から生まれ,それは解釈の目的によって異なる」ということを言い方と具体例を変えて何度か繰り返している.形相因そして目的因を擁護するためにはここが肝要ということだろう.