From Darwin to Derrida その112

 
 

第11章 正しき理由のために戦う その6

 
表現型と遺伝型が互いにその原因と結果になる再帰的に複雑な因果関係はどのように説明されるべきか.ヘイグはレトロトランスポゾンのDNA配列のの転写や翻訳の例を挙げ,配列のどの部分がレトロトランスポゾンなのかを決めるには,構造や配列だけからは無理で,その配列が持つ意味を考える必要があるのだと主張する.つまりレトロトランスポゾンを説明するには質料因や作用因だけではなく,目的因と形相因が必要だというのだ.そしてまず形相因を取り上げる.ポイントになるのは情報だ.
  

形相因と情報

 

  • もし生命の本質が世代を超えた経験の蓄積であるなら,(物理学者の目から見ると)生物学の重要な問題はどのように生物はその経験を記録し永続させているかということになるのではないだろうか

Max Delbrück A Physicist Looks at Biology(1949)

 
http://faculty.washington.edu/lynnhank/Delbruck.pdfhttp://faculty.washington.edu/lynnhank/Delbruck.pdf

 
デルブリュックはドイツの理論物理学だったが,ナチの台頭を受けてアメリカに移住し,そこで研究分野を遺伝学や生物物理学に乗り換えた*1.ここでの引用のポイントは生命体を情報の視点から眺めるということにあるのだろう.
ここでもヘイグは語源の蘊蓄から始めている.それによるともともとinformには(情報ではなく)形を与えるという意味があるのだそうだ,まさに形相因と関連する言葉だというわけだ.
 

  • 中世ラテン語の「informatio」は「鋳型」,あるいは「物質に形を与えること」を意味していた.たとえば「職人は粘土をinformした」「アングロノルマン語はinformされた」という用例がある.

 

  • informationのメタファーは現代生物学にあふれている.メタファーを使う人が皆アホだということはないから,メタファーの裏には意味があるに違いない.しかしその正確な意味を特定するのは難しい.マックス・デルブリュックは「不動の動者」「完璧なDNAの記述,それは活動し,形態と発達を作り出し,その過程により変化しない」と書いた.
  • それが何であれ「生物学的情報」はアリストテレスのeidos(形相)と同じような説明役割を負っている.

 
なかなか難解な言い回しだが,要するにDNA配列の情報はそれが生物の形や本質に与えるという説明役割を持つということだろう.
 

  • 情報とそれが格納されている物質の進化的な区別はしばしばなされてきた.それは複製子とヴィークル(ドーキンス)とされたり,情報とアヴァター(グリドンとグーヨン)とされたり,コードと物質ドメイン(ウィリアムズ)とされたりした.
  • そして私の区別は情報遺伝子と物質遺伝子だ.私の区別に従えば物質遺伝子は物理的物体だが,情報遺伝子は抽象的な配列(そして物質遺伝子を一時的なヴィークルとして使用している)だということになる.また以前には物質遺伝子を遺伝子トークン,情報遺伝子を遺伝子タイプとしても区別した(ただし後者はタイプを物質的なものとして解釈すると間違った定式化ということになる).センスDNA,アンチセンスDNA,RNA,タンパク質はすべて情報遺伝子を表しているが,同じ種類の分子から成っているわけではない.継続性は儚いアヴァターによる不滅のパターンの再帰的な表現によって保たれている.

 
そして遺伝子にはそのDNA配列にある抽象的な「情報」という捉え方とそれが格納されている二重らせんという分子構造を持つ「もの」としての捉え方がある,このあたりは本書の前半でもいろいろと議論されたところだ.そして転写や翻訳により伝わっていくのは(つまり再帰的な因果が関係するのは)情報としての遺伝子になる.

*1:戦前のドイツの理論物理学者で生物学への興味を示した人物としてはシュレジンガーが知られているが,デルブリュックの転向もシュレジンガーの影響をうけたものであるそうだ.