From Darwin to Derrida その136

 

第12章 意味をなすこと(Making Sense) その1

 
意図を扱う第12章では冒頭で以下の文が提示されている.

In principio erat finis

 
これは新約聖書ヨハネ伝にある「In principio erat verbum(はじめに言葉ありけり)」のverbum(言葉)をfinis(終わり,目的)に替えたものらしい.finisはここでは目的という意味で使っているのだろう.訳すなら「はじめに目的ありけり」ということになる.
ヘイグはここで「機械仕掛けに『解釈』ができるか」という議論から始めている. 
 

  • ある機械仕掛け(a mechanical device)がマッチを擦ると,ロウソクがともるか,爆発かのどちらかが起きる.どちらのシナリオにもマッチを擦ることと酸素が存在する.違いを作るのは水素の有無だ.より洗練された機械仕掛けは水素センサーの出力を条件として動く.水素を検知できなければマッチを擦る.検知すれば擦らない.
  • 最初の機械仕掛けは水素の存在を条件として爆発を起こすが,情報を利用しているわけではないから爆発を選んでいるわけではない.それは世界の条件(水素のあるなし)を結果(爆発のあるなし)に結びつける.
  • 2番目の機械仕掛けは水素がある時に「暗闇」を選ぶ.それは世界の条件(水素のあるなし)を自らの行動(擦るか擦らないか)に結びつける.それは水素の存在に対して「擦らない」という行動で,水素の非存在に対して「擦る」という行動で反応する.それは観察(情報)が特定の行動(意味)として解釈されるまで,非決定の状態にある.

 

  • 「違いを作る違い」における最初の「違い」は原因,違いを作るもの,独立変数であり,2番目の違いは効果,作られた違い,従属変数だ.
  • しかし2つ目の違いが1番目の違いの解釈かどうかは解釈者の進化的あるいはデザイン上の機能に依存する.最初の機械仕掛けは解釈しない.結果は単に生じるだけだ.2番目の機械仕掛けにとっての1つ目の違いは水素のあるなしという情報であり,2つ目の違いはマッチを擦るかどうかという意味だ.外側の観察者にとっては,水素のあるなし,擦られるか擦られないかは相互依存的あるいは冗長な情報になる.どちらももう片方から推測できる.

 
ヘイグは環境「情報」に対して何らかの「行動」を「選択」することを「解釈」と呼ぶ.(意味ではなく)「行動」と結びつくというのが日本語における「解釈」の語感とちょっとはなれているような気もするが,ここはそういう定義ということだろう.
 

  • なぜ私は2番目の機械仕掛けが「水素の存在」を「擦らないこと」の理由として「解釈する」と,そして最初の機械は「水素の存在」を「爆発」の理由として「解釈しない」と主張できるのだろうか.
  • 私の議論はルース・ミリカンが「適正機能:proper functions」と呼んだ議論を暗黙のうちに使っている.第1の機械仕掛けの適正機能はロウソクをともすことであり,爆発は意図しない結果だ.そして第2の機械仕掛けの適正機能はマッチを擦るかどうかについて情報を使うというものだ.

ミリカンはアメリカの科学哲学者で,ここでは「In defense of proper functions」という1989年の科学哲学の論文が参照されている.
https://www.jstor.org/stable/187875