From Darwin to Derrida その157

 

第12章 意味をなすこと(Making Sense) その22

 
ヘイグの第12章も大詰めに来た.直前には生物は再帰的な目的追求アトラクターであり,様々な揺らぎに抵抗する仕組みを持って違いを作る違いに集中するという議論を行った.そしてこれを有性生殖生物について展開する.

 

生命の意味

 

  • 生命とは永続的な再帰だ.かつて生じたことはまた生じる.しかし精子と卵子が融合すると,生まれ出ずる解釈者は何かしら新しいものになる.私たちの遺伝子は,すばやく移り変わる世界の中での選択に(現在の出来事の情報とあわせて)役立てるために,深い過去からの情報を伝える.接合子は片方の配偶子から(それがもつ2組ではなく)1組の情報のみを受けとる.それはチャンスだと考えることができる.母親と父親のゲノムからサンプルされる無数の組み合わせの中から1つだけを選択するというランダムな出来事が連鎖される.トランプのカード全体は古いものだが,そこから選び出されたそれぞれの手は新しい.配られる手は予測できないが,配られたその手でベストを尽くすことはできる.そうやってゲームが行われ,その後カードはシャッフルされる.

 
この減数分裂と組み替えによる遺伝子のシャッフルはドーキンスの利己的な遺伝子でも強調されているところだ.

 

  • 生命の意味は生きる生命そのものだ.あなたの身体はあなたの生命の解釈だ.デカルト流の心身二元論は,本来分離不可分な身体を,いったん選択がなされた後使われる道具(身体:res extensa)と選択に使われるテキスト(心:res cogitans)に分割するものだ.生命体が行動するとき,どの情報にどのように反応するかはその生命体の進化的発生的歴史に依存して決まる.生命体は彼自身の劇の中で,望まない要因をキャンセルし,競合するナラティブの中から望みのものを選び,主人公として意図を通そうとする.しかしこの自律的活動にもかかわらず,多くのアクターは,彼のコントロールできない要因,特に他のアクターたちの活動に影響され,無情な運命に翻弄される.

 
この前半部分はちょっと面白い.デカルトの心身二元論はもちろん物理的に誤りだが,意味論的には心と身体を違いを作る違いの選択主体とその道具として区分できるということになる.ここまでヘイグが自由意思についてデネットの引用などをして考察してきたのはこのあたりが絡むからだということになる.
 

  • 自己内省的生命体はより効果的な選択ができるように入力と出力を再配線するという内部的な変化で世界に対応する.そこではどの入力に反応してどの入力を無視すべきかの学習,過去の選択からのフィードバック,良い記憶が重要になる.非常に洗練されたそのような生命体は,他のアクターがどうなったかを観察し,両親などからの教示から学び,自己のゴール達成のための原則を選ぶ.これらの内部変化は,自身の人生の経験(人生の意味)の記憶を構成する.この繊細で深いプライベートなテキストは,自己解釈され,感覚からの入力とともに,過去からの遺伝的文化的テキストと融合する.それは敏感に反応し,原因となる(It is responsive and responsible).それは物質的な魂であり身体と同時に死ぬ.
  • 最初にはメカニズムがあった.物事はただ生じる.意味の起源は意図的な違いの作成の起源にある.選択は,観察の自由さ,意図的行動の広がりと深みとともにより自由になる.自由選択(a free choice)を理解するためには,解釈者の魂を理解する必要があるのだ.


そして違いを作る違いを選択する生命体を理解するには,その選択の性質を理解する必要があり,それは(生得的な選好メカニズムだけでなく)学習によるフィードバックを受けるものであり,それが進化産物である自由意思(解釈者の魂)だということになるのだろう.
 

  • In fine est principium.

 
この最後の一文の出典はよくわからなかった.ラテン語で「終わりは始まりである」というほどの意味であるようだ.ただ英語的にはprincipiumは「原理」という意味になり,finalは「終わり」とともに「目的」という意味もあるので,より深い意味を暗示する表現だろうと推測される.