書評 「ストーリーが世界を滅ぼす」

 
本書は進化的視点から文学を論じる著書を持つ英文学者であるジョナサン・ゴットシャルによる,物語*1がヒトの認知にとってどのような意味を持ち,それが現在の世界にどういう影響を与えているかを論じた本だ.あるいは「物語の闇の力」についての本といってもよいだろう.原題は「The Story Paradox: How Our Love of Storytelling Builds Societies and Tears them Down」
 

序章 物語の語り手を絶対に信用するな

 
序章では本書の大きなテーマが語られている.ヒトが会話するのは,それは相手を「なびかせる」ためだ.それは他人の心に影響を与えることであり,普通には説得で,時には操作ということになる.そして著者は「物語」こそが「なびかせる」ための最も強力な方法だと主張する.
だとすると物語の語り手を無条件に信用すべきではないということになるが,それは非常に難しい.著者はここで陰謀論を信じ込んだ男とその周りの悲劇を語り(これ自体が物語仕立てになっている),「物語に関わる脳」についての不穏な研究結果を紹介する.物語は教えたり学んだりするためのかけがえのない道具だが,それは他人を操作したり洗脳することにも使える.それはスターウォーズの世界におけるフォースに似ているのだ.
そして現在の世界はソーシャルメディアによりストーリーテリングのビッグバンを迎えている.それは私たちをそれぞれ異なる現実に閉じこめ社会を分断してしまう.本書はそれがどのようにして生じるのか,そしてそこから世界を救うことができるかが論じられることになる.
 

第1章 ストーリーテラーが世界を支配する

 
第1章ではヒトが物語にどう向きあっているか,そしてその結果どのようなことが生じているかの概要が描かれる.

  • ニールセンの調査によると平均的なアメリカ人はメディア消費に1日12時間(内テレビに4.5時間)使っている.私たちは人生の大部分を物語の消費に費やしている.でもそれはなぜだろうか.それは心が物語に適するように進化し,物語によって形成されるからだ.物語は情報を保存して伝承する手段として生まれた.私たちは物語を通して最も多く最もよく学ぶ.
  • 狩猟採集民の語り部は高い社会的地位を享受する.それは私たちも同じだ.私たちには優れた物語への飽くなき欲求があり,その語り手(作家,映画監督,俳優など)に報酬を惜しまない.
  • そして私たちはしばしばフィクションを現実のように受け取る.これは映像技術の進歩に対するミスマッチだけでは説明できない.私たちは文字情報でも口頭の語りでもフィクションを現実のように受け取る傾向がある.私たちの脳の深い部分は物語に教えられたことを捨て去れない*2.これは物語への移入(ナラティブ・トランスポーテーション)に関係する.私たちは物語の登場人物の目で人生を見ることができ,その立場に共感する.

 

  • 物語は「起きたことの説明」だ.そしてその中にはステレオタイプ化された構造を持つものがあり,本書ではこの「加工された物語」を扱う.この典型的な構造は「道徳的対立をベースとした主人公の苦闘であり,全てに意味がある」というものになっている.この加工された物語は意味を作り出す道具であり,個々の人間ばかりか文明を丸ごとなびかせる力を持つ.
  • そして数多くの物語がヒトの心の支配について競合しており,支配に成功するのは最も優れた,最もヒトの心を飛ばすことができる物語だけだ.
  • アメリカは現在リベラルと右派の分断にあるが,全体としてはここ数十年でよりリベラルの方向に動いてきた.私はこれはハリウッドのストーリーテラーの功績ではないかと考えている*3.同性愛への理解の最も優れた予測変数は「同性愛の友人や家族と接しているか」だという研究結果がある.アメリカ社会の同性愛に対する是認傾向の増加は同性愛者が登場するドラマの影響と考えられるだろう*4
  • 私たちが物語を追い求めるのは,(至近的には)それが自分の心の中の彷徨い(永遠に自我のナレーションが続きそうな感覚)から逃れてフロー状態に入れるからだ.物語は退屈な自分自身からの逃避でもあるのだ.これはある種のドラッグと同じ作用を持ち,私たちはストーリーテラーの支配下に置かれるのだ.

 
ゴットシャルトははっきり語っていないが,ヒトには特定の構成を持つ物語を好み,その世界に入り込むという心理特性があり,それは祖先環境における学習や社会関係の処理に有用な一種の適応として考えることができるということになるだろう.そして物語自体はヒトの心に入り込むことに競争している一種のミームであり,それに勝つのは「道徳的な対立をテーマに全ての意味があるような物語」だということになる.なお最後の至近的な説明は(その是非については判断できないが)ちょっと面白い.
 

第2章 ストーリーテリングという闇の芸術

 
第2章ではこの物語が持つ力の大きさ,その源泉は何かが論じられる.

  • プラトンは物語の危険性に気づき,理想的な都市国家のあり方を論じた「国家」において「詩人を追放せよ」と主張した.この「詩人」は全てのフィクション作り手を指している.プラトンはストーリーテラーは市民を感情に酔いしれさせる職業的な嘘つきであり,フィクションはホメロスなどの至高の作品であっても益より害の方が大きいと考えた.この主張は後世の哲学者たちからまともに採り上げられなかった.
  • ホメロスの解決策(追放)はお粗末だったが,彼は物語の危険性を見抜いていた.今や大企業,さらに世界の大国や新興国は特別に人を引きつけるような構造化した情報を流して人々を操作している.ビジネス界はこの力に気づき,MBAプログラムにはストーリーテリングが採用されている.
  • 物語の力の源泉は(1)私たちは物語とその伝え手を愛すること(2)物語には粘着性があること(3)物語は注意を引きつけること(4)私たちは優れた物語を人に話さずにいられないこと(5)物語は強い感情を生み出すこと,にある.このうち最も重要なのは(5)だ.感情は人の意思決定の主要要素であり,説得には理性より役に立つからだ.
  • これらの力を発揮するには物語は優れたものでなければならない.優れた物語の1つの要素は「間接的で微妙なものであること」だ*5.私たちは間接的に示されると,そこに自力で意味を見いだすように強いられる.そうして見いだされた意味は読み手のものになるのだ.
  • どのような物語が読み手に受けるかについては膨大な試みと研究がある.受け方には個人差があり,性差もある.Netflixは個々の視聴者に合わせておすすめの映画を画面に表示する.このようなテクノロジーはもっと邪悪な目的にも使える.監視技術とプロファイリングにより個人個人に合わせた陰謀論をささやくことが可能になる.ロシアはアメリカ人相手に実際にそれを試みている*6
  • プラトンの「国家」はソクラテスの語りという物語仕立てになっている.彼は物語の危険性に気づくと同時にその力も認めており,結局それを使うことにしたのだ.

 
私はギリシア哲学にはあまり詳しくなく,プラトンが哲人政治を効果的に行うためには詩人を追放するべきだと論じていたというのは知らなかった.なかなか興味深い逸話だと思う.物語の力の源泉の議論は面白いが,第1章の心理的適応との関連がきちんと整理されていなくて物足りないところがある.物語が強い感情的な力を持つのは,相手を操作しようとする側には都合が良いだろうが,物語の聞き手にはどのようなメリットがあるのだろうか.いろいろ考えどころのような気がする.
 

 

第3章 ストーリーランド大戦

 
第3章はこの物語の力についてのケーススタディになる.採り上げられるのはキリスト教の物語と陰謀論ということになる.

  • プラトンの理想国家は共産制優生学的国家であり,それは哲人王による物語の管理と独占より運営される.ポパーは「国家」は全体主義ディストピアのためのハウツーマニュアルだと苛烈にプラトンを批判した.
  • これまで構想された全体主義的ユートピアは必ず物語を管理独占しようとしている.彼等はストーリーランドをまず支配しないと現実世界を支配できないことを理解していたのだ.(カトリック教会の管理独占の方策が解説されている)
  • (強制的独占以外の方法で)ストーリーランドの戦いに勝つにはどうすればいいのか.トルストイは(正しくも)芸術は感情の感染症だと定義した.そしてどのような要素があれば感染が広がるかについては研究が進んでいる.感染力の最も強い予測変数は「(活性化する感情についての)感情的なパンチ力」だ.
  • ここでキリストの物語の感染力を考えてみよう.全ての宗教は物語だが,キリスト教の物語はどこが優れていたのだろうか.第1にキリスト教は(ユダヤ教やギリシアとローマの多神教と異なり)伝道宗教だ.福音を受けた者はそれを他人に伝える義務を持つ.これは一種のチェーンレタープログラムだ.第2にキリスト教は(ユダヤ教と同じく)不寛容な宗教だった.これはのちに現れる別の宗教物語に対する免疫と考えることができる.第3に感情的パンチ力を考えると,キリスト教は天国と地獄という(異教の神々と全く異なる)巨大なアメとムチを用意している.特に地獄の物語は生々しく迫力がある.そしてキリスト教のドラマは(ギリシアローマの神話が過去の物語なのに比べて)現在進行形の物語だ.この世の終わりはいつ来てもおかしくないという形で提示されている.「今すぐ改心しなければ手遅れになるかもしれない」というのがキリスト教のハードセル要素だったのだ.
  • 我々の世界は陰謀論のパンデミック状況にある.そしてこれらは(理性的に判断されるべき対象である)陰謀「論」ではなく陰謀「物語」だ.陰謀物語は(真実の物語と異なり)感染力を高めるように完璧に作り込める.悪質な情報でも良くできた物語に乗せれば広まるのだ.
  • 世の中に流行った陰謀論は,突き詰めれば「悪」の存在を主張している.つまりこれは道徳上のホラーストーリーであり,信者に道徳的義務として何らかの行動を起こせと迫る.例えば地球平面説*7は単に地球の形状を問題にしているわけではない.地球平面説には(創造論と親和的な)原理主義的な平面主義と世俗的な平面主義がある.原理主義的平面主義は,聖書信仰を揺るがし世俗的世界観*8を広めようとする悪魔の陰謀を非難する物語だ.これに対して世俗的平面主義者たちはSFとミステリーとスリラーが入り交じった世界に生きている.彼等は「大変な手間をかけて人々に地球が丸いと信じ込ませようとしている黒幕」は誰で,動機は何かを探る者たちで,自分たちを史上最大の欺瞞を暴こうとしている天才級の探究者であり英雄だと規定している.
  • 陰謀物語を疑似宗教と考える心理学者もいる.陰謀論は確かに伝統的宗教の原理主義的特徴(口コミで広まった.悪と戦う聖戦の主人公として信者に協力を求める,感情を喚起し信者に伝道させる,否定するエビデンスを跳ね返す)に類似している.
  • 宗教は「物語が大きな益と害を同時に世界にもたらしている」という物語パラドクスが最も純粋に現れている例だ.そこでは物語が貪欲さと傲慢さで不可侵なものとされ,世界の全てを説明しようとし,その物語を守るために戦うものは正義である(聖戦士)と規定される.
  • 私たちにはよくできた物語に対する生得的なバイアスがある.それは祖先環境で最新の社会的情報が重要であったためだろう.このためよくできた物語にならない問題,不活性な感情を喚起する問題にうまく対処できない.私たちが気候問題にうまく対処できないのは,それは物語として出来が悪いということもあるが,感情を不活性化させる物語(問題のスケールが壮大すぎてどうすれば人類が1つになって解決できるかわからない)であるからという面が大きい.これに対して気候変動の陰謀物語は人を激しく活性化できる.

 
プラトンの「国家」の理想像が,かつての共産圏やロシアのような権威主義的国家に似ているという主張も私には興味深い*9.この章の中心となっている物語の力のケーススタディは非常に面白い.特に世俗的地球平面説の部分は傑作だ.
 
 

第4章 「ニュース」などない.あるのは「ドラマ」のみである

 
第4章では力のある物語とはどのようなものか(物語の自然文法)が分析される.

  • ジェイムズ・ジョイスの「フィネガンズ・ウェイク」は実験芸術の金字塔であり小説の最高傑作とされることがあるが,実際にこれを読破できる読者は極めて少ない*10.これはストーリーテリング芸術の可能性領域が極めて狭いことを示している.ナラティブ・トランスポーテーションは,普段は鍵に守られているが,特定の組み合わせにだけ反応して開く脳の状態なのだ.
  • この組み合わせが物語の自然文法だ.そこには(1)物語は困った問題を解決しようとする登場人物を扱う(2)その奥に道徳的要素を含んでいる*11,という2つの構成要素がある.
  • ハッピーエンドが好まれるという決まり文句があるが,物語の大半は苦闘が描かれていて,最後の数ページで問題が解決され,その後はあっという間に終わる.幸せは(あるとしても)最後だけだ.物語心理にはサドマゾ要素があるのだ.
  • 物語の社会的な目的は,私たちやその時代の真実を映し出すものだともいわれてきた.しかしこの映像は歪んでいる.平和と調和よりも対立,混迷,痛み,抑圧,死の記述の方が読者を吸引することから,その割合が多いのだ.これは歴史書やジャーナリズムについても当てはまる傾向だ*12.ジャーナリズムはストーリーテリングのギルドであり,物語の自然文法から逃れられない.実はニュースそのものの市場などはほとんどなく,あるのはドラマの市場だけなのだ.ニュース価値は「真実かどうか」ではなく「ドラマとして良くできているかどうか」で評価される.善と悪をめぐる闘争はよくできたドラマの要素だ.そしてニュースの消費者は「世界が解決不能な道徳的混乱状態にある」という総合的メッセージを受け取る.
  • よくできたドラマの別の要素は偶然の要素が抑制されていることだ.偶然は物語を始めるためには必要だが,結末に持っていくと台無しになる.それは人々に勧善懲悪への欲望があるからだ.善玉は報われ,悪玉は罰を受けるべきなのだ.勧善懲悪は物語の絶対則ではないが,多くの物語に普遍的通文化的に見られる.このような物語が好まれる背景は,ボームが唱えるように私たちの祖先環境は平等主義的かつ逸脱者への罰がある社会であったということなのかもしれない.だとするとストーリーテリングは個人の幸福だけではなく部族の幸福に根ざしていることになる.「敵役は超個人主義的で弱いものいじめを行い,主人公は仲間と結束して戦い,最終的に主人公たちの向社会的価値観が勝利する」という典型的な物語の構造はこの考えにフィットする.
  • 勧善懲悪のような「物語の教訓」に言及することに対してしばしば批判が寄せられる.批判の一部は「狭量で旧式の道徳を提唱することへの批判」つまり保守的な道徳への反対であり,それ自体が道徳主義的だ.
  • 物語は道徳的なのではなく道徳主義的なのだ.語り手が道徳という強い重力に逆らって物語を作り出すのは難しい.

 
実験文学は業界での評価は高いがほとんどの人はそれを読まない.これは現代音楽なども同じで,かつてピンカーはそれはこれらの現代芸術がヒトの本性とかけ離れた何らかのイデオロギーに沿っていてるからだと説明していたが,それがそのまま当てはまるだろう.
また「ニュースの市場などなく,あるのは物語の市場だけだ」という見方はいかにもシニカルだが,「なぜマスメディアの取材は最初にストーリーありきでその裏付けをとろうとする姑息なものになるのか」をよく説明しているように思われる.
そして受ける物語には共通点がある.道徳的対立と主人公の苦闘,そして勧善懲悪的解決ということになる.これは確かにドラマ,映画,アニメなどほとんどのジャンルの物語に当てはまるだろう.そしてこれが狩猟採集社会の逸脱者への罰と関連した心理傾向だという説明には説得力がある.

   

第5章 悪魔は「他者」ではない.悪魔は「私たち」だ

 
第5章と第6章は本書の中心となる部分で,物語の「闇の力」が描かれる.

  • 物語は共感装置だ.小説が18世紀後半の人権革命の大きな原動力になったと主張する歴史家もいる.そして物語は偏見と同族意識を克服する希望だとしばしば主張される.もしそうならなぜ現代のストーリーテリングのビッグバンに調和と共感のビッグバンが伴わないのだろうか.
  • それは物語には分断の力もあるからだ.共感はよいものとは限らない.だれしも自分の身内や自分に似ているものにより共感を感じるし,それは道徳的判断を歪める可能性がある.そして物語はもっぱら社会的対立を扱い,そこには悪役があり,私たちはそれを憎み,利他的懲罰を与えようとする.これは共感的サディズムと呼ばれる.
  • 私たちの物語についての心理的適応は血縁関係が主体の小さな共同体の時代に進化した.これは大人数(そしてそのほとんどは見知らぬ他人)で構成される国家,多文化・多民族社会にはミスマッチなのだ.
  • 私たちは(集団を結束させて他の集団と敵対するような)物語として自分たちの歴史を記憶する.そして対立する集団には別の物語がある.このような競合する歴史の物語は多くの悲惨な衝突の背景にある.歴史的物語は,過去に現在の想像を押し付けたものであり,祖先たちの肖像というより自分たちの懸念,強迫観念,不満,権力闘争の自画像だと考えるべきだ.
  • 国家的な物語はしばしば高貴な嘘だ.アメリカの建国神話は「アメリカこそが歴史に選ばれた国家である」というアメリカ例外主義の教義が体現されたものだ.60年代の活動家はそこに女性やマイノリティの視点がないことを糾弾し,それは下賎な嘘であると主張したが,それ自体「アメリカは自己欺瞞,抑圧,貪欲さに駆り立てられた破壊者である」という別のアメリカ例外主義の教義の体現になっている.これらはどちらも真実とはいえない.悪と善についての物語文法通りの歴史は疑ってかかった方がよい.
  • アメリカは(いにしえのローマ帝国やモンゴル帝国の没落期のように)かつて国をまとめていた共通の物語を失いつつある超大国なのかもしれない.試練となっているのは互いに矛盾する物語の数々だ.
  • どうすればいいのか,1つの方法は「悪者のいない歴史」を語る努力をするというものだろう.ヒトが道徳的な振る舞いをするかどうかは,多いに偶然(運)に左右される.自分が正しく振る舞ったのは,道徳的幸運であり,道徳的な優位性ではないと理解するのだ.そして必要なのは悪魔への共感「自分も運が悪ければああなっていたかもしれない」だ.

 
受ける物語は道徳的対立を扱う.だからそこには「悪者」が登場し,読者はそれを罰したいと強く感じる.物語が純粋なフィクションならそれでいいが,歴史のような現実を扱う物語は,自分たちの集団と他者の集団の道徳的苦闘を描き,他者を「悪者」にしてしまう.そしてそれぞれの集団の物語は互いに食い違う.これが物語の持つ「分断」の闇の力ということになる.
 

第6章 「現実」対「虚構」

 
第6章では前章で描かれた物語の分断の力が現代社会でどのように働くかが分析される.

  • ハイダーとジンメルによる単純な図形が動く90秒の動画の実験は,人々がそれを物語として解釈すること,物語の内容は驚くほど収斂すると同時に驚くほどの広がりがあることを示した.私たちは目に入るものから物語を創作しているのだ.そしてこの性質は,ある物語にかぶれて執着し,物語の世界観を信じ,世界の中に実際にはないパターンを見いだしてしまう現象を引き起こす.
  • 私たちは自分の存在と一貫性に秩序を与えてくれる物語を手にすると,それを検証するのではなく,必死で守ろうとする.現実を物語の構造に押し込み,物語が真である証拠を捏造する.一度強力な物語が心の中に侵入するとその物語が実権を握るのだ.(ここで2020年選挙の結果に不満を持つデモ隊が連邦議会に乱入した事件にまつわる様々な状況が解説されている*13
  • ハイダー=ジンメル効果を知っておくことは,好ましくないと感じる物語やそれが引き起こす結果を,「それは自由意思からではなく,物語の力に流された結果なのかもしれない」と,もっと建設的に,同情を持って見ることにつながるだろう.悪者とは単に間違ったストーリーテラーに遭遇し,それを信じてしまった不運な人なのだ.
  • 何千万人もが同じ番組を見るテレビが登場したときに,左派はそれは恐るべき画一化のテクノロジーで人々を中流白人の価値観に洗脳するものだと批判した.それ自体間違いではないかもしれないが,彼等はそれに代わるテクノロジーがさらに悪質であることを見抜けていなかった.SNSは個人仕様版の現実の提示を可能にし,私たちはそれぞれ異なる物語宇宙に搦め捕られた.全世界でソーシャルメディアの台頭と社会の二極化が同時進行したのは偶然ではない.
  • もたらされたのは「ポスト真実」の世界だ.人々の(それぞれのいかれた物語に対する)確信は増し,エビデンスの力は奪われた.私たちが中世の暗黒時代から光の中に這い出せたのは,啓蒙主義によるもので,エビデンスのおかげだ.しかし今,エビデンスより「優れた物語」が力を持ち始めている.それは「閉蒙主義」の前兆なのかもしれない.(ここでトランプ*14がその物語の力をいかにうまく使ったのかが詳細に解説されている*15

 

  • ではどうすればいいのか.世界には物語に対抗する手段が必要で,それは物語に対する攻撃や統制ではなく,理性によるべきだ.
  • プラトンに従って物語を追放しようとした1つの共同体は科学界だ.科学とは,本質的に,現実についての物語のどれが真実でどれが虚偽かを見つけ出す,これまで考案された中で最も信頼できる方法だ.
  • 私たちがポスト真実の世界から現実の世界に戻るためには,科学を始めとする実証主義が権威を取り戻すことが必要で,そのためには真実を語る主要機関つまりメディアが変わらなければならない.ジャーナリズムと学術界がなすべき仕事をすれば民主主義の物語戦争で調停役となれるだろう.
  • しかし現在見られるジャーナリズムと学術界のリベラルバイアスはその障害になりうる.人々の学者に対する信用は割り引かれ,大衆が科学を疑う理由になるだろう*16.学術界に吹き荒れるキャンセルカルチャーはトランプと同じぐらいポスト真実の世界に加担している.

 

  • ディープフェイク技術は文書,音声,動画のエビデンスの基礎を掘り崩す.ポスト真実の思想市場で,誤報や偽情報が真実を打ち負かしていることを示すエビデンスが増えつつある.
  • ソーシャルメディアヘの規制を求める声もある.是非検討してほしいが,うまく負の外部効果を取り除くのは難しいだろう.負の外部効果は物語の自然文法そのものにあるからだ.フェイスブックの成功は物語の自然文法を自力で発見し,莫大なスケールで流通させる方法を作り出したからだ.このビジネスモデルはどこまでも自然文法に従っていくだろう.
  • 中国共産党は新しいテクノロジーを用いてプラトンの夢を実現させようとしている.入念に都合の良い物語宇宙を構築し,ファイアウォールという万里の長城で守っている.今世紀のイデオロギーの戦いは中国の権威主義モデルと西洋の次第にぐらついてきたリベラル民主主義の戦いになるだろう.私は西洋の優位性を確信できない.

 
途中のトランプの分析は面白い.しかしこの章の最終的なトーンは暗い.トランプのような物語の力を徹底的に利用しようとするトリックスターに対して私たちの社会はあまりにも脆弱だ.ソーシャルメディアとマスメディアは構造的な弱さを持つし,物語の世界に対抗するべき科学の世界はリベラルバイアスにより大衆の信用を失いつつある.そしてこのトーンは最終章に受け継がれる.
 

終章 私たちを分断する物語の中で生き抜く

 
最終章では,著者の悲観的な思いとその中でとるべき道が示される.

  • 現代は物語が狂気の元凶になっている.私たちに何ができるかについて私は悲観的にならざるを得ない.
  • 私たちが音楽,彫刻,絵画,舞踏を愛するのは物語への熱中が形を変えたものだろう.新石器時代のヨーロッパの素晴らしい洞窟絵画がなぜ描かれたのかはわからないが,それはおそらく何らかの物語の表現だ.そしてそれは私たちの物語本能がいかに深く,それを変えることがいかに難しいかを示している.
  • 物語の毒を中和するには,そこに退屈な部分や心を動かさない部分を混ぜるほかない.しかし私たちはそれを選ばないだろう.それでもこの現代文明最大の問題に対処したいと願うなら,物語心理という新たな分野で大規模な学術的取り組みを始めるべきだ.そして私たちは自分が語る物語についても疑う心を持つべきなのだ.
  • 私の最後のメッセージは「物語を憎み,抵抗せよ.だがストーリーテラーを憎まないように必死で努めよ.そして平和とあなた自身の魂のために,物語に騙されている気の毒や輩を軽蔑するな.本人が悪いのではないのだから」というものだ.

 
以上が本書の内容になる.ヒトは物語で物事を理解するような心理傾向を(おそらく適応として)持っており,物語は狩猟採集社会では社会関係のマネジメントや技術の習得に役に立っていた.しかし(プラトンが見抜いたように)農業革命以降それは「闇の力」を持つようになり,さらに現代のSNS技術の元では強い「分断の力」を持つようになったことが主張されている.
SNSがエコーチェンバーになり分断の大きな要因となっていることは各所で指摘されているが,それを「物語」の力として描いているのが本書特有の視点ということになるだろう.特に陰謀論やトランプの分析のところは読んでいて面白い.最終的なスタンスはかなり悲観的なものだが,それでもいくつかの提案はされていて,ある意味誠実な書き振りといえるものだろう.陰謀論はドラッグのようなものであり,自分もいつどこでそれにおかされてもおかしくないことを理解し,自戒することの大切さを教えてくれる一冊だ.

 
関連書籍
 
原書

 
ゴットシャルの著書
 
処女作 ホメロスのイリアスを題材に進化的な視点から暴力について考察した本. 
そのテーマを広げ,進化的視点から物語を語った本 
本人が総合格闘技にはまって感じたことを進化的視点も交えて語る異色の本 
同邦訳 私の書評は
https://shorebird.hatenablog.com/entry/20160403/1459643299

 
専門書 
編者として参加している共著本
Evolution, Literature, and Film

Evolution, Literature, and Film

  • Columbia University Press
Amazon

 

*1:本書では「物語」「ストーリー」「ナラティブ」が各所でほぼ同義語として使われている.微妙なニュアンスがあるのだろうが,本書評では基本的に「物語」を用いることにする

*2:頭ではわかっていても俳優とその演じた役を混同してしまう傾向などが説明されている

*3:これに対して右派は裕福なリベラルの小さな集団が思想コントロールを行っていると受け止め,左派はこれが世界規模の成功になって全世界にアメリカ的価値を押し付けることにならないかと懸念しているそうだ

*4:2012年,当時副大統領だったバイデンは同性愛の支持へのアメリカ人への歴史的変化を引き起こしたのはドラマ「ふたりは友達? ウィル&グレイス」だと発言したそうだ

*5:ここでヘミングウェイの逸話が紹介されている.レストランで彼は自分なら小説一冊分をたった6語に込められると豪語し,友人たちができない方に賭けたあとこう示して見せたそうだ「For Sale: baby shoose, never worn.」

*6:実際にFacebookを用いてアメリカ人同士の対立を煽った手口が説明されている

*7:アメリカの成人の2%,つまりおよそ600万人が平面説を信じているとされる.そして彼等のネット上の活発な活動により,1/3のミレニアル世代アメリカ人は地球の形状について確信を持てなくなっているそうだ.

*8:「聖書は埃をかぶった神話の集積であり,生命は偶然発生し,どろどろした原生生物から何十億年もかけて無意味な性交と殺し合いを経て進化した」という思想だと説明されている

*9:ただこの部分は第2章にある方が構成的にはわかりやすかったのではないだろうか

*10:著者は英文学者だが,以前知りあったジョイス学者を除くと,最後まで読んだ,あるいは読もうとした同業者に会ったことはないそうだ

*11:道徳的要素を持たない物語が本当にないのかというのは「物語」をどこまで厳密に定義するかによるとコメントされている.例えばポルノにはあまり道徳的要素はない.ポルノは純粋に願望を満たす空想のシナリオに消費者を連れていってくれる(ストーリーテリングとは別の)エンターテインメントだとされている.あるいはBLとかラノベもそのような要素を持つものなのかもしれない.

*12:この部分ではピンカーの議論が参照されている

*13:左派は警察の暴徒(白人主体だった)に対する弱腰に人種差別の証拠を見いだし,右派はそれは圧倒的に数が違ったからに決まっていて,なぜ左派は何でも人種差別に結びつけるのかと憤慨した.共和党支持者は左派メディアが全てをトランプのせいにするだろうと感じて嫌悪感を抱き,さらにその中の愛国主義者たちはデモ隊の行動に建国時のマサチューセッツ民兵と同じ愛国心の発露を見た.さらにQアノン信奉者たちは左派メディアの暴徒の映像が左派活動家のなりすましによるフェイクである盤石の証拠を見つけた,などと説明されている

*14:本書内では「でかメガホン」と呼称されている.その名を見るのも書くのもいやだということだろう.

*15:「Make America Great Again」には神話的な壮大さがある.そしてこれほど臆面もなく虚構で固められた人物を私たちが大統領に選んでしまったことこそ,私たちが「ポスト真実」の世界に入った究極の象徴だ.彼は当初単なる泡沫候補だったが,その悪役物語の魅力にメディアはあらがえず,彼はそれをうまく利用した.そしてストーリーテリングの自由市場で競争して,驚くべきことにそこで勝った.メディアにはトランプを無視することはできなかっただろう.なぜならトランプが嫌いな人でもトランプショーは大好きだったからだ.などと説明されている.

*16:現在共和党支持者の59%が高等教育はアメリカの益ではなく害になると考えている.そしてこのリベラルバイアスは一般大衆が賃金格差の原因について語るジェンダー研究の教授を嫌い,警察の暴行の研究で社会学者が投げかける妥当な問いを疑い,弾劾公聴会の歴史家の証言の動機を疑う格好の理由になるだろうとされている.