War and Peace and War:The Rise and Fall of Empires その5

  
第1章と第2章でターチンはロシアの東方拡大を取り上げ,2世紀前に完敗していたモンゴル(タタール)に逆襲できたのは,キエフからカザンに至る地域が度重なる侵略収奪を受ける辺境となり,そこで防衛のための団結心が育まれたからだと主張した.
第3章では第1章,第2章で語られた「帝国の基礎は辺境に始まる」則がローマ帝国滅亡後の様々な国家の興隆に当てはまるかを調べていくことになる.章題の虐殺とは(その大敗をきっかけにアウグストゥスがローマ帝国の東への膨張をあきらめ,ライン川とドナウ川が帝国とゲルマン世界の境界となることになった)トイトブルクの戦いのことを指す.

 

第3章 森での虐殺:ローマ帝国の辺境(The Limites) その1

 

  • ローマ帝国の辺境を挟んで敵対するグループには,北方森林地帯のゲルマンとスラブ,東方ステップ地帯のフンとアヴァール,アフリカとアラブの砂漠地帯のベルベルとアラブ,そして文明化されているパルチアがあった.
  • ローマ帝国崩壊後にその領域には9つの広域国家が生まれた.フランク,東ゴート,西ゴート,アヴァール,ブルガリア,ハンガリー,ビザンチン,初期イスラム,ファーティマ朝イスラムだ(これより少し小さな興隆国家にはブルグンド,ランゴバルト,フンがある).これらは全て辺境から生まれた(ビザンチンは一見例外だが実はそうではないことがあとで示される).

 
日本で教わる歴史叙述だと西ローマ帝国の崩壊の後,東ローマ帝国は残り,西帝国領で勃興した国としてはフランク,東ゴート,西ゴート,ヴァンダルなどのゲルマン諸民族国家に焦点が当てられ,その他の国家はあまり取り上げられない.ターチンの俯瞰によると,西だけでなく「ローマ帝国」たる帝国は4〜5世紀に崩壊し,そこにゲルマン諸国だけでなく,アヴァール,ブルガリア,ビザンチンなども新しい国家として興隆したことになる.
 

  • ローマ人は辺境をリミテス(limites)と呼んだ.彼等は道路網を整備し,防衛要塞や壁を築いた.アウグストゥスはトイトブルグの敗戦後,東方拡大をあきらめ,ライン川を国境と定めた.この国境は3~400年の間保たれた.ローマ人と向こう側のゲルマン人の間には(宗教*1をふくめ)大きな文化の違いがあった.

 
この部分ではトイトブルグの戦いの様相がかなり詳しく解説されていて(ゲルマンのアルミニウスはローマ軍を森に誘い込み巧妙に奇襲をかけ全滅させる)歴史物としてとても面白い.ターチンはトイトブルクの戦いの時点で国力の差は大きくローマは望めばなお東方に支配地を広げられたが,コストに見合わないと判断したのだと解説している.
いずれにせよアウグストゥスはエルベ川までの拡大をあきらめ,ライン川とドナウ川を国境と定めた.(ドナウ川国境はトラヤヌスの時期に北方拡大してダキア(現在のルーマニア)まで拡大したが)ライン川の国境は数世紀間固定することになる.

*1:ローマのキリスト教化,ゲルマン人の多様な宗教がオーディン信仰に収斂する経緯が解説されている