The Gene’s-Eye View of Evolution その26

 

第1章 歴史的起源 その21

  

1-4 淘汰のレベル その7

 
オーグレンの遺伝子視点の起源の解説.その3つの基礎のうち自然神学,集団遺伝学と並ぶ最後のものは「淘汰のレベル論争」だ.
ここでは淘汰のレベル論争は基本的にナイーブグループ淘汰をめぐるものであったことがまず示され,ナイーブグループ淘汰主義者の3つの誤りとそれに対するウィリアムズの批判が紹介された.最後にドーキンスの「利己的な遺伝子」が登場する.
 

1-4-4 遺伝子を「利己的」と呼ぶ

 
冒頭でリチャード・ドーキンスの経歴が語られている.ナイロビ生まれであることからシモニ教授職を得たことまで振り返り,また「利己的な遺伝子」を書くに至った経緯が紹介されている.
 
このあたりはドーキンスの自伝が参照されている.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20131011/1381493932https://shorebird.hatenablog.com/entry/20151027/1445896631

同邦訳 

  • ドーキンスは1966年にティンバーゲンのサバティカルの間,動物行動学の講義を頼まれたことで,講義用ノートを作り始めた.そこではハミルトンの最近の理論をどう説明するかが書かれている.この講義ノートを今日的に見ると,ドーキンスのその後の著述を特徴づけるレトリックが容易に見いだされる.(この講義ノートは上記の自伝から引用されている)
  • 遺伝子はある意味不滅の存在だ.彼らは世代を通じて受け渡され,世代が変わるたびにリシャッフルされる.動物の身体は遺伝子にとって一時的な居場所に過ぎない.遺伝子の将来的な生存は,次の世代に受け渡されるまでのその身体の生存にかかっている.・・・
  • 遺伝子は,一時的でいつか滅することになる,しかしそれが必要とされる間は効率的な身体を作る.・・・
  • 「利己的」とか「利他的」という言葉を使うとするなら.我々のオーソドックスなネオダーウィニアン進化理論のもとでは,遺伝子こそが「利己的」と呼ばれるべきなのだ.

 

  • これが「利己的な遺伝子」というアイデアが生まれたところだ.ウィリアムズの「適応と自然淘汰」はこの講義ノートを書いていた時期に出版されたのだが,ドーキンスは(その時点で)「適応と自然淘汰」を読んでいなかった.数年後に読んだ時,彼はすぐに自分とウィリアムズの世界観の知的絆を認識した.
  • 「利己的な遺伝子」で示された多くのアイデアは「適応と自然淘汰」にも示されていた.しかしドーキンスにとって「適応と自然淘汰」の叙述は「簡潔すぎて十分に表現されていない」ものに感じられた.
  • このあと明らかになるが,しかしながら「遺伝子を利己的と呼ぶこと」は,この点をコミュニケートする上で,メリットであるとともにデメリットでもあった.
  • 私が本書で用いている「遺伝子視点(The Gene’s eye view)」という用語は,1980年のバラシュの論文(そこではヒトの家族の進化的な理解がテーマとされていた)で初めて使われたものだ.バラシュはこの言葉を「神視点(God’s eye view)」という表現から借用して作った.

 
ここでは「利己的な遺伝子」から直接引用せずに,自伝にある講義ノートを持ってきている.学説史的にはそこが起源ということになるからだろう.
「遺伝子視点」という用語の起源となったバラシュの論文は1980年の「The Family: Evaluation and Treatment」に「Evolutionary aspects of the family」という題で収録されている.そこでは(1980年当時の最新理論であった)ハミルトンの血縁淘汰,トリヴァースの親の投資理論,親子間コンフリクト,性的対立と父性の不確実性などの知見から考えると「家族の関係,家族に対する行動」どう解釈できるかが簡潔に総説されている.家族の進化は利他行動の進化と捉えることができること(血縁淘汰),投資コストはオスとメスで異なり,父性の確実性は重要なパラメータになること(親の投資理論),兄弟間の競争は血縁個体間のコンフリクトとして捉えられることなどが解説されているようだ.
 
第1章は以上になる,最後にオーグレンがまとめを置いてくれている.
 

1-5 まとめ

 

  • 遺伝子視点は適応,自然界に見られるデザインである「適応」を説明されるべき進化理論の中心問題とした.この伝統は特に英国生物学で強い.それは自然神学とペイリーの本によるものだ.
  • 遺伝子視点は,振り返ってみると,ホールデンやライトの著述にもみられるが,特にフィッシャーの著述に明確に表れている.特にフィッシャーは,何を環境と見るべきかを示した論文で,明確に遺伝子視点をとっている.フィッシャの自然淘汰の基本定理は遺伝子視点をとることでより明らかな意味を持つ.
  • グループ淘汰は混乱した歴史を持ち,淘汰レベル論争は,ウィリアムズとドーキンスにそれぞれ「適応と自然淘汰」「利己的な遺伝子」を書く動機を与えた.