第2章 「利己的な遺伝子」の定義と洗練化 その1
第1章で遺伝子視点の起源を解説したオーグレンは,第2章で,論争の焦点にもなったいくつかの概念の整理を行う.取り上げられるのは「遺伝子」「レプリケータとヴィークル」「ミーム」になる.
2-1 導入 その1
冒頭で「利己的な遺伝子」出版時の裏話が語られる.オクスフォード大学出版では5000部以上売れるかどうかの賭けがなされていたそうだ.しかし「利己的な遺伝子」は大ベストセラーになった.今日まで第4版まで出ており,25カ国語に翻訳され,総部数は優に百万部を超えていること,そして「適応と自然淘汰」もロングセラーになり,2018年に30周年記念版が出てドーキンスが序文を書いていることが紹介されている.ここからこの2冊に対する学者たちの反応に差があったことが描かれる.
- 「適応と自然淘汰」も「利己的な遺伝子」も広く書評された.
- ウィリアムズは業界内で高い評価を受け,「適応と自然淘汰」は好意的な書評を受けた.ルウォンティンはサイエンス誌の書評でこの本をエクセレントと呼び,スロボドキンは(茶化した部分もあったが)クォータリーレビューオブバイオロジー誌の書評でこの本を「進化の光と道」と表現した.
オーグレンはルウォンティンの書評は好意的だとしている.実際にこの書評ではウィリアムズの徹底的な「安易なグループ淘汰理論」批判については素晴らしいと評価しているが,ウィリアムズの「適応」概念については,一部に循環論法的表現があること,(そうならない場合もあるのにもかかわらず)合理的設計という印象を与えていること,検証可能性についての問題などを挙げているようで,必ずしも賛意一辺倒ではなかったようだ.
スロボドキンの書評(この表題が「進化の光と道」になる)はルウォンティンよりは遥かに好意的で,基本的に絶賛しており,適応の実証について課題があることを指摘しているだけのようだ.
https://www.jstor.org/stable/1718304
https://www.jstor.org/stable/2818806
- 「利己的な遺伝子」は一般向けの雑誌から科学雑誌にわたって100以上の書評を受けた.そのほとんどは好意的だった.たとえばニューヨークタイムズ紙は「読者に自分が天才だと思い込ませるような種類の一般向け科学書」だと描写している.
- 「適応と自然淘汰」と比較すると,「利己的な遺伝子」はいくつかの強烈で対照的な見解をひきだした.
- ハミルトンはサイエンスに熱狂的な書評を寄稿し,この本は「すべての人に読まれるべきであり,そして実際に読むことが可能だ」と書いた.
- 対照的に,チャールズ・ラングレイはバイオサイエンス誌に痛烈な書評を寄稿し,この本を「進化生物学について浅薄でかつ真実ではない」と評した.同じようにルウォンティンはネイチャー誌に「ダーウィニズムの拙劣な戯画」と題した書評を寄稿し,ドーキンスの適応主義的理論を「パングロス的」と評し(これはグールドとの共著のサンマルコ論文の2年前になる),アメリカンナチュラリスト誌をこの醜悪な慣習の根本だと指弾した.
- このルウォンティン書評のトーンに対して,ハミルトンは抗議を込めてネイチャー誌に書簡を書き,ルウォンティン書評を恥辱的(disgrace)と呼び,その行いを1860年のウィルバーフォース司教によるダーウィンとハクスリーへの攻撃にたとえた.ルウォンティンはすぐに痛烈に反撃し,ハミルトンを「下品なダーウィニズム化」に加担していると非難し,ハミルトンはダーウィンに,ドーキンスはハクスリーに比肩できるようなものではないとほのめかした.
ラングレイの書評は表題が「A little Darwinism」となっている.オーグレンは「痛烈(scathing)」と表現しているが,全体的なトーンは遺伝子視点を評価しながらも擬人化には問題があるというスタンスで,ルウォンティンのものよりは穏当であるようだ.
academic.oup.com
ルウォンティンとハミルトンのやり取りはこれに対してなかなか激しい.
ルウォンティンの書評はそもそも表題が「ダーウィニズムの戯画化(Caricature of Darwinism)」となっている.このやりとりについては以前このブログでも紹介している.
shorebird.hatenablog.com


