書評 「Darwin’s Most Wonderful Plants」

  
本書は植物学者ケン・トンプソンによるダーウィンの植物本についての一般向けの解説書になる.ダーウィンの著書としては「種の起源」と「ビーグル号航海記」が超有名で,それに続いては「人間の由来」「人および動物の表情について」「ミミズと土」「自伝」あたりがある程度知られている*1という状況かと思われる.しかしダーウィンは「種の起源」出版後,進化の証拠を積み上げる実験や考察を行っている中で植物が題材になっている本を6冊も書いている.このうち「よじのぼり植物」「植物の運動力」「植物の受精」については邦訳があるが,(私の知る限り)「食虫植物」「ランの受精」「花の異型について」については邦訳がない.邦訳があるものについてはすべて入手し既読だが,邦訳のないものについてはつい手を出しそびれていた*2.そこに本書のようなガイド本があると知り,読んでみたものになる.
 

導入 植物の秘密

 
冒頭ではダーウィンの研究スタイルそして研究史が描かれている.

  • ダーウィンはある種の植物が複数の大陸に渡る広い分布をもっていることを自説からどのように説明できるか悩んでいた.(当時大陸移動は知られていなかったので)種子が長距離分散できるのかが問題になる.海流で移動できるだろうか.渡り鳥の足に付着した泥について移動できるだろうか.ダーウィンはぐだぐだ考え続けずにとにかく実際の状況を調べる.そして種が海水の中で生存できるかを実験し,泥の中に種子がどのぐらいあるのかを数えるのだ.そしていったん取り組み始めるとその対象にのめり込む.
  • ダーウィンは8年間にわたってフジツボにのめり込み,徹底的に研究した後,植物に大いに興味を引かれることになる.彼はプロの植物学者としてのトレーニングを受けてはいなかったが,キュー植物園のディレクターであったジョセフ・フッカーの献身的な協力を受けることができた.種の起源出版後の1860年,ダーウィンは食虫植物にのめり込む.そしてその興味はよじのぼり植物,ラン,サクラソウヘと移り変わった.
  • ダーウィンの才能は,我々が何も疑問を感じない現象の中に驚異を見つけ,その重要さを理解し,そしてそこから新たな謎を提示するところにある*3.ダーウィンのよじのぼり植物の仕事は時代を完全に先駆けており現在でも我々の知識の多くは彼の1865年の本によっている.そして知識が進んだ部分のほとんどは新しい技術が利用できるようになったこと*4や当時未発見であった植物が発見されたこと*5に負っているのだ.
  • ダーウィンの自然淘汰の仕事はあまりにも輝かしいので,その他の仕事は見過ごされがちだ.しかし彼の植物の仕事も(その他のすべての彼の仕事と同じく)素晴らしい.たとえ「種の起源」を書かなかったとしても,ダーウィンは最も偉大な生物学者の1人と位置づけられるだろう.

 

第1章 頂点へ*6:On the movements and habits of climbing plants(1865)

 

 
第1章は「よじのぼり植物」.

  • なぜダーウィンはよじのぼり植物に興味を持ったのか.もちろんそれは自然淘汰による葉からよじのぼり器官への漸進的な変化にかかわるからだが,ある意味フジツボ物語の繰り返しでもある.いったん取り組み始めてしまって止まれなくなったのだ.
  • 最初のきっかけはエイサ・グレイのカボチャ類の巻きひげについての短報だった.ダーウィンはグレイに送ってもらった種子を育て,その巻きひげの動きに魅了された.ダーウィンにとって自然淘汰による優雅で効率的な機能は美そのものだった.

 

蔓(つる)植物
  • ダーウィンは,蔓植物は最も単純な方法でよじのぼる(よじのぼり植物の)最大のグループで,最も原始的だろうと考えた.彼はホップを観察し「若芽がゆっくり曲がり太陽に向かって時計回りを描くように成長する」と記述している.これはダーウィンがいかに注意深い観察者だったかの1つの例だ.ダーウィンの同時代人たちは茎がねじれていると考えていたが,ダーウィンはねじれではなく曲がった成長が鍵だと見抜いていたのだ.
  • また同時代人たちは巻き付きには茎の接触感受性が必要だと考えていたが,ダーウィンは正しくもそれが不要だと見抜き,それを巧妙な実験で確かめている(詳細が解説されている).

 
<蔓の巻き>

  • ダーウィンは多くの蔓植物を観察し,その巻きが「太陽に向かって時計回り(右巻き)」か「太陽から見て時計回り(左巻き)」かを記している.
  • 巻きがどのように決まるのか.よくある説明は(1)太陽を追う動きで決まる(2)コリオリ力で決まるというものだが,これだと北半球の蔓植物は(そして南半球の蔓植物も)皆同じ巻きになるはずだ.しかし2007年のリサーチによると世界中の蔓植物の92%は右巻きで,それはどちらの半球でも同じだった.そしてダーウィンはその140年も前に観察した40種のうち右巻きが27種で左巻きが13種だと記している.
  • ダーウィンは「私が知る限り同じ属の2種の蔓植物が異なる巻きになることはない」とも記している.フジ属について当時の英国では中国のもの Wisteria sinensis(右巻き)しか知られていなかった.しかし1870年に入った日本のフジ Wisteria floribundaは左巻きだったのだ.とはいえ,同じ属の2つの種の巻きが異なることは稀に違いないという点においてはダーウィンは正しかった.

 
<右巻きの優勢>

  • なぜ蔓植物の巻きはランダムではなく右巻きが優勢なのか.様々な動植物の形質について常に適応的な理由を探していたダーウィンにしては驚くべきことに,彼はこれを問題にせずに,単に右巻きが優勢だと記しているだけだ.あるいは右巻きと左巻きに適応的な有利不利があるとは考えにくいし,実験的に巻きを変えるのも難しいと考えたのかもしれない.
  • 実際現在でもなぜ右巻きが優勢なのかはわかっていない.アミノ酸のキラリティから説明しようとしている論文もあるが,私(トンプソン)には理解できなかった.ダーウィンのこれを確かめようとするのは無駄だという考えはおそらく正しかったのだろう.

 

巻きひげ
  • ダーウィンは蔓よりも巻きひげに魅了された.自然淘汰により構造と機能が変化したより魅力的な例だったからだ.
  • マメなどの大半の種の巻きひげは葉が変化したものだが,一部の種の巻きひげは花茎が変化したものだ.ダーウィンはブドウ属において花茎から完全な巻きひげまでの様々な段階が観察できることを,そしてさらにアメリカヅタでは巻きひげが付着性の触手に変化しているのを見つけて喜んでいる.

 
<巻きひげの動き>

  • ダーウィンは巻きひげの動きにも魅了された.巻きひげは高い接触感受性を持ち,何かに接触すると巻きを強めてそれを引きつけようとする.失敗しても何度もそれを繰り返す.ダーウィンはそれが何度繰り返されるのかを確かめるためトケイソウのある巻きひげを54時間も観察し21回の繰り返しを確認している.
  • さらに巻きひげの接触感受性は対象を識別して反応を変える.ダーウィンはトケイソウの巻きひげは,同じトケイソウの巻きひげ同士や水滴に対しては反応しないことを見つけている.さらに後の植物学者たちは(表面が硬い)氷にも反応しないことを報告している.これらの適応的意義は明らかだが,彼等はどのように識別するのだろうか.
  • ダーウィンは雨粒については接触時間の短さによるのだろうと考えたが,どのように氷を他の支持棒と区別するのか,相手が巻きひげであることをどう知るのかはわかっていない.植物が細胞表面のタンパク質から自己と非自己を認識できることは花粉の自家不和合性などで知られている.また近時,植物の根が(タンパク質とは異なる何らかの未知のメカニズムにより*7)自分の根かそうでないかを識別して自分の根同士の競争を避けることが見つかった.巻きひげにもこれらと同じメカニズムがあるだろうか.
  • 最近日本の研究チームがヤブガラシを使った実験により,ヤブガラシの巻きひげ同士の識別結果は,それが地上部分あるいは根の部分でどのように連結しているか,さらに(効果は弱いが)自種他個体の巻きひげかどうかにより連続的に変わることを見いだした.具体的なメカニズムはまだよくわかっていないが,何らかの化学信号が使われているのだろう.
  • 巻きひげはどのように巻きを作るのか.ダーウィンの同時代人はひげの内側と外側の成長速度の違いの結果だと考えていたが,ダーウィンは接触とともに巻きが強くなるのはそれでは説明できないだろうと疑問を呈していた.現代のリサーチは最初の巻きは成長速度の違いで生じ,接触とともに巻きが強くなるのはひげの内側が水圧により縮小するからであることを解き明かしている.
  • 巻きひげはどのように接触を感じるのか.特別な感受器官が見つかっているが正確にどのようなメカニズムになっているのかはわかっていない.

 
<巻きひげの巻き>

  • ダーウィンは,巻きひげが支持棒に巻き付いてそれを引き寄せる時に,巻きひげのある部分はある方向に巻き,別の部分が異なる方向に巻くこと,全体の巻きが打ち消されていることを観察している.ダーウィンは回りくどく説明しようとしているが,現代的に言えば,それはトポロジカルな必然ということになる.ダーウィンにとってこの巻きひげのコイル的な縮約の適応的意義は明らかだった.それは植物体と支持棒を引き寄せ,さらにバネのような柔軟な連結となる.現在ではそのメカニズムが解明されている(g-fiberと呼ばれる繊維の仕組みが解説されている).

 

粘着性よじのぼり植物
  • ダーウィンはよじのぼり植物の本の最後で,根を使ったよじのぼり植物とスクランブラーを取り上げたが,極くわずかな記述しかない.しかし私たちはこれらについてはるかによく知っている.まずツタのような根の粘着性の物質を使ってよじのぼる植物を説明しよう.
  • ツタは木の幹や壁を伝うが,これは粘着性の根で行っている.この根は,極く柔らかでコイル状の根毛を持ち,木の幹や壁の小さな裂け目に行き当たると接着物質を分泌してくっつく,その後巻きを強めて本体を引き寄せる.それはマイクロレベルの巻きひげであり,ある意味収斂進化ともいえる.ツタの根毛の接着物質は液体ポリマーの中にナノパーティクルが浮遊しているもので,ヤモリの足先と似ている.この接着強度はファン・デル・ワールス力の3倍あり,その分子的なメカニズムはなお不明だ.最終的に根は接触パッドを形成し裂け目に充満し摩擦力を利用したアンカーベースを形成する.

 
<闇へ>

  • 熱帯のホウライショウ属の1種は,暗い樹林の中で芽生えると,最も暗い方向へ伸びる.樹木に行き着くとそれを登り始め,明るいところに出て始めて大きな葉をつける(この3段階で全く別の形態をとる).シンゴニウム属の1種は同じくまず暗い方向に伸びるが2メートル伸びても樹木に行き着かなければ,いったん小さな葉をつけ光合成ベースキャンプを設営する.そこからまたシュートをだし,樹木に行き着くと登り始める.頂上で葉をつけるが,さらに成長を続け垂れ下がり,別の樹木に行き着くとまた登り始める.彼等がまず闇へ伸びることができるのは,樹木にさえたどり着ければそれを登れるからだ.

 
<カメレオンヅタ>

  • カメレオンヅタ(Boquila trifoliolata)は2014年に発見された.この種は登る樹木にあわせて形態を変える.葉のサイズや形も変えるのだ.宿主に葉を似せると食害にあいにくいことを示す証拠がある.どのように行っているのかはよくわかっていない.ダーウィンがこれを知ったなら様々な実験を行っただろう.

 

スクランブラー(棘とフック)
  • ダーウィンは棘やフックで支持を得る植物をスクランブラーと呼んだ.彼はスクランブラーについてわずか2ページしかあてがっていないが,「なぜつるバラは格子垣があると高い壁を登れるのか」という疑問を書き残している.言い換えるとバラはどのようにして格子垣に取りつくのだろうか.
  • ダーウィンは脚註にエイサ・グレイの観察を記している.「ミシガンローズの夏シュートは暗い方に伸びるので格子垣の下側に入る.春シュートはそこから水平にまず延びてから光の方向に向かう.だから格子垣に巻き付くように成長する」
  • ダーウィンはスクランブラーとしてシラホシムグラも取り上げたが,ほとんど何も説明していない.しかし最近この植物について面白いことがわかった.その葉にはフックがついているのだが葉の表と裏で異なる方向になっており,ラチェットのように働いて葉が重なってしまうのを防ぐ機能を果たしているのだ.

 

第2章 ゆっくりとした学習者*8:The power of movement in plants(1880)

 

 
第2章では「植物の運動力」が取り扱われる.この本はダーウィンの晩年になる1880年のもので,息子のフランシスとの共著になっている.

  • ダーウィンが「植物の運動力」を書いた動機の1つはこのテーマに魅せられていたことだが,もう1つは新しい種は漸進的な進化を通じて生まれるという自説に対するマイヴァートの執拗な批判に応えるというものだ.そしてダーウィンの自説の批判に対する対応は「圧倒的な量の証拠を積み上げる」というもので,本書はそのよい例であり,同じ趣旨の実験を繰り返し,多くの植物で確かめている.ダーウィン自身,本書には退屈な部分があり,そこはスキップして結論に飛んでくれて構わないと記している.

 

植物の運動

<回旋運動>

  • ダーウィンはつる植物のよじのぼり運動が回旋運動から変化したものだというテーマから始めている.回旋運動はすべての植物に見られること,発芽とともに根が土の中を小石などを避けながら進むのに役立つこと,そこから光への反応としての回旋運動につながることを記している.
  • 子葉鞘の光に反応した回旋運動に対し,ダーウィンは様々な実験を行い,子葉鞘はその上部で光を感じ,その情報を下部に伝えていることを発見している.これは植物が感覚を持たない受動的な生物体であるという当時の常識を覆し,彼等が刺激を感じ反応できることを明らかにした.そしてこの一連の実験結果は50年後のオーキシンの発見につながっている.

 
<重力への反応>

  • 重力を光のように実験的に操作するのは難しい.しかしダーウィンは巧みな実験で植物は重力を根の先端で感じていることを明らかにした.
  • 樹木は垂直に延びようとするが,時に斜めになっている樹木がある.これは何らかの重力感知方向補正メカニズムがうまく働いていない状況を示唆している.興味深いことにこのメカニズムは広葉樹と針葉樹で異なっている.広葉樹では傾いた幹の上側にテンションウッドが形成され,針葉樹では下側にコンプレッションウッドが形成される.ニューカレドニア原産のクックパイン(Araucaria columnaris)は世界中の温暖な地域*9で栽培されているが,(なぜそうなるのかはわかっていないが)しばしば赤道方向に傾いて(そして赤道から離れるほどより傾いて)成長する.ダーウィンはクックパインを知らなかったと思われるが,もし知ったらきっと実験したがっただろう.

 

ダーウィンが触れなかったこと

<オジギソウ>

  • 不思議なことにダーウィンは「植物の運動力」でオジギソウについてほとんど言及していない*10.オジギソウは触れられると葉を閉じる.ダーウィンはこのような「睡眠運動」に興味を持ち「植物の運動力」で詳しく調べている.
  • オジギソウの特殊なところはその「睡眠運動」のスピードが極端に速いことだ.これは一般的には植食者に対する防衛*11と考えられている.葉の開いた状態は水圧で保たれていて,オジギソウはその水圧を一気に下げることで急速に葉を閉じるのだ.
  • 最近オジギソウは「植物に知性はあるか」という議論の題材となった.オジギソウの接触反応には接触刺激の種類ごとに生じる馴化が見られるのだ.そしてオジギソウは反応が速いので目立っているだけで,他の植物も同じかもしれない.モニカ・ガグリアーノはマメ科植物もオジギソウと同じ程度にスマートであり,彼等は連合学習能力を持つのだと主張している

 
<植物の知性>

  • ダーウィンはオジギソウについては触れなかったが,植物の知性についてはコメントしている.彼は「植物の運動力」の最後で植物の根は脳を持つ下等動物と同じように動くと書いている.彼が言いたかったのは植物には情報を処理して意思決定する分散型知性があるように見えるということだ.
  • 「植物に知性があるか」は21世紀の大きな論争テーマになっている(概要が解説されている).ダーウィンはここでも時代をはるかに先駆けていたのだ.

 
<ヒマワリ>

  • ダーウィンはもう1つ注目すべき植物の運動テーマを無視している.それはヒマワリ花の回転だ.ヒマワリの花が太陽を追って回転することはよく知られている.いや,しかし本当にそうなのだろうか.確かに未成熟のヒマワリの花は太陽を追う.しかしいったん成熟すると花は東向きに固定されるのだ.
  • ではなぜ未成熟な花は太陽を追うのか.葉が太陽を追うことの副産物説,高い温度を保つ説(そのなかの成長を促す説,送粉者誘引説)などの仮説はあるが,実際にはよくわかっていない.
  • そして成熟するとなぜ東向きになるのか.朝露を速く乾かす説,速く暖めて送粉者を誘引する説,日中および午後に花をクールに保つ説などの一部互いに矛盾する仮説があるが,よくわかっていない.
  • 1つの問題は,研究者が調べているのが(野生種とはずいぶん異なってしまった)油をとるための栽培種だということだ.
  • 太陽を追うメカニズムについてはある程度わかっている.夜間に西から東に戻る運動には光は必要ない.夜に180度回転させても同じリズムで回転し,調整するのに数日かかる.花を落としても回転するが,葉は必要だ.光の波長は青領域が重要.回転はオーキシンによる成長の調整で行われている.しかしどのように回転を止めるのか,夜どのように東に戻るのかのところ,そしてヒマワリの概日時計のメカニズムの詳細はよくわかっていない.
  • 概日リズムは1950年代に作られた用語なので,ダーウィンは使っていない.しかし彼は植物が1日単位のリズムをもつことに気づいていた.それは植物の「睡眠運動」として記述されている.

 

ダーウィン以後の知見

<シダ胞子嚢>

  • 植物には細胞壁があるので高速の動きは難しい.しかしその硬さをいかして高速の動きを行う植物の良い例がシダの胞子嚢だ.その細胞壁にはU型の溝がありある方向にたわませることができる.ゆっくりたわませて張力をため,それを一気に解放することでカタパルトのように胞子を発射するのだ(2012年に報告された具体的なメカニズムが詳しく解説されている). 

 
<トクサ胞子>

  • シダの胞子の発射運動は一回限りだが,トクサの胞子の運動は何度も行えるメカニズムになっている.運動メカニズムはシダのように胞子嚢にあるわけではない.胞子そのものに弾糸と呼ばれるリボンのような構造があり,ぬれた状態では胞子の周りに硬く巻いているが乾くとほどけながら胞子を押す.そしてその繰り返しにより少しずつ動いていくのだ.巻き付き状態が絡まっていると,ほどける際に一気にエネルギーが放出され,1センチほどジャンプすることもある.

 
<ヌイチア・フロリブンダ>

  • 西オーストラリアに自生するヌイチア・フロリバンド(Nuytsia floribunda)は地上部は普通の樹木だが,地下では他の植物の根に寄生している.その寄生に使う吸収管(haustria)はハサミのような向かい合った刃を持ち,水圧を使ってそれを閉じて他の植物の根を切断し,そこから栄養分を吸収する.このハサミはとても鋭くてヒトの皮膚でも切り裂くことができる.

 

第3章 咬もうとして咬まれる*12:Insectivorous plants(1875)

 

 
第3章は「食虫植物」.

  • 食虫植物は昆虫などの獲物を窒素とリンの栄養源として利用する植物で,そのほとんどは光環境が良い場所に生息する.もちろんダーウィンはことのことに気づいていた.そして食虫植物に昆虫を与えた方が成長が良くなることはダーウィンと息子のフランシスによって行われた実験によってはじめて確認された.

 
<食虫性(carnivorous*13)とは>

  • ダーウィンが食虫植物に興味を持った1つの理由は,よじのぼり植物と同じで,それが単純な形態から漸進的な変化を経ていることを示したかったからだ.そのよい例はどんな植物にもある葉の分泌腺が次第に変化してモウセンゴケのようなねばねばの触手になるというものだ.
  • 分解酵素や消化器管のない段階の植物も知られている.その良い例はロリドゥラだ.ロリドゥラにはモウセンゴケのようなねばねばの触手があるが,分解酵素は分泌しないし,消化に特化した器官も持たない.ロリドゥラにはその樹液を吸う共生カメムシ類がついており,それがねばねばの触手に絡まった昆虫を食べる.そして植物はその糞を栄養にしている.またロリドゥラには共生カメムシが増え過ぎないようにするクモもいて3種の共生系を形成している.
  • ロリドゥラのネバネバ物質はさらに驚異的だ.それはトリテルペノイドとアシルグリセリドからなる水溶性混合物(1種の樹脂)であり,耐水性で分解されにくく(葉の上で5年以上持つ)大型の昆虫を捕らえることができる.おそらくネバネバ物質の進化には安く長持ちしないもの(モウセンゴケはこちら)と高く長持ちするものの2つの適応度ピークがあるのだろう.では共生カメムシはどのようにして絡まりとられないようにしているのか.電子顕微鏡による観察では表皮クチクラに厚い油脂の層があり,触手に付着してもそれが薄くはがれることでとらわれないようになっているものと思われる.
  • ニュージーランドにはパラパラと呼ばれる強烈なネバネバ物質で鳥を捕らえることがある植物がある.リサーチによると鳥の死骸から栄養は得られるものの,腐肉を食べるカニによる被害の方が大きいようだ.おそらくこのネバネバ物質は鳥にくっついて運ばれる種子分散のための適応で,鳥が捕らわれてしまうのはある種の巻き添え被害なのだろう.
  • 熱帯のブロメリアには漸進的な食虫植物段階が見られる.単に雨水を葉の間に溜めているものから,そこに溜まる様々なデトリタスを栄養源とするもの,紫外線反射板で昆虫を誘引して落とし分解酵素を持つものまでが知られている.

 
<食虫性の進化>

  • 食虫植物の系統関係は収斂進化が多いためわかりにくい.現在では食虫性が少なくとも6回独立に進化したことが知られている.食虫性が進化しやすい環境は,光と水が多く,しかし貧栄養というものだ.光が多い環境が重要なのは罠を作るために葉の光合成能力を犠牲にしなければならないからだ.
  • 食虫性の進化が圧倒的な成功とは到底いえない.その好環境でも植物相の極く一部しか形成しないのだ.
  • ダーウィンは「植物の運動力」の中で食虫植物が光に対する反応において例外的である(光合成に有利な場所よりも虫を捕るのに有利な場所に葉を展開する)ことを見つけて喜んでいる.

 
<メカニズムと収斂>

  • ネバネバの罠を持つ食虫植物は多い.それは既存の普通の植物の形態から進化しやすいからだろう.ダーウィンはロリドゥラ,ビブリス,モウセンゴケは近縁だと考えた.しかしDNA配列からはそうではないことがわかっている.
  • ウツボカズラとハエトリソウも食虫性がネバネバの罠から進化したことの例証となる.形態はかなり違うが,ウツボカズラもハエトリソウもモウセンゴケと近縁だ.そしてサラセニアは実はロリドゥラと近縁になる.ウツボカズラとサラセニアの罠の形態はよく似ているがこれは収斂進化なのだ.
  • 葉からウツボカズラのような罠を作る収斂進化はフクロユキノシタにも見られる.そして興味深いことに,ウツボカズラとサラセニアとフクロユキノシタでは,昆虫誘引物質や分解酵素に分子レベルでの収斂が見られるのだ.

 
<ネバネバ罠からバネ式罠に>

  • ダーウィンはハエトリソウにも魅せられた.ダーウィンはモウセンゴケとハエトリソウを近縁と考えたが,これはDNA配列で確かめられている.さらにダーウィンはこの罠がどのように変化してでき上がったのかも考察した(葉の形態や触手の変化が詳しく考察されている様子が引用されている).だからダーウィンがオーストラリアのモウセンゴケであるドロセラ・グランデュリゲラ(Drosera glanduligera)の驚異的な罠を知らなかったことが残念でならない.このドロセラは通常のネバネバ罠の外側にネバネバしない長い触手を持っており,昆虫が触れると急速に内側に向かって曲がりネバネバ罠に付着させるのだ.
  • どのようにモウセンゴケがハエトリソウに進化したかは(ダーウィンにとって)明らかだったが,なぜそう進化したのかという謎はダーウィンを悩ませた.ダーウィンはそれはより大きな獲物をとるためだろうと推測し,実際にどんな獲物を捕らえているかを調べている.現代の進化生物学者はダーウィンは正しかったと考えている.しかしハエトリソウを作り出すのには複雑な変化の積み重ねが必要であり,そのためにたった一度しか進化していないのだろう.
  • ムジナモもモウセンゴケの仲間から進化し,バネ式罠を持つ水草で,その罠は放射状に並び水車のように見える.ダーウィンはムジナモを「水生のミニハエトリソウ」と説明している.注目すべきことはムジナモは世界で最も広く分布する食虫植物だということだ.そして分解酵素を含むフルセットの食虫性適応形質を持っている.

 
<ムシトリスミレからタヌキモへ>

  • タヌキモとムシトリスミレを含むタヌキモ科でもネバネバ罠からバネ式罠が進化した.ムシトリスミレの葉がネバネバしていることは前からわかっていたが,ダーウィンは巧妙な実験によりそれが付着した昆虫などを消化して吸収することを確かめた.ダーウィンは気づかなかったがムシトリスミレの葉はかかった獲物が腐らないように抗菌物質を分泌する.北欧では牛乳にこの葉をいれてフィールミョルクと呼ばれる発酵食品を作っている.
  • タヌキモはムシトリスミレとは全く似ておらず,無根で水中を漂うが,花はムシトリスミレそっくりだ.ダーウィンは興味を持ち,文献を調べ,タヌキモの嚢(捕虫嚢)に水生生物が捕らえられていることが多いことを知る.
  • タヌキモの仲間は200種を超え,広い分布域を持つ.水生植物以外にも地上性,着生植物,よじのぼり植物が含まれる.ダーウィンは水生のもの以外に地上性のものを調べている.そして詳細な観察を元にその捕虫嚢にははね上げ式の蓋があることを認め,それは水生生物を捉えるためのものであるとしている.しかしその動きは速過ぎてダーウィンが正確なメカニズムを知ることはなかった.現在の1秒間15000フレームのカメラで撮るとその仕組みが分かる(捕虫嚢に水と水生生物が急速に吸い込まれる仕組みが詳しく解説されている).
  • タヌキモ科にはタヌキモ属,ムシトリスミレ属以外に第3の属ゲンセリア属がある.ゲンセリアはタヌキモと同じく無根で,一部は水生,一部は地上性で,熱帯地域のみに分布する.地上性のものは地上部は普通の植物のような外見だが,地下に罠である管状になった葉を伸ばす.この管は途中で二股に分かれ,それぞれがコイル状に巻いている.先端には小さな穴が開き,管の内部には先端向きに毛が生えている.このため線虫や原生動物やワムシなどがいったん中に入り込むと外には出られなくなり,そこで消化吸収される.またゲンセリアはゲノムサイズが非常に小さいことでも知られている.

 
<落とし穴式罠>

  • 落とし穴式の罠を持つ食虫植物にはサラセニアとウツボカズラがある.ウツボカズラはヴィクトリア朝時代の園芸熱により広く一般に知られていたし,サラセニアも英国で栽培されていたが,ダーウィンはこの2つについてはほとんど紙面を割いていない.ウツボカズラに消化能力があることをそっけなく記しているだけだ.ダーウィンは徹底的に調べられないもの*14を書くのに消極的だったのかもしれないが,あるいは具体的な動きのない食虫植物にあまり関心がなかったのかもしれない.実際に「食虫植物」の全18章のうち12章はモウセンゴケに費やされている.
  • ダーウィンはサラセニアは消化酵素を分泌していないと考えていた*15.今日ではサラセニアも消化酵素を出すが,分泌量はあまり多くなく,バクテリアなどの助けを借りていることが分かっている.
  • 対照的にウツボカズラの消化酵素分泌能力は高い.そして時に動物の死骸ではなく糞を栄養素として得るように適応している(ネズミ,トガリネズミ,コウモリなどの糞を得るための適応が解説されている).

 

  • ウツボカズラにはアリとの共生を行っているものがある.ネペンテス・ビカルカラタ(Nepenthes bicalcarata)は罠の上部に中空の触手をつけてアリに巣場所を提供している.アリはそこを巣場所とし,滑り落ちずに*16罠の中の蜜を食している.アリの提供しているサービスについてはいくつか仮説があり議論されてきたが,最近のリサーチでは罠の縁をクリーンに保ち,獲物を滑り落ちやすくしていることが確かめられている.
  • 縁の滑りやすさは良いテクニックだが,飛翔性昆虫は逃げてしまう.ハエを獲物にするウツボカズラは粘着性のポリマーを罠の表面にコーティングし,花や蜜の匂いでおびき寄せる.
  • サラセニアの一種ダーリングトニア・カリフォルニカ(Darlingtonia californica)は落とし穴式ではない罠を持つ.筒状の罠がオーバーヘッドに曲がり,入り口が下方に向いているのだ.このため罠の水分は雨水ではなく根から吸い上げた水分を用いる.この形の罠は入り込んだ昆虫が光に向かって逃げ出すのを防ぐことができる.
  • ウツボカズラの一種ネペンテス・グラキリス(Nepenthes gracilis)は蜜でアリを誘引する.普段は出入り自由だが,雨粒が1つでも罠の蓋に落ちると蓋が大きく振動してアリを罠の底に落とす.これは動く部分を持つ唯一のウツボカズラになる.

 
<ダーウィン以降に発見された食虫植物>

  • トリフィオフィルム・ペルタトゥム(Triphyophyllum peltatum)はダーウィンの時代には知られていなかった食虫植物だ.西アフリカの熱帯の植物で,成長のある段階でネバネバ式の罠を持つ細長い葉をつける.
  • また2012年には,ブラジルのカンポ・セラードでネバネバの地中の葉をつけ,線虫を獲物とする食虫植物フィルコクシア(Philcoxia)が発見されている.

 

第4章 性と植物*17

 
第4章のテーマは植物の性.ここで扱われるダーウィンの著作は「ランの受精」「植物の受精」「花の異型について」の3冊になる.トンプソンはこれはダーウィンの植物の性についてのトリオロジー(3部作)なのだとしている.

ランの受精:On the various contrivances by which British and foreign orchids are fertilised by insects, and on the good effects of intercrossing(1862)

 

 

  • 「ランの受精」のテーマも自然淘汰によるゆっくりとした漸進的な変化だ.そしてダーウィンはランの同じ目的のための形態の果てしない多様性に魅せられた.この場合の目的は「ある花の花粉による別の花の受精」,つまり他家受粉だ.そして他の植物よりもランはこの点において巧妙だった.ダーウィンはランの騙し送粉については知らなかったが,もし知っていたらさらに魅せられ,なぜ昆虫が騙されるのかに悩んだかもしれない.
  • ダーウィンは単に魅せられただけでなくその理由を知りたがり,その答えにたどり着いている.ランの種子は非常に小さく膨大な数があり,そのため花粉も数が多く,ポリニアと呼ばれる塊を作る.そしてダーウィンはそれが正しい場所に運ばれるように強く自然淘汰がかかると考えた.現代のリサーチャーは,なぜランがポリニアを造り,他家受粉のための巧妙なメカニズムを持っているのかについて,基本的にダーウィンは正しかったと考えている.この適応はランが送粉者により強く依存するようなコストをかけている.

 
<アングレカム・セスキペダレ>

  • ダーウィンがマダガスカルのラン,アングレカム・セスキペダレ(Angræcum sesquipedale)についてその長い距に見合う長い口吻を持つ送粉者が存在するだろうと予言したことは有名だ.ダーウィンは1863年にダウンハウスに温室を設け,そこでアングレカム・セスキペダレを栽培し,観察してこの結論にたどり着いた.
  • その送粉者たるスズメガが実際に発見されたのは40年後だが,さらにこのガがアングレカム・セスキペダレの花粉を実際に送粉することが確かめられたのは1997年のことだ.
  • 理論的にはこの長い距と口吻はアームレース的に共進化したかもしれないし,(どんな花からも求蜜できる)長い口吻が先にあり,(受粉効率を上げるために)ランの距があとから長くなったのかもしれない.どちらが正しいのかについてはわかっていないが,後のモデルの方に人気があるようだ.
  • アングレカム属のランは760種以上知られている.これらの送粉共進化系は非常に興味深いに違いないが,送粉者がリサーチされているのは20種より少ない.そのなかではスズメガが多いが,鳥やコオロギが送粉者となっているものが見つかっている.

 
<ダーウィンと園芸家たち その1>

  • ヴィクトリア朝時代は熱帯植物が人気を集めた.そしてダーウィンの「ランの受精」はセンセーションだった.Gardeners’ Chronicle誌には当時のランの権威であるジョン・リンドリーの書評が掲載され,フッカーからの書簡では当時の園芸界で大好評であったことが記されている.

 

他家受粉と自然淘汰:The effects of cross and self-fertilisation in the vegetable kingdom(1876)

 

 

  • 「植物の受精」は他家受粉についての本だ.ダーウィンは他家受粉に向けての適応に強い興味を持ち続けた.他家受粉のために植物は様々な形質を進化させているが,それはいかにもコストがかかりそうだ.そしてその理由は他家受粉の有利性にあるはずだ.ダーウィンは多くの種類の植物で実験し,その有利性が極めて大きいことに驚いている.

 
<ダーウィンと園芸家たち その2>

  • ダーウィンの「植物の受精」は出版後すぐに園芸家たちの実務を大きく変えた.当時から自家受粉の有害性は知られていたが,それは花粉親と種子親に共有されていた病的形質が強まるからであり,健康な親なら自家受粉も問題ないと考えられていた.ダーウィンの実験はこの考えがナンセンスであることを示した.彼の膨大な実験結果は自家受粉そのものが有害であることを明白に示していたのだ.

 
<自家受粉の遺伝学>

  • メンデルの法則が知られていなかった当時,誰も自家受粉で何が生じるのかについてわかっていなかった.ダーウィンも「植物の受精」の中で当惑を示している.彼は他家受粉そのものが有利性を生むのではなく,そこにある何らかのエレメント(これは今でいう遺伝子に当たるだろう)が花粉親と種子親で異なっている場合に有利になると推測していた.
  • しかしダーウィンにはそのエレメントが何なのかはわからなかったし,実験結果のある部分は説明できなかった.例えば彼はマルバアサガオを何世代にもわたって自家受粉させた.すると自家受粉の有害性が現れなくなったり,わずかに有利になったりした.これはダーウィンにとっては謎だったが,今日では多くの有害形質が劣性(潜性)遺伝子の発現であることから説明できる.ダーウィンは自家受粉の繰り返しによる有害劣性遺伝子のパージを最初に記録したことになる.

 
<自家不和合性>

  • ダーウィンが常に正しかったわけではない.彼は自家不和合性の現象には気づいていたが,これが自然淘汰による適応であるというアイデアを拒絶した.ダーウィンは自家受粉が不利になったとしても受粉しないよりましなはずであり,これは自然淘汰による適応ではなく,偶然の産物だと考えたのだ.今日では自家不和合性は自他受粉を避け,他家受粉を促すための適応だと考えられている.
  • またダーウィンは被子植物の祖先型は単性花で風媒だと考えた.しかし今日では最初期の被子植物が両性花で昆虫媒であることがわかっている.

 
<ハナバチ>

  • 受粉に興味があれば,ハナバチにも興味がわくに違いない.ダーウィンは「植物の受精」の最後から2番目の章をハナバチに当てている.
  • ダーウィンはマルハナバチが距の長い花の基部から盗蜜することに魅せられた.彼は,ハチたちがこれを学習するのか,盗蜜するメリットは何か,盗蜜行動には洞察力が必要かなどを調べた.さらに盗蜜が植物に与える被害と植物には糖蜜を避けるように強い淘汰圧がかかるに違いないことに考えを巡らせている.そして綿密な観察を行い,盗蜜を受ける花と盗蜜行動をするマルハナバチがちょうど捕食者と被食者のように個体数を周期的に振動させるのではないかと記している.
  • ダーウィンは正しかったのか.今日,盗蜜は進化生態学リサーチの大きなフィールドになっていて,この現象が非常に複雑であることがわかってきている.まず盗蜜現象は時間や場所により様々だ.そして驚くべきことに盗蜜が必ず種子数の減少を招くわけではなく,時に種子数を増加させる.とはいえ一般的には盗蜜を防ぐように淘汰圧が働く.距の基部を物理的に丈夫にする形で防御するのはおそらくコスト的に割りがあわない.蜜を薄くして盗蜜努力が割に合わないようにする方策は一部の植物種で見られる.また花を密に充填して咲かせ盗蜜しにくくするという防御や花弁細胞の表面を滑りやすくする防御が一部の植物種で見られる.
  • そしてダーウィンの観察通りに花の密度が高いほど盗蜜にあいやすくなることは確かめられている.だからダーウィンが推測したような振動が実際に起こる可能性は否定できない.(ここでダーウィンのダウンハウスのマルハナバチ観察フィールドの詳細が解説されている)

 

サクラソウ:The different forms of flowers on plants of the same species(1877)

 

 

  • 「花の異型について」は異型花柱性についての本だ.サクラソウの花にピンタイプ(pin-type)とスラムタイプ(thrum-type)*18の2つのタイプがあること(異型花柱性)は18世紀の植物図鑑「Flora Londinensis」に記載がある.ダーウィン以前にはこれは単なる種内変異と考えられていた.
  • しかしダーウィンはこれが単なる種内変異ではないことを知っていた.もし種内変異ならなぜ中間タイプがないのか,そしてなぜどの個体群も2タイプがほぼ同数あるのかが説明できないからだ.ダーウィンはこれは何らかの自然淘汰の結果に違いないと考え,調べ始めた.
  • ダーウィンは当初この2タイプは単性花から両性花への進化の中間段階ではないかと考えた.だからピンタイプは雌しべが大きく,スラムタイプは雄しべが大きいのだろうと.
  • しかし彼はすぐにこの考えを放棄した.なぜならどちらのタイプも十分に種子を作れるからだ.そして1861年の段階でピンタイプの雄しべはスラムタイプの雌しべに適応し,ピンタイプの雌しべはスラムタイプの雄しべに適応することに気づいている.そしてそれが何のためであるかについても正しく推測し,確かめるための交配実験を行った.ダーウィンの予測通り,正しい組み合わせ(異なるタイプ間)で受粉した花は正しくない組み合わせ(同じタイプ間)で受粉した花より多くの種子を作った.それは他家受粉を促進するための適応だったのだ.
  • 異型花柱性がうまい仕組みなら他にも同じような例があるかもしれない.ダーウィンはアマ属,ヒメムラサキ属,ソバ属,そしてさらに多くの属でその例を見つけた.そして交配実験は同じ結果をもたらした.

 
<ダーウィンと園芸家たち その3>

  • サクラソウは人気のある園芸品種だったが,育種には困難があった.誰も交配の際に異型花柱性に注目していなかったのだ.ダーウィンの「花の異型について」はそれを解決した.

 
<三型花柱性>

  • ダーウィンは異型花柱性の注目すべき例としてエゾミソハギの三型花柱性を紹介している.そして三型の方が二型よりも花粉のロスが少ないことを指摘している.交配実験ははるかに複雑になるがダーウィンはもちろん実験をやりぬき,同じ結果を得ている.
  • またダーウィンは三型花柱性をカタバミ属やポンテデリア属でも発見している.

 
<ニワトリと卵>

  • ダーウィンの偉大なところはまず誰も気づかなかったような重大な問題を見つけ,そして(ほぼいつも)正しい答えにたどり着くところだ.異型花柱性についてもダーウィンは誰も認識しなかった問題を見つけ解決した.さらにダーウィンの仕事は議論を巻き起こし,現在も解決していないような問題を掘り起こした.
  • ダーウィンは異型花柱性は他家受粉のための適応だという答えを得て満足した.現在の生物学者もこのダーウィンの見解を受け入れている.しかしそれは唯一の方法ではないし,最も普遍的な方法でもない.そして数多くの新たな疑問が生まれた.
  • 例えば,ダーウィンが示したように異型花柱性の花が同じタイプで受粉した場合,種子数が減少あるいは不稔となる(この自家不和合性自体現代の大きなリサーチテーマになっている).するとこのような自家不和合性があれば異型花柱性は不要ではないのかという疑問が生じる.現在では,自家不和合性単独よりも異型花柱性の方が花粉のロスが少ない(だから異型花柱性の進化はより適応的だ)と考えられている.しかしどちらが先に進化したのかという問題は残る.ダーウィンは自家不和合性は後の偶然の産物で,異型花柱性が先に進化したと考えていた.現在では自家不和合性も適応として進化しうると考えられているが,どちらが先に進化したのかはわかっていない.
  • 最近この点について,(ダーウィンの当時知られていなかった)スイセン属の異型花柱性の植物のリサーチにおいて興味深い進展があった.この属には三型花柱性のものと二型花柱性のものの両方が見られ(スイセン属60数種のうち,トリアンドルスのみが三型花柱性,アルボマルジナティスのみが二型花柱性で,それ以外は異型花柱性を持たない),系統樹からみて属内で独立に二回異型花柱性が進化したらしい.そしてこの2種とも同じタイプ間で不和合性を持たない.つまりスイセンにおいては異型花柱性の進化は自家不和合性を伴わずに生じたのだ.これはダーウィンはやはり結局正しかったのだということを強く示唆している.

 
<異型花柱性,遺伝子と超遺伝子>

  • 当然ながらダーウィンは異型花柱性の遺伝的な仕組みに迫ることはできなかった.メンデルの法則が再発見された直後,異型花柱性は離散的な二つの形質が現れる現象であることからメンデルの法則の教科書的な事例だと考えられた.
  • しかし真実はそれほど単純ではなかった.サクラソウの異型花柱性の遺伝的な仕組みが明らかになったのは2016年になってからだ.まずそれは5つの遺伝子が緊密に連鎖した超遺伝子によっていた.そして優性(顕性)遺伝子と劣性(潜性)遺伝子があるのではなく,超遺伝子が存在するかしないかによって形質が決まっていた.この超遺伝子はもともと花の発達を制御していたが50百万年前にこれが重複し,コピーが異型花柱性を発現させる役割を負ったのだ.

 
<ダーウィンとメンデル>

  • ダーウィンとメンデルは同時代人だが,私たちが知る限り,ダーウィンはメンデルの仕事に気づいてはいなかった.この点について「ダウンハウスにはメンデルの論文のコピーがあったが,その(袋とじになった)ページは切り開かれていなかった」という話が出回っている.しかしそれは都市伝説に過ぎないようだ.ダウンハウスのライブラリーカタログには当該論文集はないのだ.
  • もしダーウィンがメンデルの仕事に気づいていたらどうなっていただろうか.ダーウィンは当時遺伝の問題に深く関心を抱いていた.おそらくダーウィンはその仕事の重要性を理解しただろう.もしかしたら進化と遺伝の統合は実際の歴史よりはるかに早くなされたかも知れない.

 

第5章 キャベツ畑の謎:The variation of animals and plants under domestication(1868)

 

 
第5章ではダーウィンの「家畜と栽培植物の変異について」のうち植物を扱った部分がテーマになる.

  • 「種の起源」の執筆後もダーウィンは進化の証拠を積み上げ続けた.「家畜と栽培植物の変異について」は「種の起源」の第1章に付け加えられるべき膨大な補遺とみることができる.重要な議論は「種の起源」にある.もしそれを支える証拠をもっと見たいならそれは「変異」に書かれているというわけだ.しかしこの本はそれだけではなく,園芸学にも大きな影響をもたらした.

 
<野菜,果実,そして花>

  • ダーウィンは,栽培植物の変異と起源を調べるにはいくつか障害があることに気づいていた.野生の祖先種が知られていないものが多々ある,野生種と栽培種が圃外で生育するようになったものを見分けるのが難しい,栽培により全く姿を変えてしまったものもある,交雑種から生まれたのかどうかを知るのが難しいなどが問題になるのだ.
  • しかし調べるのが不可能なわけではない.育種がかかっていない形質は祖先種のそれを引き継いでいることが多いからだ.ダーウィンはキャベツの仲間に注目した.キャベツ,芽キャベツ,カリフラワー,コールラビなどの食する部分は極めて多様だが,花,種子鞘,種子はよく似ているのだ.また多様な形質が極めて短い期間で育種できる.
  • ダーウィンはアブラナ属の野菜は野生の2種(Brassica napus, Brassica rapa)に由来すると考えた.これはダーウィンだけでなく多くの学者が悩まされた問題だ.実際には野生種と栽培種の交雑種由来だったり,全く野生種が不明だったりするものもあり渾沌としている.
  • ダーウィンはダウンハウスの農場に多くの栽培種を植えた.例えばセイヨウスグリだけで54種類の変異を栽培した.そして食用になる実の部分は非常に多様だが,花は似通っていることを確かめている.
  • 花卉類は同じく厄介だった.育種家がしばしば交雑を試みているからだ.この中でダーウィンはパンジーに望みをつないだが,やはり渾沌の中に沈んでしまった.

 
<ダーウィンと園芸家たち その4>

  • 「変異」はまさに園芸の本だ.出版後数ヶ月後に王立園芸協会は科学委員会の設立を決め,ダーウィンを委員に指名した.

 
以上が本書の内容になる.本書を読むと,彼が興味深く思った植物の様々な形質の楽しい解説を読みながらダーウィンの思索を辿り,そしてそのテーマに関する現代的な知見をも得ることができる.ダーウィン関連の本を読むといつも感じることだが,ダーウィンの関心は実に本質的であり,その思索は時代をはるかに先駆け,そして現代に至ってもなお興味深い謎を提起している.ダーウィンファン,そして植物に興味がある人には特にお勧めしたい一冊だ.
 
 
関連書籍
 
邦訳のあるものは以下の通り.現在でも古書では入手可能なようだ.

 

*1:ダーウィンのキャリアからフジツボについての専門書があることも知られているかもしれない.この4巻本のモノグラフは現在でもフジツボ研究における重要な基礎文献ということらしいが,フジツボ研究者でもなければ実際に手に取ることはあまりないだろう.

*2:ダーウィンオンラインでは無料で公開されているし,著作権切れでKindle本も非常に安価に入手できるのだが,ダーウィンのヴィクトリアンスタイルの英文はなかなか手ごわいのでつい手を出しそびれてしまった

*3:(自然淘汰プロセスにおける)生存競争の重要性の理解,ではなぜ単一の勝者が残らずに多様性が保たれるのかという新たな問いという例が説明されている

*4:ツタの粘着物質の解明にBioSep-SEC-Sシリーズの生体高分子試料分析が使われたことなどが紹介されている

*5:(食虫植物の例として)粘着物質を持つ触手が独立に何度か進化したことはダーウィンの時代には知られていなかったことが紹介されている

*6:原章題は “Room at the Top” で,これは映画の題名(邦題は「年上の女」)からきているようだ.

*7:根の場合には物理的に連結しているかどうかで識別結果が変わるのでタンパク質表面の特異性では説明できない

*8:原章題は “slow learners” .普通は「物覚えの悪い人」という意味だが,ここでは植物の学習能力のことを示唆しているのだろう

*9:寒い地域では霜に弱いので栽培は難しいとされているが,高緯度では傾き過ぎて無理なのかもしれないと書かれている

*10:ダーウィンが知らなかったはずはないが,当時皆がそれを調べていた(王立協会では特別委員会も設立されていた)ので,そちらにまかせたのだろうと推測されている

*11:小さな昆虫は振り落とされるかもしれないし,脊椎動物の食植者で不注意なものは葉が消えたと感じるかもしれないと推測されている

*12:原章題は:“The Biter Bit” で,「ミイラ取りがミイラになる」という意味の慣用句になっている

*13:carnivorousは通常「肉食」と訳されるが,ここでは食虫植物の定義が問題になっているので「食虫性」としておいた

*14:ウツボカズラは熱帯植物で栽培が難しく,サラセニアもすでに英国に導入されていたが,ダーウィンは入手できなかったようだ

*15:本の中では慎重に「それはまだ証明されてはいないと考えられる」と留保しているそうだ

*16:どのようにしているのかはわかっていないそうだ

*17:原章題は「Sex and the Single Plant」で,これは映画の題名「Sex and the Single Girl(邦題:求婚専科)」からきていると思われる

*18:なぜこう呼ばれるかの説明も詳しくなされている.長花柱花は上から観た時にピンが刺さっているように見えることからピンタイプと呼ばれ,短花柱花は花冠の周辺に花粉のクラスターが見え,それが織物の端(thrum)に見えたことからスラムタイプと呼ばれたと考えられている