「ダーウィンが信じた道」

ダーウィンが信じた道―進化論に隠されたメッセージ

ダーウィンが信じた道―進化論に隠されたメッセージ


ダーウィンの詳細な伝記の著者として知られるエイドリアン・デズモンドとジェイムズ・ムーアによるダーウィン本である.本書では特にダーウィンの研究の背後にある動機について語っている.原題は「Darwin's Sacred Cause: How a Hatred of Slavery Shaped Darwin's Views on Human Evolution」.


ダーウィン奴隷制を嫌っていたことは「ビーグル号航海記」を読めば極めて明瞭だ.そしてダーウィン1871年の著書「人間の進化と性淘汰」*1の大きなテーマは人種の説明だ.ダーウィンの生きた時代は英国でも米国でも奴隷制が大きな政治イッシューだったことは南北戦争(1861-1865)のことを考えてみればわかる.そういう意味では人種問題や奴隷制の是非の議論がダーウィンの人生に影を落としているのは当然だし,奴隷制に心から反対だったダーウィンのリサーチプログラムの動機にも影響を与えているだろうことは容易に想像できる.しかしデズモンドとムーアは,それが現代に生きる私達にはまったく想像できないほど実に巨大な影響であったことを本書で示しているのだ.


話はダーウィンの祖父エラズマスの時代にさかのぼる.そしてダーウィン家とウェッジウッド家はその時代からの筋金入りの奴隷制反対論者だったのだ.本書ではその時代の奴隷制を巡る様々な確執が大河ドラマのように語られる.それは片方で植民地経営や大西洋貿易を巡る経済問題であり,片方でトーリーとホイッグの政争であり,アメリカ独立とフランス革命の後の政治体制の選択の議論であり,さらに人道的な信念をかけた良心の戦いなのだ.それは1830年代に英国による奴隷貿易の禁止という結果をもたらし,北米では大統領選挙の行方を左右し,最後は南北戦争にまで行き着く.そのような巨大イデオロギーの対立の中,筋金入りの奴隷制反対論者の家にチャールズ・ダーウィンは生まれ,周りの議論を吸収しながら育っていく.ダーウィン奴隷制は人道上許されないことだと深く信じ,エディンバラで黒人から剥製の作り方を習うなどの個人的経験もあって当時としては非常にリベラルな感覚を持つようになる.
そして科学もこの争いにきっちり巻き込まれているのだ.奴隷制を擁護する側も反対する側も,都合のよい学説を持ち出して互いに罵倒し合い,科学者もその影響から逃れられない.本書ではその複雑な絡み合いを丁寧に追っている.乱暴にまとめると,奴隷制擁護派は,黒人と白人は別の生物だと主張したく,各人種はそれぞれの起源大陸で独立に創造されたという説(人類多起源説)を好み,奴隷制反対派は,聖書のアダムの話にあるように人類は単一起源だという説を頼りにした.


ビーグル号で南米各地の悲惨な奴隷制の実態を眼にし,ダーウィン奴隷制反対の思いはさらに強まる.ダーウィンの生物進化の研究,そして「種の起源」「人間の進化と性淘汰」の出版は奴隷制反対派のために,擁護派がひいきにしている多起源説を否定したいという強い動機に基づいているというのが本書の主張だ.
特に「人間の進化と性淘汰」は,人類のことについては口をつぐんでいよう,誰かにやってもらおうと思っていたダーウィンがついに重い腰を上げて仕上げた本であり,そう踏み切らせた最大の動機は奴隷制にかかるもの(正確には黒人の元奴隷によるジャマイカ反乱への植民地政府の残虐な仕打ち)だったと主張しており,説得的だ.
ダーウィンの動機からいえば,何としても人種が単一起源からどう分かれたのかを説明できなければならない.人種の分岐を自然淘汰では説明できないと考えたダーウィンは性淘汰という説明しかないと考えていたが,ウォーレスに賛同を得られなかったこともあり,性淘汰という仕組みに説得力を持たせるべく,この本に性淘汰にかかる膨大な証拠を書き連ねたというところはこの本の風変わりな構成の謎解きとしては説得的だ.


本書の議論で特に印象深かったのは,ダーウィンが執念深く実験していることのうち,(1)生物の分散,特に種子や卵が大洋を渡る可能性があるかないかという主題,(2)種間雑種の不稔性,(3)家畜の起源.が大きく奴隷制を巡る論争と結びついているという指摘だ.生物が大陸間を分散できるなら,それぞれの人種は起源大陸で独自に創造されたという説の信憑性は薄くなる.また当時は白人と黒人のハーフ(ムラート)の生殖能力が世代を経るにつれて下がるかどうかがまじめに議論されていた.さらに人種は家畜の品種とパラレルに考えられていて,家畜が単一起源であれば単一起源説の信憑性が高まるということだった.確かに「家畜と栽培植物の変異」の前半を読むとイヌはオオカミとジャッカルの多起源かもしれないと大変残念そうに書かれているし,ダーウィンが明らかに単一起源だと信じたハトについては極めて丁寧に記述されている.
またダーウィンが自説を発表する直前には,多起源説は聖書から自由になったまっとうな科学であり,単一起源説は宗教を科学に持ち込む怪しい考え方だという受け止め方が多くなっており,そこをダーウィンの進化学説は大きくひっくり返したのだとも説明されていて,なかなか興味深い科学史的な指摘だと思う.


全体として大変丁寧な時代考証に裏打ちされた労作であり,ダーウィンの人生と奴隷制の是非の議論が時代背景として絡んでいること,そしてそれがダーウィンの研究プログラムに与えた影響が大きかったことがよく示されている.もっとも本書ではその奴隷制にかかる動機ばかりが強調されているが,私はダーウィンの研究への動機はそれだけではないと思う.結局自然の真実に迫りたいという気持ちがなければダーウィンの業績はあり得なかったと思うのだ.やはり執念深く行っている植物の異性花柱,ランの受精,フジツボの研究などは奴隷制と直接に結びついているわけではないだろう.それはデズモンドとムーアもわかっていると思われ,そういうわけで本書は「人間の進化と性淘汰」を出版したところで終わっている.
全体としては,かなり大部な本だが,特定のテーマに絞った効果がよく現れていて,熟読にふさわしい本に仕上がっていると思う.



関連書籍


ダーウィン―世界を変えたナチュラリストの生涯

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デズモンドとムーアの有名な伝記.


ダーウィン著作集〈1〉人間の進化と性淘汰(1)

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この本もダーウィン記念年にもう一度読みたいものだ.

*1:ダーウィンの”The Descent of Man and Selection in Relation to Sex"は通常日本では「人間の由来」と呼ばれている.Descentというのは先祖から子孫に血統が下ってくるイメージだからなかなか訳語は難しい.本書を読むと,人類が単にある種の類人猿から進化したというだけではなく,単一起源であることを特に主張したいということを表した言葉だということがわかる.だからOriginでもEvolutionでもないのだ.とはいえ「由来」もあまり適訳ではないように思う.本書によると背景には家系図のメタファーがあるということだから「家系」あるいは「血統」とするのが訳としては近いのだろう.ダーウィン著作集の訳者長谷川先生はエイヤっと「進化」という邦題にしている.